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タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹林や自然と共に生きる」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

広島で戦争と平和について考えた!&4月のブログインデックス

2025年04月30日 | 徒然なるままに

ようやく今回の「松山&広島旅行」から自宅に戻ってきました。ですが、もうしばらく旅行記におつきあいくださいね。まだ数日間は続く予定です。(笑)

松山で2日間を過ごしたボクらは、今治から「しまなみ海道」を通って本州に戻りました。次の目的地は広島です。

翌日のサッカー観戦(アルビレックス新潟Vsサンフレッチェ広島)が広島訪問の目的だったわけですが、広島での1日目は夕方に約束していた学生時代の友人と再会を前に、平和記念公園界隈を散策したりして過ごしました。やっぱり広島に来たからには、原爆ドームや平和記念資料館などを真摯に見学しようと考えたのです。

ボクら夫婦にとって14年ぶりの広島でしたが、何度訪れてもこの地ではいろいろ考えさせられます。原爆、平和、戦争……。胸が苦しくなるような思いもいたしました。

平和記念資料館を見学するのは30年ぶりでした。30年前とは展示が一新されており、新たな気持ちで資料館を見学しました。平日でしたが多くの外国人観光客が訪れており、館内はとても混んでいました。しかし、その展示の内容に多くの方が衝撃を受け、無言で食い入るように展示を見学していました。ボクらも新たな衝撃を受けながら、2時間弱をかけて見学を終えました。館内は撮影自由だったのですが、とてもスマホのシャッターを押す気持ちにはなれませんでした。

その後、記念公園内を散策しながら、自分の心の中を整理する時間にあてました。新たに衝撃を受けましたし、考えさせられました。そして「戦争を繰り返してはいけない」ということを重く再認識しました。世界中の多くの皆さんにも訪れてほしい、考えてほしいと思いました。

では、記念公園内の写真を何枚かどうぞ。撮影した時間帯が、翌朝のものもあります。

4月も今日でお終いですので、今月のブログ記事を整理しておきたいと思います。今月もお読みいただき、ありがとうございました。広島での話題は、もう少し続きます。


・戦争と平和について考えた!&4月のブログインデックス(2025年04月30日)
じゃこ天・鯛めし・きびなごの天ぷら(2025年04月29日)
・「ミュシャ展」と「坂の上の雲ミュージアム」(2025年04月28日)
・松山城に向かって走る!(2025年04月27日)
・走りに走った870km!(2025年04月26日)
・合理的にあり得ない(柚月裕子)(2025年04月25日)
・食べる宝石「琥珀糖」づくり!(2025年04月24日)
・いのちの車窓から2(星野源)(2025年04月23日)
・福寿温泉「じょんのび館」(2025年04月22日)
・「県ベテラン卓球大会」に参加してきました!(2025年04月21日)
・最高!高橋優のライヴコンサート!(2025年04月20日)
・人生47回目の献血(2025年04月19日)
・「初タケノコ」と「タラの芽」(2025年04月18日)
・亡き父が建てた家の解体記録(2025年04月17日)
・ブログはもうオワコンなのかな?(2025年04月16日)
・あずかる孫が2人になりました!(2025年04月15日)
・森の湯小屋「さぎの湯」(2025年04月14日)
・「おはようマラソン」でリカバリーRUN!(2025年04月13日)
・燕さくらマラソン(ハーフ)を完走!(2025年04月12日)
・今年度の「まちキャン」が始まりました!(2025年04月11日)
・俺たちの箱根駅伝(下巻)(2025年04月10日)
・ポリープが5つもあった!(2025年04月09日)
・DIE WITH ZERO(ビル・パーキンス)(2025年04月08日)
・日本青年館に興奮した!(2025年04月07日)
・「鯉津」が真打に昇進して「鯉づむ」になった!(2025年04月06日)
・「燕さくらマラソン」まで1週間!(2025年04月05日)
・浮き上がる液体の泡(2025年04月04日)
・今シーズンも「日帰り温泉パラダイス」(2025年04月03日)
・ボクのNSP人生(ブログ記事のリンク集)(2025年04月02日)
・鼓動(葉真中顕)(2025年04月01日)


