闇夜の烏の変な世界

とりあえず、何にでも興味持ちますw
日々、気になった事を日記感覚でアップしてみようかと。

グループホームへ母は

2021-10-23 01:58:35 | 日記

既に昨日、か。

 

かねてより脳の病気で奇行が進む母。

最初に異変に気付いたのはもう5年以上前。

親戚で旅行に行った際、一人だけ口数が少なくて会話にあまり入ってこなかった。

今思えば、この頃には既に病気が発症していたのだろう。

 

もう8年近く前、脳出血で入院。

2度目の発症でリハビリ施設に入っていた父が他界した。

何年も入院してた父を面倒見ていた母の口から、次第に愚痴が増えていった。

病気だから仕方ないのに「やる気が無い!」「ほかの人を見習え」等々、罵倒に耳を疑った。

リハビリで頑張る父が蚊の鳴くような声で話してるのを大声で遮る母。

「お父さんちゃんと言ってるよ」と諭しても全く耳を貸さず「何も言ってないわよ!」って逆切れする母。

結局、弱っていった父からどんな思いをしていたか聞く事は叶わなかった…。

 

父が亡くなる前日、母と二人で見舞いに行っていた。

だが、行きの車の中で母が耳を疑うような父の悪口を連呼するのに怒りが爆発。

自分はそんな母と一緒に父の前に行く気にはなれず、母一人に行かせて車で待ったのだった。

見かたの問題だが、恐らくこれが最後の父との面会チャンスだったのを母が潰してしまったと言えなくもない。

翌晩、残業中に携帯が鳴り、父の容体が悪化したと聞きタクシーを飛ばして病院に着いた時には既に冷たくなっていた。

この時から自分の中で母の身勝手な人生を盾となり養護し続けた父の無念を思うと、許しがたい怒りが常につきまとっていた。

 

母の虚言癖は日に日に悪化。

気に入らない事は平気で嘘を並べ、友達さえもあざむいていた。

気付けばご近所、親戚、周りの人々の私を見る目が怪しくなっていた。

何でもかんでも悪い事は私の責任だと触れ回っていたと気づいた時には家の外にも出れない悲惨さだった。

ある時は全然知らない通りがかった人をつかまえ「うちの息子はこんなに酷いんですよ!」と悪口をのたまわっていた…絶句。

仕事が休みの日は車で遠くに逃げるように出かけるか、深夜に車で出かけるか以外はほとんど引き籠るしか無い日が何年も続いていた。

 

母の嘘を明かすため説明すると、大概は「たった一人の家族なんだから、もっとおかぁさんを労わってあげなきゃ可哀そうだよ」と逆に諭される日々。

完全に周りは母の嘘に騙されていた。

 

正直、私は心身ともに疲弊し切っている。

もうどうでもいいやって割り切らないとやってられない。

 

そんな中でどうも母の様子、言ってる事が変だと周りが気付きだしたのが約2年くらい前。

「実際はどうなの?」って聞いてくる親戚に、「だから説明してきたじゃないですか、母の嘘に騙されて耳を貸さなかったのはあなた達でしょ?」と言うと一様に申し訳無さそうな顔をする。

…何をいまさら。

 

父の闘病は結果が出なかったが本人が必至に頑張っていたのを私は見てたし、知っている。

周りは母の「本人やる気が無くてどうしようもない輩だ」という嘘を刷り込まれているので、私が母の父を愚弄する鬼のような仕打ちをどうしても許すことができないと言うとそれでも仕方ないと許せと言う。

正直、自分が母を許してしまったらここまで貶められた父の威厳が成り立たない気がして納得がいかない。

 

昨日、母を施設に入れるまで、私と父の威厳 対 母と母のグループ 的に敵対していたようなものだった。

息が詰まるように苦しかった。

 

帰宅すると家の明かりは消え、雨戸がハンパに開いていた。

午後、半ば無理やり母を連れ出したそうで、家の中はほとんどそのままです。

ハンガーには母の服が掛かってるし、ソファーには母のひざ掛け、部屋には携帯電話(持っていくの忘れたらしい)がそのままだし、いたるところがそのまま。

だからだろうか、フラッと母が返ってくる気がして今はまだ違和感少ない。

 

