タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

人生の転機

2024年09月01日 | 徒然なるままに

3月に退職して以来、17年前に亡くなった父が住んでいた家の片付けとともに、自分自身の終活にも少しずつ取り組み始め、いろいろなモノを処分しています。まぁ実際にはなかなか思うように進まないのが現状で、「なんとか今年度中には目処をつけたいな」と思っています。片付けをしていると、懐かしい写真や文書、仕事や私生活の思い出の品々などさまざまなモノなどが出てきて、それを懐かしがって見ていたりするから、余計に時間がかかるんですよね。「悩まずに捨てればいい」とはわかっているんですがね。

昨日のことです。いつものように片付けをしていたら、段ボールの中からクリアファイルに入った1枚の文書が出てきました。日付は2008年2月14日。忘れもしません。この日ボクは、間違いなく人生の大きな転機を迎えていました。この文書は、その時の証拠品でした。

2008年2月というと今から16年半前、ボクが49歳の時のことです。この前年の2007年というのがわが家にとって大きな変化があった年で、3月に娘が高校を卒業して4月から東京の大学に進学し、その6年前の息子と同様に家を出ました。さらに5月に同居していた父が急逝し、ボクは阿賀町で単身赴任3年目を迎えていた年です。つまりこの年は、阿賀町のボク、東京の娘、埼玉で就職した息子、そして長岡の自宅で1人になった妻と、八百政家は家族4人全員がバラバラの生活をしている状況でした。

そんな中、その年(2007年)の11月に受診した人間ドックで、ボクは引っかかってしまいました。実はその年の職場の厚生担当者がちょっとしたミスをして、ボクが毎年8月に人間ドックでお世話になってきたN病院を受診できず、11月になってA健康センターで初めてドックを受けることになったのです。ところがA健康センターの人間ドックのメニューには、ボクが今まで受けたことのない「首のエコー」があったのです。ボクが引っかかったのは、この「首のエコー」でした。ちなみに当時ボクは、首に自覚症状や違和感はまったくなく、「えっ?何なの?いったい?」って感じでした。

12月に「要精密検査」の結果をもらったボクは、年が明けて2度の精密検査を経てその結果を聞きにN病院を訪れました。「奥様も一緒に来てください」と言われた時には、嫌な予感はしていたんです。それが2008年2月14日のことでした。その時に医師の説明を受けながらもらったのが、今回見つかった「病状説明書」です。

2度目の精密検査(細胞検査)の結果はよくないものでした。いわゆる「癌(悪性腫瘍)」です。実はボクは大学4年の時に、母を癌で亡くしています。母は当時48歳でした。母の病巣も、この時ボクに発見された癌細胞と極めて近い部位でした。「あちゃー!ボクも母と同じ運命を辿るのか?!」と大きな不安が募ったことを今でもよく覚えています。

手術当日には埼玉の息子も東京の娘も長岡に呼び戻され、ボクは全身麻酔で臓器摘出とリンパ節郭清の手術を受けました。途中省略しますが、幸い手術は成功し、16年経った今も元気に生活をしています。術後5年までは再発を心配しましたが、今は気持ちが緩んでいるのが正直なところです。ただ、臓器摘出の関係で、毎朝1錠の薬を飲むことはこれからも一生続きますがね(実際には降圧剤も飲んでるから2錠だけど)。

このボク自身の人生の転機となった2008年のこのできごとは、その後のボクの生き方に大きな変化を与えました。それまではどちらかというと、保守的な生き方をや決断をすることも多々あったボクですが、それ以来は「怖いものなし」というか「思い切った決断をするのに躊躇しない」ようになった気がします。そしてそのことがボク自身のキャリアの後半ではプラスに働いたと思っていますし、ボク自身の生き方の中でそれは間違いなく現在も続いていると思います。

16年半前の「病状説明書」を見て当時のことを思い出し、ブログの記事にしてしまいました。お読みいただき、ありがとうございました。

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サボりまくった8月のブログインデックス

2024年08月31日 | 徒然なるままに

毎月の最後のブログ記事には、その月のランニング総距離数とブログインデックスを記載するのが、ここ数か月の弊ブログ「タケ・タケ・エヴリバディ!」の恒例となっています。