「ミュシャ展」と「坂の上の雲ミュージアム」

2025年04月28日 | 徒然なるままに

松山での話に、もう少しお付き合いください。松山での2日目のこと。義母の3回忌法要やその後の会食も15時前には終了し、その日も松山に宿泊する予定だったボクらはちょっと時間が空きました。「よ〜し!せっかくだからホテルの近間で松山観光をするぞ!」ってことで、ボクらが向かったのは愛媛県美術館です。ここでは「ミュシャ展」が開催されていました。

チェコ出身のアルフォンス・ミュシャ(チェコの発音では「ムハ」、1860-1939)は19世紀末のヨーロッパで巻き起こったアール・ヌーヴォーの代表的な画家です。 美術館で開催されていた特別展では、パリ時代のポスター作品や装飾パネルに加え、図案集、雑誌、ポストカード、商品パッケージ、そして故郷チェコに帰国した後に制作された大作《スラヴ叙事詩》に関する資料など、約500点のミュシャ作品が公開いされていました。いやぁ〜魅力的でしたね。目の保養をさせてもらいましたよ。

この展覧会は「写真撮影自由」ということでしたので、少し撮影をさせてもらいました。

まぁこれだけ多くの美女画を目にすると、嬉しくなちゃいますよね。キレイだなぁ…。

はい。撮影スポットで、女房も記念撮影です。いやぁ〜いい展覧会でしたよ。たまたま来た松山でこんな機会に恵まれるなんて、ラッキーでした。

美術館を後にしたボクらが向かったのは、歩いて数分のところにある「坂の上の雲ミュージアム」です。

小説「坂の上の雲」は司馬遼太郎の小説です。近代国家の形成期の世界や日本で起きた出来事、そのなかで生きた人びとの人生など多くの物語が描かれ、現代を生きる私たちに大きな示唆を与えてくれます。松山の出身で、日本陸軍における騎兵部隊の創設者である秋山好古、その実弟で海軍における海戦戦術の創案者である秋山真之、真之の親友で明治の文学史に大きな足跡を残した俳人・正岡子規の3人を主人公に、彼らの人生を辿りながら物語が進行します。

ボクは原作は読んだことはないのですが、NHKで放送された大河ドラマが好きでね。最近の再放送も楽しみに見ていたんですよ。

 

坂の上の雲…再び - タケ・タケ・エヴリバディ!

この秋から、NHKで再放送をしている「坂の上の雲」を見ているんですが、これがとても面白いです。2009年から放送が開始された当時も、ボクは間違いなく見ていたはずなのです...

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「坂の上の雲ミュージアム」は、平成19年4月に『坂の上の雲』のまちづくりの中核施設として誕生したそうです。「一度は行ってみたい」と思っていたこのミュージアムを、今回は念願かなって訪問することができました。

地下1階、地上4階建てのこのミュージアムは、建築家・安藤忠雄氏による設計です。この建物の外観や設置環境も素晴らしくてね。立地する周辺(松山城・萬翠荘)との調和を図りつつ、松山城の景観に自然と歴史を感じる造りになっています。各階はひとつづきのスロープでつながっており、これは『坂の上の雲』を目指して坂をのぼっていった主人公たちに想いを馳せて設計されたもので、空に向かって広がった逆三角錐の建物になっているのあそうです。なんて斬新!

ミュージアム内の展示については撮影できませんでしたので割愛しますが、とても魅力的で楽しいミュージアムでした。いやぁ〜ヨカッタな。勉強にもなりました。それにしても、松山って魅力的な街ですね。いいところだなぁ…ってしみじみ思いました。

 


走りに走った870km!