居る時は奇行の数々に何度も大声で「出てけよバカ!!!」って叫んだものの、いざ出ていくと不思議な感覚に見舞われるものですね。

別に帰ってきて欲しいわけでは無いハズなのに。

まぁ健常だった頃の母なら帰ってきて欲しいかな。

 

よくよく考えれば生まれてこのかた一度も一人暮らしなんてした事が無い。

家を出たいと思ったこともあったはあったけど、結局成り行きというか実家暮らしで今に至る。

母が家を出た事で、他界した弟と父 でとうとう我が家最後の一人になったといやおうなしに実感する。

正確にはまだ事態を理解できていないのでしょう。

日を増すごとに1人になった事を痛感すると思われる。

 

独り立ちって普通は若い頃に経験し、自立を得るというからこの歳になって晒されるのは「手遅れ」って言うのでしょうね。

 

もう少し日が経てば、実害の無くなった母に感謝とか許しを思えるようになるのかもしれない。

自分も母も決して若く無い。

お互い残された時間はタップリではないのだから、せめて施設で楽しいと思える時間を謳歌してくれればと願うべきでしょうね。


揺れた、久しぶりに派手に揺れた!!

2021-10-08 01:32:19 | 日記

ぼーっとテレビを見ながらスマホでゲームしてた。

「ゴーーーー」って段々音が大きく

地鳴り!?

そう思った直後に部屋が鳴り出して大きな横揺れが!!!!

スマホは画面が切り替わり、緊急地震速報の表示と不快なあのケタタマシイ音が鳴り続いてる。

 

幸い部屋は雑雑してるけど何も倒れたり落ちたりしなかった。

震度4ちょいってところらしい。

 

いやいや、ラフな格好でベッドにくつろいでたから慌てて多少の身なりを整えた。

いざ大地震が来たら逃げ出せるように、ベッド脇に数日分の食料や便利グッズを入れたリュックを置いている。

本当にあの東日本大震災の時みたいになったら落ち着いてリュック持って非難できるかな…

 

明日からまた仕事、余震が怖い。


服部牧場での休日

2021-10-08 00:40:56 | 日記

本日お休みDay♪

一日車検のためにアクセラを車屋に預け、代車にいつもの軽自動車(550cc)を借りた。

整備したのか以前借りた時のガタピシが無く、普通に走れて助かった(CVTは馴染めないが…)

車検代をおろすために銀行に寄り、薬をもらうために病院へ。

あ、病院休みだって、空振り。

 

さぁ、家に帰ってもヒマだし。

前夜、残業中に同僚から「服部牧場」ってアイスが美味しかったよって聞いたのを思い出した。

宮ケ瀬のちかくなら古い軽自動車でもトコトコと下道でお気楽ドライブには丁度いいかなw

HPを見ると美味しそうなジャーマンドックが、「お昼ご飯はコレだ!」(^ ^

 

大通りを避け、あえてローカルな道を選んで車窓の景色を楽しみながら徐々に山の方へ。

生憎、たまにワイパーが必要な雨が降る、気温は窓を開けたい丁度良さなのに。

 

鳥屋を抜けて宮ケ瀬湖へ着くも、何か牧場が見当たらない。

スマホで検索したら途中で見事に通り過ぎていた💦

ナビモードにしてグルリと4Kmほど山を下った。

 

国道脇に大きな「服部牧場」の看板が、これを見落としてた自分って…。

入り口までずっと急な坂道、550ccの軽自動車のエンジンは常時唸りっぱなしで速度が出ない。

 

急に視界が開け、牧場の景色が広がる。

何かちょっと異空間?