5月→134km6月→147km7月→104kmと、ここ3か月間は自分自身のランニング距離の目安である月間100kmを達成してきました。しかし、8月はダメダメでした。

ランニング回数はわずかに7回(そのうち3回はトレッドミル)。総距離数もわずか57kmのていたらくです。まぁ長岡まつり(花火大会)とお盆に孫たちが帰省してきたり、お盆明けからちょっと咳が止まらなくなってお医者さんに罹って2週間のブランクがあったり、何よりも「暑かった」っていうのが最大の敗因でしょうね。「暑いから、走るのや~めた!」って日が何日もありました。日曜朝の「おはようマラソン」にも、2回しか参加できませんでしたしね。

まぁボクにとっては「堕落の8月」でした。でもね、自分自身に言い聞かせています。「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの(by みつを)」ってね。また、来月(9月)からぼちぼち頑張ろうと思っています。10月と11月にはレースにもエントリーしましたのでね。

では、8月のブログインデックスも以下に整理しておきたいと思います。今月も稚拙な弊ブログをご覧いただき、ありがとうございました。


サボりまくった8月のブログインデックス(2024年08月31日)
嗚呼!味噌カツ!手羽先!えびふりゃー!(2024年08月30日)
長岡市民のソウルフード(2024年08月29日)
ちょこっとボランティア(2024年08月28日)
破壊的イノベーション(2024年08月27日)
月のウラ研究所(クラフトビール)(2024年08月26日)
大将軍の帰還(映画「KINGDOM」)(2024年08月25日)
クラフトビールの無限の魅力!(2024年08月24日)
「線香花火」に対する夫婦の認識の違い(2024年08月23日)
栃尾美術館の「星野道夫」写真展(2024年08月22日)
麒麟山・超辛口(2024年08月21日)
この季節は戦争と平和について考えたい!(NHKの3番組)(2024年08月20日)
「さわやかピンポンズ」納涼会(2024年08月19日)
成瀬は天下を取りにいく(2024年08月18日)
愛南町に興奮!(笑うマトリョーシカ)(2024年08月17日)
さすが高橋克実!新潟弁ネイティブ!(2024年08月16日)
ノー・マンズ・ランド(2024年08月15日)
「春、戻る」(瀬尾まいこ)(2024年08月14日)
八百政、生誕66周年!(2024年08月13日)
山は荒れていく!(2024年08月12日)
点と点がつながった!(2024年08月11日)
摩訶不思議な食材(イトウリ)(2024年08月10日)
「湯あがり娘」から「青祭り」&「茶豆」へ!(2024年08月09日)
ショック!ダブルパンチを喰らった!(2024年08月08日)
栗と胡桃とキウイと(2024年08月06日)
男子バレーはイタリアと死闘の末に惜敗!(2024年08月05日)
人生観が変わる長岡の大花火!(2024年08月04日)
実るほど頭を垂れる…(2024年08月03日)
相続登記(2024年08月02日)
小学生に卓球を教えました!(2024年08月01日)

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破壊的イノベーション

2024年08月27日 | 徒然なるままに

お盆の頃に見たNHKの某テレビ番組で特集されていた、「破壊的イノベーション」という言葉がボクの頭の中に今も強烈に残っています。

「破壊的イノベーション」というのは、ハーバード・ビジネス・スクールの教授だったクレイトン・クリステンセン氏が1997年に著書『イノベーションのジレンマ』で提唱したイノベーションモデルのひとつで、既存の事業の安定した状況を打破し、その事業の業界構造をガラッと変化させることを意味します。

その逆の意味を持つのが「持続的イノベーション」です。「持続的イノベーション」とは、既存製品の性能を徐々に向上させるタイプのイノベーションのことです。 テレビが白黒からカラーに変わり、ハイビジョンへと変化していったのが持続的イノベーションのわかりやすい例といえるでしょう。 「テレビ」という製品そのものは変わっていませんが、機能が徐々に向上しています。