2025年04月26日 | 徒然なるままに

実はちょっと旅に出ています。今日の早朝4時に自宅を出発しましてね。高速道路の北陸自動車道に乗って、ひたすら走りました。妻と2人のロングドライブです。

長い新潟県をようやく抜け、5時40分に富山県の有磯海サービスエリアで朝食です。

白エビかき揚げの天ぷらそばをいただき、お腹ががいっぱいになったところでまた走り続けます。次の休憩地点はこちらです。

午前8時に福井県の南条サービスエリアで小休憩です。さらに走り続けます。ようやく北陸自動車道とおさらばし、米原ジャンクションで名神自動車道に乗り換えです。

9時50分に滋賀県の大津に到着しました。ちょっと運転も疲れてきましたが、まだまだ先は長いです。京都や大阪の風景を横目で見ながら(太陽の塔を今回も間近に見れました)、いよいよ本州とオサラバです。

神戸から明石大橋を渡り、淡路島に到着したのが11時45分でした。しかしまぁ、人類はスゴイものを作ったものですね。感心しながらお昼をいただきました。

お昼に食べた「淡路牛とじ丼」です。美味かった!景色も最高!さぁ!いよいよ四国に上陸です。徳島県から高松道を走り、今日の最後の休憩地点は府中湖サービスエリア(香川県)です。

ここで休憩したのは14時10分。いよいよ目的地が近づいてきました。ここにはこんなポスターもありましてね。四国生まれ&四国育ちの妻は懐かしくて興奮しておりましたよ。

今日の最終目的地である松山市(愛媛県)には、16時ちょうどに到着しました。新潟県長岡市の自宅を出発してからちょうど12時間。870kmのロングドライブでした。愛媛県出身の妻と結婚して40年以上が経ち、こうして新潟県から愛媛県に自家用車を運転してくるのは何回目でしょうか。既に両親を亡くしボクらも高齢になりましたので、「四国に車で来るのは今回で最後にしようか?」と妻と相談して今回のロングドライブになりました。ドライバー役のボクとしても、ちょっと感慨深いですね。

今晩は、義妹夫婦と楽しい語らいの時間をもちました。美味しい料理(黒毛和牛のしゃぶしゃぶ、美味かった!)に舌鼓を打ち、適度なアルコールもいただき長旅の疲れも癒えました。で、明日は義母の3回忌です。


最高!高橋優のライヴコンサート!

2025年04月20日 | 徒然なるままに

昨日の4月19日の夕刻に、長岡市立劇場で「高橋優のライヴ・コンサート」が開催されました。高橋優というのは、ボクら夫婦が数年前から推しているミュージシャンです。今時の若者世代のミュージシャンなのに、ボクら昭和フォーク世代のハートをも鷲掴みにするメッセージ性のある歌詞とハートを揺さぶるサウンドに惹かれ、ボクらは数年前から県内はもちろん県外のライブ会場にも足を運ぶようになりました。彼に関する昔のブログ記事もよかったら見てくださいね。

高橋優と”あいみよん”
●高橋優「ReLOVE & RePEACE」
高橋優のライブに行ってきた!
●高橋優の新アルバム「HAPPY」
高橋優の「キセキ」にハマっています!

昨日のライヴはビッグスワンでのアルビレックスのゲームと日程が被ってしまい、ボクらは苦渋の選択で「高橋優のライヴ」を優先しました。ゲーム終了と同時に大急ぎでスタジアムから長岡に戻ってくれば間に合うかもしれなかったのですが、あせって高速道を運転したりするのも嫌だったので、今回は自宅でのTV観戦でアルビ応援し、その後でライヴ会場に移動しました。シーズンパスや駐車チケットは、サポ仲間にお譲りしたんです。

このブログをお読みの皆さんはゲーム結果をご存知かもしれませんが、アルビは京都に逆転負けをくらいました。またしても勝てず…です。アルビサポーターとしては傷心の気持ち、どん底のメンタルでライヴ会場に向かったのです。今季ホーム初勝利もお預けとなり、順位表でもボトムに沈むアルビです。ライヴ会場に向かう移動の車の中では、夫婦の会話も途切れがちでした。漏れるのはため息ばかり。

そんな精神状態でライヴ会場に到着したのですが、ゴメンナサイ、アルビサポの皆さん。ライヴは超楽しく、最高でした。3時間の長丁場でしたが、高橋優の歌声やサウンドに酔いしれ、MCに大笑いし、拳を突き上げ、大声を上げ、絶叫し、大興奮でした。