 

道路の小さな案内表示をチェックしながら砂利の駐車場へ。

途中、狭い道だったり、側溝なのか路面に大きな起伏があるので、大柄な車や、車高を落とした車(亀の子必至)は絶対に避けるべきです!!⇦ここ重要

土の坂もあるからタイヤの山が減った車も要注意。

 

おー、牧場です♪

高校時代を思い出しますw

私、獣医大付属の高校(同じ敷地にある)だったので、校庭の横は馬庭だったし、逃げてきたヤギや羊が授業中に教室を闊歩するなんて経験が。

匂いも懐かしい~

 

おお、HPにあったアイスが売ってる場所です。

先ずはお腹を満たしたいのでデザートは後回し。

 

ちょっと奥まった場所にソーセージとか売ってる建物。

左裏に綺麗なトイレがあり、写真では切れてますが左に屋根付きのバーベキューエリア(要予約)が。

写真では小さくて分かり辛いのですが、画面中央のドア手前に「入れてくれー」とないてる猫がいますw

 

はい、ドイツ風ホットドック!

挟むソーセージは粗びきと絹びき(だっけかな)が選べます。

私は粗びきで。

挟んでるパンみたいなのは意外にシッカリとした歯ごたえがあった。

肝心のソーセージは何もつけなくてもしっかりと味がある。

というか、噛んだ瞬間に中からジュワーって濃厚な肉汁が溢れ出すソレはたまりませんでしたワ!

確か何種類かのドイツビールもあるみたいだから、呑める人にはたまらないドイツ味ですね、これは。

 

土日限定でフライドポテト、冬季限定でコーンスープが買えるようですが何れも無かった。

もう少し寒くなったらホットドック2本にコーンスープで贅沢な昼食、行く、絶対に行く!

 

先ほどのジェラートが売られてる建物へ移動。

意外と沢山のメニューがある印象。

 

せっかく新鮮なミルクがある牧場ならバニラ、と思うも「限定」の二文字に魅せられて「マロングラッセ」をチョイス。

カップでシングル。

見た目はそんなに栗では無いけど、食べたら甘さ控えめで大人向けの「マロングラッセ」♪

生憎の天気だったけど、大満足。

因みに、ソフトクリームではなくジェラートで頼みました。

 

山間の牧場、ノンビリと解放感が何とも贅沢です。

平日だったからか、駐車場も各店舗もガラガラで「密」は無し。

人よりこの羊や牛の方が数が多いw

 

砂利の駐車場だけど無料だし、気軽にフラっと寄るにはいいですねー。

以前はキャンプサイトもあったようですが、利用者が少なかったのか現在は終了との事。

うーん、知ってたらお一人キャンプで使ってみたかった。

 

牛、デカ、やっぱりデカイ。

こんなの間近で見たら小さいお子さんとか大喜びしそうです。

 

圏央道、相模原ICからほど近い場所にドイツっぽいこんな牧場があるのは地元民なのに知らなかった!

コロナ禍で、恐らく観光が主のココも来場者減で家畜のエサ代や従業員のお給料等々、相当大変と想像します。

緊急事態宣言は解除されたし、是非皆さんに足を運んで欲しいと思うのでした。

 

さて、お腹は満たされて時間も押してきたので山を下りて、これまた下道でトコトコと帰宅。

家のエアコン付属リモコンが死んでるのに気づき(困った!)、バラバラにしてたら車屋から「車検終わりましたー」って連絡が。

車検証は後日になるけど、検査は終了、アクセラ2回目の車検です。

エンジンのファンベルトに切れてはいないけどササクレが少しできていて、切れたら走れなくなるから部品取り寄せますとの事。

見せてもらうと確かに表面に荒れてるというか、細かい亀裂が出来始めてるのが目視で分かる。

転ばぬ先の杖、部品が揃ったらもう一度ドックに入れます。

 

あと、フロントブレーキのローターがかなり掘れてきていて、端に段差が指の感覚で分かる状態。

こちらはネットでローターを注文したけど間に合わなかったので、ファンベルトと一緒に後日交換の予定。

エンジンオイルも前回交換から日が浅いので今回は交換見送り。

もう少し距離を走ったら純正ではなく、もう少しグレードの高いオイルに挑戦してみるつもり。

また出費が嵩むなぁ。

 

密度の濃い休日でした。


昭和のクルマといつまでも に 前田さんが、でも…

2021-10-02 00:45:39 | 日記

昨晩、録画しっぱなしの「昭和のクルマといつまでも」を見た。

ら、ビックリ!
世田谷?
前田オート??