番組の中では、ノーベル賞を受賞するような発見や発明をするためには「持続的イノベーション力」ではなく「破壊的イノベーション力」が必要であると主張しており、「持続的イノベーション」だけを推進する企業は衰退する…とも述べていました。一方、日本人は既存のものに改良を加える「持続的イノベーション」は得意ですが、既存を打破して新しいものを生み出す「破壊的イノベーション」は苦手であることも、番組の中で語られていました。たしかにその通りかもしれませんね。まぁそれも必要な能力なんでしょうけどね。

最近流行りの「AI」ですが、これは膨大な過去のデータに基づいて最適解を見つけ出すシステムですから、「AIからは絶対に破壊的イノベーションは生まれない」のだそうです。「破壊的イノベーション」は、人間のみが成せる技だということです。すばらしい!ちょっと嬉しいですね。

で、番組内では「破壊的イノベーション力」を培うためのトレーニングとして、「新しい単位を作る」という課題を紹介していました。実際にアメリカの某大学では、この課題を学生たちに与えているそうです。番組内でも、「世の中には存在しない新しい単位を創る」という課題に、視聴者やゲストが一生懸命に頭を悩ませて、発表していました。なかなか面白いかったです。

番組を見ながら、ボクもいろいろ考えてみました。

●アクセス数が上がらなくてもブログを更新し続ける意欲の単位
●失敗してもくよくよせずに新たな挑戦を続けようとする単位
●他人の幸せを自分のことのように喜ぶのことができる単位
●他人の失敗を許してやる心の広さの単位

どうかしら?

まぁ、どの単位も「どう数値化するか?」っていうのは極めて難しいんですけどね。

 

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「線香花火」に対する夫婦の認識の違い

2024年08月23日 | 徒然なるままに

この夏は長岡まつりとお盆の2回、埼玉に住む長男一家が6歳の孫(女児)を連れて帰省しました。お盆の帰省時には、夕食後に孫と一緒に花火を楽しむという楽しい時間も過ごしました。

この時に、ボクら夫婦間に「会話が空回りしてるよな?」ってシーンがあったんですよ。それは、孫と遊ぶためにボクがスーパーで買ってきた「花火セット」に関する会話でした。

妻:「花火セットの中に線香花火は入っているわよね?Oちゃん(孫)は大きな花火はまだできないからね?」
ボク:「大丈夫、線香花火の入った花火セットをちゃんと買ってきたよ」
(その後、花火が始まって…)
妻:「あら?線香花火、ないじゃない。まぁ小さい花火が他にあるからいいけど」

あれ?おかしいな?線香花火は間違いなくあったはず。その後、ボクも線香花火をしたし、孫も喜んで線香花火を楽しんでいました。ほら、証拠写真もこの通りです。

この時は、これ以上「線香花火の有無」については言及しなかったんですよ。花火はみんなで楽しく進んでいたし、こんなことで妻と言い争っても意味がないですからね。たくさんの会話の中での妻のひとり言的なつぶやきでもあったし、結果オーライです。ですが、喉に引っかかった魚の小骨のように、ボクの頭の中でこのことが引っかかっていたのは事実でした。「妻に認知症の傾向か?」なんて不安も少しありました。

それがね。先日のこと夕食時にTVを見ていたら、この不安を解決する番組に出会いました。

その番組によると、なんと「線香花火」って、東日本と西日本では違うんだそうですよ。

皆さんは、「線香花火」っていうとどんな形状の花火を思い浮かべますか?ボクは「和紙の”こより”の中に火薬が包みこまれたモノ」を思い浮かべます。これが「線香花火」だと、物心ついたときから思っていました。今日のこのブログの2枚めの写真でうちの孫が持っている花火も、この「和紙こよりタイプ」の花火です。ところが、これは東日本の「線香花火」なのだそうです。

西日本の「線香花火」は違います。米どころでワラがたくさんあった関西地方で生まれた「線香花火」は、当初はワラの先端に火薬を付けた棒状のものでした。線香を立てる香炉に挿して観賞していたことが「線香花火」の名前の由来だそうです。つまり西日本「線香花火」は、「棒状の竹ひごのようなものに火薬を付けたモノ」なのです。