今回のライヴツアーは、ニューアルバム「HAPPY」の楽曲を中心とした構成された「アルバムツアー」でした。いやぁ〜この「HAPPY」のアルバム、いいですよ。心に染みます。バックに流れる映像とのマッチングもすばらしく、曲に合わせたアニメーションに心をときめかせたり、秋田県の水害やその時の災害ボランティアの画像が映し出された曲では、高橋優がその曲に込めた願いを知ることができたりしました。彼の会場の盛り上げ方もさすがでしたね。新潟県内や長岡のこともたくさんMCで取り上げてくれ、会場は大興奮でした。

はい。ライヴ後の会場に、高橋優からの手書きのメッセージが投影されました。「撮影可能・SNSでの公開可能」の許可が出ているメセージなので、貼り付けさせてもらいました。実はランナーでもある高橋優は、ライヴ当日の昼間に信濃川の土手を7kmほどランニングしたのだそうですよ。その画像もライブ中に紹介されたのですが、ボクがいつも走っているのと同じ場所でした。ちょっと感激。この場所↙です。桜も満開でした。

アルビの敗北で傷心の気持ちで向かったライヴ会場でしたが、3時間のライヴで元気とエネルギーをもらい、パワーが漲った感じで会場を後にし自宅に戻りました。そうなんです。「アルビレックスの応援ができる」ってことだけで、ボクらはHAPPYなんですよ。勝つとか負けるとかは選手や監督にお任せしましょう。「推しのある生活」「推しのある幸福」を十分満喫しながら、これからも生きていきたい、アルビを応援し続けたいと思いました。高橋優!最高!アルビ!頑張れ!もっと頑張れ!


亡き父が建てた家の解体記録

2025年04月17日 | 徒然なるままに

ボクたち夫婦が現在住んでいる家は、平成16年の中越地震で大きく傷んだわが家の土蔵を解体した跡地に建てました。昭和の時代に父が建てた家と、廊下で接続するスタイルの家です。

その父が亡くなって、既に20年近くになります。ボクは父が建てた古い家の片付けを、「退職したらやるから…」と言い訳をして先延ばしにしてきました。古い家の中には、父母の代のみならず、祖父母の代やそれ以前の先祖の名残もたくさん残されており、片付け始める勇気がなかなか湧かなかったのです。現役時代は仕事も忙しかったしね。古い家は8畳間が3部屋ぶち抜きで繋がり、「いつでも自宅で冠婚葬祭ができる」っていうコンセプトで建てられた昔ながらの家です。

昨年3月に常勤の仕事を退職し、いよいよボクの言い訳もきかなくなりました。そして何年も使わずに放置された家は多くの箇所が傷み、数か所の雨漏りも発生し始めていました。そんなわけでボクは昨年ほぼ1年間をかけ、父が建てた家の片付けを継続的に行い、なんとか今年春の解体工事に向けて準備を進めてきたわけです。このブログでも、家の片付けに関するさまざまな出来事について記事にしてきましたので、覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。

「今の時代、家の解体は分別が大変で費用がかかる」「家を解体すると固定資産税が上がる」などの情報はもちろん得ていましたが、「ボクらが心身ともに元気なうちに片付けておかないと子どもたちの世代に迷惑をかける」「先延ばしにすればするほどボクらは老いる」「いろいろな地域(わが町内も)で解体されないで放置された廃屋が『倒壊の可能性』や『景観を損ねる』など心配な状況になっている」などの現状も鑑み、妻とも相談して今回の解体工事を決断しました。おそらくボクの人生における「最後の大きな買い物」が、今回の「家の解体」になることは間違いありません。あぁ退職金が…。

では、3月末からスタートして半月ちょっと経った解体作業の記録を、画像で残しておきたいと思います。

はい、すっかり更地になりました。う〜ん。感慨深いなぁ…。解体は今週で完結です。続いて現住居と古い家との接続部分の補修工事が始まります。