原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

徒然紀行⑨―クロアチアの善い人、悪い人、普通の人

2012年06月05日 07時41分01秒 | 徒然記

 

どこの国でも善い人がいれば、悪い人もいる。当たり前のことなのだが、いざ直面するたびに、その国のイメージが上がったり下がったり。それほどの事件でなくても、非日常の世界では日常で感じる以上のインパクトがある。異国の空での出来事はだからこそ忘れ難い。旅が面白いのはそんなこととの出会いの連続。だからやめられない。クロアチアは初めての国であった。首都のザブレグは当初から経由だけのつもり。滞在予定は全くなかった。ところがトラブルに遭遇。一泊することになった。予定外の行動はいつも意外性のある出来事を誘う。

 

クロアチアへの旅はトラブルの連続からスタートしていた。成田から出発する前、残っていた仕事のために徹夜。一睡もしないで飛行機に乗り込んだ。フランクフルト経由でクロアチアのザブレグへ。そこから国内便でドゥブロヴニクへというのが当初の予定。世界遺産の町が最終目的地だった。フランクフルトまでの10時間余りを睡眠にあてようと離陸するとすぐビールをオーダー。続いてウイスキー。これで眠れるかと思ったら、なぜか目がランラン。全く眠れない。フランクフルト空港でもドイツビールを飲んだ。出発が遅れていたこともあって相当の量のアルコールが入っていたと思う。ザブレグまで数時間と計算していた。クロアチア行きの飛行機に乗ったとたん睡魔が襲ってきて、爆睡。着陸のざわめきで目覚め、空港へ降り立つ。何やら様子がちょっとおかしい。随分小さな空港だなという印象。ラゲージテーブルで皆と一緒に荷物を待つ。乗り換えまであまり時間がないはず。酔って少しふらつくが気は焦っていた。それでも私の荷物は姿を見せない。30分ほどでテーブルは止まった。私のラゲージはでてこない。同様の人が他に5人ほどいた。さっそく係に申し出て、宿泊予定のホテルの名前を申告。ここでようやく、この空港がザグレブではないことに気付いた。なんとオーストリアの地方空港だった。ザブレグが濃霧のため降りることができなかったらしい。何しろ爆睡していたので全く気付かなかった。乗り換えどころの騒ぎではない。

長距離バスでザブレグまで送ってくれるという。ハンガリー経由でザブレグを目指すと言っていた。軽く8時間はかかる。乗り換え飛行機に間に合うわけがない。とりあえずクロアチアの首都ザグレブを目指した。例によって私はまた爆睡。ザグレブの中央駅の前で降ろされた時、時計は午前零時を回っていた。「ホテルは取ってくれないのか?」当然のクレームである。バスの運転手はこともなげに言った。「私の仕事はあなたたちを送ることです。ホテルは聞いていない」。クロアチアはかつてユーゴスラビアの一部であった。ちょっと前まで東欧圏の国だ。こうした国には社会主義で運営されていた名残がたっぷり残っている。この国ではこれが普通なのだ。

 

一応、ドゥブロヴニクまでの寝台特急があるかもしれないと思い駅で確認したが、そんなものはない。それより予約しているドゥブロヴニクのホテルに連絡する必要がある。現地で人と会う約束もあった。公衆電話があるが、コインがない。着いたばかりなのでクロアチアの通貨(クーナ)がない。公衆電話をかけるのにどのコインを使っていいのかも分からない。売店はとっくに終わっている。換金もできない。駅のベンチに座っているおじさんの声をかけた。当然ながら全く英語が通じない。どうやらドイツ語なら分かるらしい。これは無理だ。公衆電話の前でしばし黙考する。その時、このおじさんが近寄ってきて、黙ってカードを差し出した。テレホンカードである。これで電話しろとジェスチャーで言う。こちらの行動があまりにも悲しげで途方に暮れたように見えたのだろう。哀れな外国人へのやさしい気遣いに感謝。クロアチアがいっぺんに大好きになった。善い人がいる。

 

