ずっと前からそうであったのだが、近頃とくに中国という国が疎ましい。先日、在日中国大使館の一等書記官がウィーン条約(商業活動の禁止)の違反や、外国人登録法違反の疑いをかけられたまま、警察の出頭要請を無視して中国へ帰国してしまった。スパイ容疑も取りざたされている。韓国での野田総理との会談を拒否した影には尖閣問題もあった(東京都の購入宣言)。南シナ海でも怪しげな動きをして国際的にも孤立しかかっている時だけに、妙に蠢くこの国が不気味だ。反日運動のスローガンとなった「愛国無罪」を再び日本に突き付けてくる可能性を感じる。
愛国無罪を日本に突き付けたのは、2005年4月の北京や上海で起きた反日デモ暴動の時であった。前年に重慶で行われたサッカーAFCアジアカップの大会がきっかけだった。靖国参拝を批判するという理不尽な言いがかりで、反日デモが各地で行われたのである。日本企業や日本の商店が狙われた。暴挙を繰り返しながら彼らが叫んでいたのが「愛国無罪」である。「国を愛することから発した暴挙には罪はない」という都合のいいスローガンである。だがこのスローガンは他の国には使っていない。日本向けの言葉なのだ。
もともとこの言葉は反日運動のものではなく、反政府運動のスローガンであった。最初に使われたのが1936年5月に起きた救国入獄運動の時。「愛国無罪、救国入獄」と叫んだのが始まりであった。そしてその後、五四運動や天安門事件の時も使われていた。その同じ言葉が反政府運動から反日運動に切り替えられたのだ。中国の暗い影が見え隠れする。
2005年4月は上海へ仕事で出かける予定であったが、例の暴動で半年も延期させられてしまった。暴動の余韻がまだあるのかと思いながら、10月に上海に向かった。だが、意外に平穏で、日本人である私にも特別なことが何もない。むしろ歓迎ムードであった。あの騒ぎはどうしたのだろうと疑問に思ったほどだ。中国人通訳と食事をしながら、上海暴動の事を訊ねてみた。
まず驚いたのは「私たちも困りましたよ」という通訳の言葉。「日本人は誰も来ない。私の仕事はすべてキャンセル」。そりゃそうだろう。さらに彼は続けた、「あの運動をしていたのは上海人ではないですよ」という。携帯やインターネットの呼びかけで若い人が集まったと聞いていたが、ほとんどが地方から来た人たちで構成されていたと言う。しかし地方出身者が日本関連の店がどこにあるか分からないだろうと反論すると、リーダーの指示だという。つまり扇動する者がいて、それに従っていたらしい。日本料理店は中国人経営者の店もかなりある。そうした店はほとんど被害にあっていない。これは北京も同じであったとか。
通訳が言うには、「中国ではデモは禁止されています。それなのに、どうしてデモができたか、分かるでしょう。政府がやらせているからです」。官製デモであることは日本でも言われていたことだが、中国人からその言葉を聞くとは思わなかった。「だって、その後のデモは政府の圧力で一切なかったのですよ」。つまりデモをさせること、止めることは政府が自由にできると言うことなのだ。
なぜこんな事態が起きたのかと言うと、中国国内に溜まりつつある不満が原因だった。特に地方の若者の不満は限界まで来ていたと、彼は語る。報道は一切されていないが、その頃の内陸部では毎日のように暴動が起きていた。都市部との格差の不満、思うようにならない日常への不満が政府に向けられ始めていた。愛国無罪の反政府運動が起き始めていたのである。北京オリンピックが開催される数年前のことである。その後には上海万博も控えていた。政府は危機感を持った。そこで、充満した不満を反日へと展開させる作戦に出た。愛国無罪のスローガンを使うなら、政府にではなく、日本に向けさせようと仕組んだのである。サッカー大会での反日への煽り(日本の国旗国歌へのブーイング)から始まり、デモと暴挙を各地へと拡大させたのである。暴動の裏にある事実を一般の中国人がかなり正確に知っていた。この点ではたしかに中国も変化したのかと思った。愛国無罪のスローガンが使われた理由も分かった。
暴動の矛先を日本に向けるという目論見が少し外れる。このニュースが世界中に流れたからだ。「えっ!こんな国だったの?」と、欧米各国が中国に疑惑を向け始めた。このままのイメージでは危険な国として北京オリンピックや上海万博に影響を与えてしまう。そこで、今度は懸命に収束への道をとる。デモは一切禁止され、原因は日本にあるのだから補償はしないと言いながら、陰でお金出したり善意の工事屋が現れて破壊された部分を改修した。日本人に対する暴挙も一切なくなった。私が訪れた時はまさにこの状況の時。税関は珍しく愛想がよく、タクシーもびっくりするくらい親切だった。「こんには!」と日本語であいさつされたのは初めてだった。あの暴動は何だったのだろうと、不思議な気持ちとなった理由が、ようやく分かった。
同時に十億の民を一つの方向に誘導する政府の不気味さを感じた。中国には国のためにすべての国民(海外に在中する人も含めて)が行動することを義務付けた法律がある(国防動員法)。スパイ防止法のない日本はスパイ天国になる。観光客はもちろんのこと日本にいる中国人はすべてがスパイとなる。何か事が起きればすべての国民が兵士となるように義務付けている。こんな法律が昨年の2月に施行している。日本国籍を持った中国人にも適用される。中国とはそういう国なのである。こうした現実は意外に知られていない。
まもなく6月4日がやってくる。この日は天安門事件が起きた日。中国の民主化運動が潰された日でもある。あれから23年が経過した。中国の人は言う、「私の国も大きく変わりました。オリンピックを開催し、万博も成功した」。しかしながら、人権問題を含めて、23年間経過してもこの国の本質はあまり変わっていない。
最新の報道をみてもその蠢きがよく分かる。米軍の近代兵器に多数の中国製の偽造電子部品が発見された。ウィルスを流し込むだけで兵器が誤作動する仕組みもあった。米軍よ、しっかりしろと言いたい。米国でさえこのありさまなのだから、日本がどれほど蝕まれているか、想像するのも嫌なくらいだ。サイバーテロなどお手の物だろう。海洋観測新法の法制化も着々と進んでいる。中国が浮かべたブイを動かすだけで法律に触れるというとんでもないものだ。言うまでもなく尖閣諸島周辺への地ならしである。一等書記官への機密漏洩の裏に民主党議員の存在も話題になり始めた。新聞やテレビがあまり力を入れない報道の陰で、妙に疎ましい国が蠢き始めている。
日本にいても、希望はないし、民主も自民もギリシャ政治レベル。
我々が、どう足掻いても、インド、中国、アセヤン5に、経済でも抜かれる。いや、抜かれた。
その事実を認識した方がよいのではないのかい。
こんな国と商売するのはものすごいリスクです。実際、中国に工場を持って製造業をしたり、乗り込んで商売をしている日本企業で儲かっている企業はありません。これでもビジネス相手として大切にしなければいけないのか、もっと未来を見据えて真剣に考えるべきだと思います。
ここでいうコンプレックスは、日本語でいえば国としての「劣等感と多重性」というダブルミーニングということです。その意味では、中国共産党幹部は、はっきり感じてるのかもしれません。でも、思い切って口にできない、沈黙しかない。ある意味でいえば、可愛そうな国です。