日本が想像以上に健闘したロンドンオリンピックもあとわずか。12日で終幕を迎える。世界が4年ごとに見る夢は次回のリオデジャネイロへと引き継がれる。今年で30回目を迎えたオリンピックだが、ロンドン大会はこれで3回目(1908年と1948年にも開催)。前の二回はいずれも日本は参加していない。今はもう歴史の片隅に追いやられ、知る人もわずかになってしまった感はあるが、1948年のロンドンは、当時の日本人にとって忘れられないエピソードを記した大会であった。古橋廣之進(1928―2009)の名前とともに、日本の記憶にすべき出来事であったと思う。
天才スイマー古橋がすい星のごとく日本の水泳界に登場したのは1947年であった。400m自由型でいきなり世界記録をだしたのである。そのニュースが世界に発信されたにもかかわらず、世界はこれを無視した。当時を思い出してほしい。47年は太平洋戦争が終わってまだ二年しか経ていない。米軍の空襲で東京にはまだ焼野原が残り、街に闇市が並び、都会の人は田舎に買い出しに出かける食糧難の時代であった。復興など口に出せるような状況でもなかった。連合国に占領されたままの日本であった。国際水連からも追放されており、日本人が出した世界記録など問題にもされなかった。悔しい思いに駆られても、どうすることもできない時代であった。
ロンドンオリンピックが開催されたのはその翌年である。当然ながら日本は参加を許されていない(ドイツも同様であった)。これも戦争の罰の一つであった。日本とドイツだけが責任を負わされたのは戦争に負けたからである。世界記録を持った選手がいてもオリンピックに参加できなかった。
日本水連は一計を案じる。ロンドンで行われる水泳競技の時間に合わせて、日本選手権を開催したのである。ここで古橋廣之進は期待通り、400m自由型で4分33秒4、1500m自由型で18分37秒0の世界記録をだした。もちろんロンドンオリンピックの金メダル獲得者より数段いい記録である。日本中がこのニュースに湧いた。戦争に負けて打ちひしがれていた日本人の心に灯をともす怪記録であった。
だが、それでも欧米人はこのニュースを信じなかった。物資不足の日本では自由に水着なども買える状況ではなかった。日本では昔から水泳と言えば褌(ふんどし)である。この話を聞いた欧米人は、フンドシという怪しげな水着を着て不正な記録を出したと、本気で信じていたのである。笑い話のような本当の話であった(これは後日、古橋がテレビで語っていた)。
あまりにも日本が騒ぐので、それならアメリカに来て泳いでみろ、という話となった。1949年の全米水泳大会に日本から古橋を含む6選手が招待されたのである。戦後まだ数年しか経っていない。反日感情が渦巻くアメリカ本土へ乗り込むのは命がけであったという。それでも6選手は日本の名誉をかけて出かけた。そして、彼らはアメリカ人の目の前でアメリカ選手を圧倒する。古橋は400m、800m、1500mで世界新記録を叩き出した。アメリカ人は嘘だろうと思っていたことが現実だったことに驚愕した。マスコミは古橋廣之進を「フジヤマのトビウオ」と最大限の言葉で称賛し、世界に発信した。古橋を世界が認めた瞬間であった。日本と言えばフジヤマとゲイシャくらいしか知識のなかった欧米人にトビウオの名前を記憶させたのである。かくして古橋は一夜にして、世界のヒーローになったのである。戦後の日本人に誇りを呼び戻したヒーローと言っても過言ではない。その出発点に1948年のロンドンオリンピックがあったのである。
晩年、古橋はテレビのインタビューでこんな話もしていた。「当時は食糧難で食べざかりの少年には苦しい時代だった。毎日、芋ばかり食べていた。あのときのエネルギー源は芋だった。芋パワーが世界記録を作ったのかもしれない。日大に入学して水泳の合宿が一番楽しみだった。なぜなら、合宿でご飯が食べられたから。白いご飯はなによりの御馳走だった」。現代の日本とあまりにもかけ離れた社会状況だったのである。
フジヤマのトビウオと称賛され、生涯に33回も世界記録を打ち立てた古橋であったが、オリンピックには縁がなかった。1952年にはヘルシンキ大会があった。日本もようやく占領時代が終わり、復活参加が認められた。だが古橋は水泳選手としての全盛期が過ぎていた。しかも1950年の南米遠征で罹ったアメーバ赤痢が完治していなかった。それでも古橋はヘルシンキ大会で400m自由型に出場、決勝までコマを進めた。結果は8位。最下位であった。その時、実況を担当したアナウンサーが言った。「どうか古橋選手を責めないでください」。古橋がどれほど日本人を勇気づけ、日本復興の力となったか、アナウンサーは知っていたからである。当の本人は自殺を考えたほど、負けたことに打ちのめされていたという。当たり前だが、彼を責める日本人などいなかった。今年のロンドン大会で北島康介が平泳ぎでオリンピック三連覇を達成できなかったが、彼を責める日本人などいなかいのと同じである。
今の日本は戦後の時とは相当に事情が違うが、デフレ不況が長引き、経済状況は暗いニュースばかり。政治家の無能ぶりが浮き彫りになる中で、昨年、東日本大震災が起きた。原発事故が追い打ちをかけた。まさに悲惨な状況の日本となっている。こんな時にオリンピックにうつつを抜かしていいのかという批判もある。だが、思い出してほしい。フジヤマのトビウオが戦後の日本人の支えとなり、誇りとなったように、スポーツが日本復興の大きなばねになり、日本を元気づける大きな要素がそこにあることを。
今回のロンドンオリンピックは、日本の「チーム戦」が目をひく。男女のサッカーはもちろん卓球、バレー、フェンシング、体操などだ。水泳もリレーで力を見せた。いわゆる団体戦においてふだんの力以上を発揮して、いい成績を残した。それが今大会の日本の特徴であったように思う。まるで苦境の日本のためにチーム力をつけているかのように映った。少なくてもそういうふうに感じてもいいのではとも思った。
ここで記述した古橋廣之進の記憶は実際に見聞きしたものではない。親からそして学校の先生から、オリンピックの度に、たっぷりと聞かされた話である。語り継がれる伝説になるほど当時の日本人の心に強く残っていたということである。親が子供に語り継ぐ時代のヒーロー(第二・第三のトビウオ)がこれからも登場してほしいと願う。日本人の「誇り」のためにも。そのためなら、もう一度東京オリンピックを、というアイディアも悪くない。
*なでしこは、おしい銀メダルだった。でもよくがんばった!
時代を象徴するような勢いですね。
男もがんばれ、がんばれ!
男どもはどうしてしまったのだろう。柔道も金なしですから。ま、そんな時代と言うことなのでしょう。
道東は近頃天気が悪く、寒い毎日です。暑さは大丈夫ですか?こちらに戻ると驚かないように。風邪にご注意ください。