ホテルに連絡でき、ついでにザブレグの駅のそばのホテルを紹介してもらって、ようやくベッドに眠る。荷物が着いていないので着がえがない。裸のままでその日は眠った。翌日、目的地への飛行機を予約したが午後の便しかない。午前中は暇だから市内観光でもしようと、数人いた日本人(同様に取り残された人たち)と連れだって、路面電車に乗った。平日の朝であったが、人手が大変多い。電車は結構な混みあいであった。ホテルのコンシェルジェが市内観光の際はスリに注意ですよ、と忠告してくれたことを、ふと思いだした。「スリが多いらしいから注意しないとね」と日本語で声に出した。日本人にだけ分かる言葉で笑いがおきた。降車駅に着き、降りた途端、一人が叫んだ「やられた!」。上着の内ポケットに入っていた財布が見事に抜き取られていたのである。初めてこの国を訪れた外国人からお金をとることはないだろう、と怒りがわき上がる。しかしながら、日本語で注意しあっていたのにやられたのである。かなりの凄腕のスリに違いなかった。おかげで市内観光どころではなくなった。ホテルの戻って警察への手配(どうせ現金(日本円とドル)は戻らない)をし、同時にクレジットカードの盗難届をしているうちに飛行機の時間となってしまった。悪い奴のおかげで市内観光もとんでしまった。

 

(スリ被害に遭遇した路面電車)

空港でコーヒーショップに入った。一息ついて横をみるとサッカーの記事を読んでる人がいる。向こうもこちらに気づき、「日本人か?」と、英語で聞いてきた。「そうだ」と答えると、新聞記事を指差す。ドイツ語みたいなクロアチア語はまったく分からない。「何だ?」と聞いたら、「ミウラ」のことが書いてあるという。ちょうど、その時、Jリーグで活躍していたキング・カズこと、三浦和良がザグレブのサッカーチームにいたのである。当然、大活躍しているのだと思って、「何と書いてあるのか」と聞いた。おじさんは肩をすぼめて「残念だね」という。戦力外通告を受けたという記事であった。日本ではスーパースターであったのに、クロアチアではあまり活躍ができなかったらしい。おじさんが言うには1点もゴールをとれなかった、と語っていた。でもおじさんは付け加えた。「経験を積めばもっとうまくなるよ。おれは期待してるよ」。このおじさんもきっと善い人なのだろう。彼の日本におけるスーパーな活躍については、残念ながら言えなかった。1999年の春先の出来事である。

 

(わずかの時間に見ることができた名物の青果市場と聖マルコ教会)

行方不明となっていた私のラゲージは、四日後、ドゥブロヴニクのホテルに無事届いた。ミラノからエジプト経由でクロアチアまでの長旅でかなり破壊されていた。ルフトハンザ航空がきれいに補修してくれた。それにしても、初めから終わりまで、よくまぁトラブルに見舞われたものだ。それだけに今も鮮烈に記憶に残っている。

*巻頭の写真がザグレブ中央駅。この前にバスから降ろされたのが深夜零時すぎ)


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2 コメント

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トラブル・・・ (numapy)
2012-06-05 08:48:19
「トラベル」の語源は「トラブル」だと言いますね。
昔は旅は「トラブル」続きだった。
それを時で行った旅でしたね。ハラハラしたでしょう。お疲れ様でした。でもいい記憶になってるようですね。
ところで、いい人に出会うとその土地が好きになるというのは、確かですね。その意味で、北海道は両極端と言えそうですね。素朴な人(今やそれだけでホスピタリティいになる)に出会った人は、大好きになる。一方、もてなす心のない人に出会った人は、何だこんなところか、となる。もっとも北海道人には、“おもてなし”という気持ちが希薄なのは事実のように感じられるのですが…。
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北海道人はとっつきが悪いかも (genyajin)
2012-06-05 08:58:28
たしかに、北海道人は人づきあいが意外に悪いかもしれません。第一印象が良くないですね。それで結構損をしている可能性はあります。言葉遣いの問題もあるようです。つっけんどんな印象がありますから。
観光客に対しては、私自身も少し気遣いが必要なのではと思ってます。あまり実行力はないですが。
最近遠出の旅をしていないので、ふと昔の旅が蘇ります。歳ですかね、やっぱり。
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