TV番組でこの解説を聞いていた妻は、「そうそう、そうなのよ」「私が新潟に嫁いできてからずっと疑問に思っていた謎が解決されたわ!」と大興奮でした。そうなんです。うちの妻は愛媛県の出身。チャキチャキの(?)西日本出身者です。彼女にとっての「線香花火」は上の写真でいうと左側。ボクにとっての「線香花火」である右側の写真とは、異なるものだったのですよ。なんということでしょう!結婚生活が40年も過ぎて、ようやくこの事実に気がつきました。ヨカッタ、ヨカッタ。

さてここで、1つの大きな問題がボクの頭の中で広がりました。この「線香花火」をテーマに、1970年代にフォークソングの名曲が2曲生まれているのです。ボクら世代のフォーク小僧にとっては、2曲とも忘れられない名曲です。”さだまさし”の「線香花火」と、”NSP”の「線香花火」。青春時代のボクらは、当時これらの曲に夢中になりました。この2曲の「線香花火」を聞きながらボクがイメージしていたのは、もちろん2曲とも「和紙こよりタイプ」の線香花火でした。

だけど、NSPの天野滋(「線香花火」の作詞・作曲者)は岩手県出身ですが、”さだまさし”は九州の長崎県、西日本の出身なのですよ。天野滋は「和紙こよりタイプ」の線香花火をイメージして「線香花火」という曲を作り、”さだまさし”は、「棒状の竹ひごタイプ」の線香花火をイメージして「線香花火」を作っていたはずです。ボク自身は、作者の”さだまさし”とイメージを共有せずに、彼の「線香花火」を聴いていたことになります。これは問題です。

そんなわけで、もう一度イメージを作り直して2つの「線香花火」を聴き比べてみることにしました。

NSP 線香花火

さだまさし 線香花火

さて、いかがでしょう?

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八百政、生誕66周年!

2024年08月13日 | 徒然なるままに

今日はお盆の8月13日。全国的に「お墓参り」の日でありまして、なおかつボクの誕生日でもあります。「誕生日は墓参り」というボクの運命についての記事は、過去のブログ記事をご覧ください。(笑)

 

誕生日は墓参り! - タケ・タケ・エヴリバディ!

今日8月13日は全国的に墓参りの日でありますが、実はボクの誕生日でもあります。子どもの頃は、夏休み中だしお墓参りの日が誕生日ということで、友達から誕生日を祝っても...

goo blog

 
 

65回目の8月13日 - タケ・タケ・エヴリバディ!

えっと、1年前の今日(8月13日)の記事を覚えていらっしゃる方などいないと思いますが、8月13日はワタクシ八百政の誕生日であります。まぁそれに関するボクの思いなどは...

goo blog

 

で、今日ボクは、生誕66周年の記念の日を迎えました。今年はカレンダー上で10日からお休みになりましたので、埼玉在住の息子一家と長岡在住の娘一家が3人の孫を含めて集まって楽しく過ごす予定だったのですが、娘のところの孫たちが発熱しちゃって外部との接触を自粛。ちょっと寂しいお盆の3連休となりました。

それでも息子一家は、6歳の孫を連れて海に行ったりマリンピア日本海に行ったりして、新潟での夏休みを満喫したようです。今日13日の午前にお墓参りをして、昼前に埼玉に帰っていきました。

まぁボクら夫婦は、「親子で楽しむ新潟帰省を後方支援しよう」ということであまりしゃしゃり出ず、海にも水族館にも同行せずに(まぁ町内の草刈り作業や墓掃除やアルビのホームゲームもあったしね)「笑顔で迎えるジジ&ババ」のスタンスでした。

で、息子一家が埼玉に帰り、今日のボクの誕生日は老夫婦2人でローストビーフとハーゲンダッツをいただきながら、お祝いいたしました。まぁ66歳にもなったらめでたくもないんですけどね。嵐が通り過ぎ、静かな夜を過ごしております。笑

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