原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

リラの花咲く頃

2012年06月12日 07時46分10秒 | 自然/動植物

 

道東の街や野にリラの花が咲く季節となった。リラはフランス名(Lilas)、ライラックが英語名(Lilac)、そして和名はムラサキハシドイ(紫丁香花)。いろいろな呼び名がある。ハシドイを丁香花と書くなんていかにも日本語的。香り立つ雰囲気がよく出ている。香水の原料となる花にふさわしい。市の花でもある札幌ではもうとっくに「ライラックまつり」は終わっているが、道東はこれからが本番。この北国の花は昔から多くの歌人に親しまれ、歌に詠まれている。花ことばは友情、純潔、初恋、青春の思い出など。人はこの花に若き日の思いを込めているかのようだ。

 

リラの原産地はバルカン半島のアフガニスタンである。現在のこの地の混迷を思うと、美しい花ことばとあまりに現実がかけ離れている。なにかと複雑な思いが交錯する。幸せや平和を願う気持ちは時代が変わっても不変のはずなのに、どうしてこれほど乖離するのか。人類はそれほど愚かだと言うことなのか。リラの花を眺めながら、吐息が漏れる。

 

札幌にリラの花を最初に持ち込んだのはアメリカ人らしい。明治時代、札幌の北星学園の創始者(サラ・クララ・スミス)がアメリカの自宅から持ってきて植えたのが始まりと、学園の歴史に記録されている。いつの間にかリラ(ライラック)が札幌の象徴となり、北海道各地に広がっていった。一人のアメリカ人の思いつきというか、故郷の庭を忘れたくないための個人的な感情がここまでの広がりと定着をみせるとは、本人は夢にも思わなかったことだろう。世の中は人の思惑とは関係なく、意外な方向に展開することもあるということなのか。

 

歌人であり脚本家として知られる吉井勇が1955年に札幌で詠んだのが、「家ごとにリラの花咲き札幌の人は楽しく生きてあるらし」。昭和30年にはすでに市の花として定着していることを物語っている。

たぶんそれより以前の作品だと思うが、俳人として大正から昭和にかけて活躍した、後藤夜半が「日本語の美しきときリラの花」と詠んでいる。これが札幌のリラなのかどうかは不明なのだが、リラの花に日本的な美しさを重ねて詠んだ歌として、実に印象的だ。

 

リラをさらに印象的にしたのが俳人の榛谷(はんがい)美枝子。1960年(昭和35年)に札幌で詠んだのが「リラ冷えや睡眠剤はまだ効きて」。リラ冷え、と言う言葉を初めて披露した。その十年後に作家、渡辺淳一が小説「リラ冷えの街」を発表し、その言葉は日本中に広がっていった。

日本中が梅雨の鬱陶しさに悩む頃、梅雨のない北海道ではリラの花咲く時期に、一時的な冷え込みがある。榛谷美枝子はこの気象を「リラ冷え」と名付けた。花冷えという言葉は昔からあるが、彼女は素直にこれをリラの花と結びつけた。俳人の感性がそう言わせた。しかし、彼女はこの時代から睡眠剤を使わなければならない状況であったのかと、別の思いもよぎる。

 

宝塚歌劇団のテーマソング「すみれの花咲く頃」は作詞が白井鉄造で作曲はフランツ・デーレ(オーストリア人)。この原曲がシャンソンの「リラの花咲く頃」であることはよく知られている。しかし、その前があって「ライラックの花の咲く頃」というドイツ語の歌が原曲(1928年)であった。リラを日本的なすみれに代えて歌が完成したもの。原曲が生まれた時はドイツ帝国の全盛時代、ヒットラー総督お気に入りの歌であったとか。ドイツで大ヒットしたのちフランスのシャンソンとしてヒットした。ナチスのお声がかりでヒットした曲だと言う話も聞いた。これまたちょっぴり複雑な気分となる。芸術に造詣の深かったヒットラーが思い浮かぶ。

 

リラは和名のムラサキハシドイでも分かるように基本は紫の花であるが、白い花もある。この白い花はヨーロッパの人はあまり好みではない。理由がある。白いリラを家に持ち込むと不吉な災いを呼ぶとされているからだ。特に年頃の娘を持つ家では禁止されている。婚期を逃す花であるらしい。誰がどのような根拠でそう言いだしたのか分からない。たかが花の色だけのことなのだが、人間はより複雑に考えるものらしい。

一方で、幸運の話もある。リラの花弁は四枚が基本であるが、まれに五弁のリラがある。このリラは幸運を呼ぶとされている。四つ葉のクロバーと同じで、希少価値に対する幸運伝説である。

 

それにしても、たった一つの花でさえ、世界中に広がる物語が次々に登場する。自然界と人間生活は、かくも深くつながっているかとあらためて知る思いだ。

 

6月に入ってからの道東はあまり良い気候となっていない。蝦夷梅雨というほどではないのだが、曇りが多く雨も時折降る。朝晩の寒さも4月並み。連日朝は3度前後。今朝(12日)はついに零下を記録した。なるほど、これが「リラ冷え」なのか、と実感する。

 

*学名:Syringa vulgaris。モクセイ目、モクセイ科、ハシドイ属、ライラック種。学名のSyringaはギリシャ語のSyrinxが語源とか。Syrinxとは笛やパイプのこと。リラの枝から笛やパイプを作っていたところからその名がついた。笛とパイプはまったく違うものだが、木の中をくりぬくと言う意味で共通しており、その形からつけられた名前なのだろう。


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2 コメント

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ムラサキハシドイ (numapy)
2012-06-12 18:01:06
この間から、リラ、ライラックを日本語でいえばなんだったっけ?と思いだせずに、ただ、調べもせずそのたびに「なんだったっけ」と言うのでいらいらしていたのが、お陰さまで今日すっきりしました。ありがとうございました。
今日はもう一個、すっきりしたことがあって、野中温泉別館の露天風呂に入ってきました。確かに混浴です。もっともオイラ一人が男風呂に入ったり、女風呂に入ったりでしたが・・。疑問が解決して気持いい。
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温泉は良かったですか (genyajin)
2012-06-13 08:32:17
私的には野中温泉の湯は川湯並みに良いと思います。ただ、昔のままなので、洗い場の問題がありますが、お湯は断然お勧めです。
忠告ですが、あの露天風呂は決して混浴ではありませんので、誤解のないように。一応、間仕切りがあり、それ以上の進出は禁止されておりますので、次回の際はくれぐるもご注意ください。ま、あやふやな間仕切りですから、間違ったと言えばすむとは思います。もっとも女性たちはその情報を知っていおり、さすがに人気はないので、多くの場合間違いはないと思いますが、念のため。
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