まさか!?

 

テレビや映画へ古い車をレンタルしてるって所で確信が。

「前田村長のところだ!」。

 

もう30年以上も前の話です。

スポーツカーに憧れてた私が、高校の元同級生同士でスキーに行った時に起こった大事件。

冬季閉鎖の林道へ夕方に迷い込んでしまい、友人が超自慢だった日産の「ブルーバードSSSアテーサ」がスタックに継ぐスタックでトランクは凹み(手で押したら簡単に凹んだ)、バンパーは外れ(牽引フックの位置が悪くボディーをメクリあげた)新車がみるみるボロボロに。

今の日産4WD(GT-Rとか)に繋がるフルタイム四駆の第一弾(アテーサ)も、吹き溜まりが出る雪道では何の役にも立たなかった。

 

たまたま三菱のJ-53 ジープを持ち込んでた友人は、スノータイヤでも無いのにノーチェーンで普通に走れてブルーバードがスタックするたびに牽引して逞しかった。

 

この時、一緒にいた仲間のうち3人(私を含む)が「クロカン四駆って凄い!! 無敵だ」って憧れ方向がスポーツカーからクロカン四駆に一気に傾倒。

その後数年で全員 三菱ジープ のオーナーになったのでした。

 

この時、四駆に憧れたもののオーナーになるには不安がいっぱいだった時期に、知り合いから山中湖に面白い場所があると聞きました。

前田さんという方が所有する 「山中湖ジープ村」。

敷地に古いジープだけでなく、軍用車や雪上車などが置かれていて楽しいとの事。

話を聞いた翌週、普通の軽自動車でジープ村の入り口(奥は四駆でないとスタックして入れない)まで行き、徒歩で中に入るもクローズ日で誰もおらず。

数々の軍用車を見て驚き、帰宅。

 

その後、前田さんと交流のある方が連絡を取って下さり、オープン日に再びジープ村へ。

敷地のあちこちに写真でしか見た事無い軍用車とかが集まっていて、不思議な空間でした。

そこで初めて前田村長と対面し、ジープのボンネットに豚の頭(だったとおもう)を乗せてる姿に心底驚かされたっけ💦
オシャレな帽子を被り、気さくな前田さん。

小屋を開けてたので、中に並べられた軍用グッズから何点もお買い上げさせて頂いたw

 

そんなのを見てたお客さんが、「四駆に興味があるの? でも乗った事無いのか。ウチの運転してみなよ」。

って、快く貸して下さった車がコレ。

ランドローバー・シリーズⅢ。

英国の有名な四駆で、もちろん見るのも初めて。

どっかの大学の自動車部がアフリカ横断レースに使った車両だと聞いた。

かくして、私の人生初のクロカン四駆はランドローバー・シリーズⅢとなり、山中湖ジープ村の敷地を何かのアトラクションのように走り回ったのでした。

(一緒にM38A1とGPWがラインどりとか並走してアドバイスしてくださるって夢のようでした)

そんな前田さんは素敵な方で、このジープ村で度々お世話になってたので誰言うでなく「前田村長」と呼ぶようになってました。

JUMPの上野さんや前田さん、JJCの黒岩さん、TAX町田の生井さん等々。

日本のCCV草分け的な凄い方と交流できたのは、本当に私の宝物になりました。

 

時は流れ、CCVブームが去り、NOx総量削減法等でクロカン四駆が世の悪者に祭り上げられると一人去り、二人去りと自然消滅していきました。

前田村長と最後にお会いしたのは上九一色村にあったオフロードパークでのイベントだったかな。

M556ガマゴート を持ち出した時かもしれない。

 

TVには奥様が出て来たが、村長が2年前に他界してたと放送され 「マジか!!」って大声出してしまった。

あれだけお世話になってたのに、全然知らなかった。

 

素晴らしい青春の日々に彩りを与えてくれた前田村長に心からお礼を述べるとともに、ご冥福をお祈りいたします。