トライランダーの蔵出し写真館 第2号

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本ブログ

熊本電鉄 500形・600形の記憶

2022-02-18 20:09:00 | 私鉄
熊本電気鉄道に売却された元静岡鉄道1009-1509編成であるが、2月1日に北熊本へ搬入、17にちに試運転を開始した模様である。熊本電気鉄道には2000年まで、静岡鉄道100形を改造した500・600形が運行されていたので、元静鉄車としては22年ぶりとなる。そこで、今回は500・600形について振り返ってみよう。



上 モハ501 下 クハ502
この2両は固定編成を組んでいた。
静岡鉄道クモハ103→モハ501、クモハ104→モハ502となった。
1963年静岡鉄道長沼工場製で、当初は両運転台。のちに2両連結化され連結面の運転台を撤去。1977年3月に熊本電鉄入り。1980年1月10日付でモハ502の電装を解除、クハ502となる。1985年11月12日付でワンマン化、1999年1月13日付で廃車となった。

モハ503→後述モハ601を参照。



モハ504 静岡鉄道クモハ106が前身で、熊本電鉄モハ503となった静岡鉄道クモハ105と固定編成を組んでいた。1963年静岡鉄道長沼工場製で、当初は両運転台。のちに2両連結化され連結面の運転台を撤去。1977年5月に熊本電鉄入り。1980年1月10日付でモハ502の電装を解除、クハ502となる。1985年9月14日付でワンマン化、その後事故により504は休車となり、オレンジとクリームのツートンカラーのまま北熊本に放置されていたが、1996年1月16日付で廃車となった。



モハ505-クハ506

この2両は固定編成を組んでいた。
静岡鉄道クモハ107→モハ505、クモハ108→モハ106となった。
1965年8月静岡鉄道長沼工場製で、当初から片運転台で編成を組む。1979年12月28日に熊本電鉄で竣功。1982年1月29日付でモハ506の電装を解除、クハ562となる。【参考文献1】によると505は1985年9月17日付で、506は同年10月15日付でワンマン化、505が1996年1月16日付で、506が97年1月25日付廃車となったとあるが、固定編成ゆえどちらかの日付が間違っている可能性があるように思われる。



モハ601 前述のモハ503を事故後に両運転台改造したもので、竣功は1987年10月12日付。写真は新設運転台側で、他の500形とは前照灯のサイズ・パーツなどがやや異なる。晩年は主に北熊本-上熊本間で使われることが多かったように思う。2000年1月11日付廃車、これにより熊本電気鉄道から釣掛駆動車両が一掃された。



まもなく運行開始予定の1509-1009.静岡鉄道時代。

【参考文献】
1・JTB『キャンブックス ローカル私鉄車輛20年』寺田裕一 2002
2・熊本電気鉄道株式会社 『熊本電鉄創立80周年記念史 新たな未来を考える』 1989

水島臨海鉄道 キハ38とキハ30の話題

2022-02-14 19:47:00 | 私鉄
水島臨海鉄道キハ38 104.JR東日本のキハ38 1003を購入したもので、車歴を辿るとキハ35 516として1965年9月4日付で竣工、製造は富士重工。当初の配置は新潟、その後(新潟から直接転属したかどうかは不明)高崎運転所在籍だった1987年3月16日付で日本国有鉄道鷹取工場製の新製車体に乗せ換え、キハ38 1003に改番した。
高崎時代は主に八高線で使用されていたが、電化に伴い木更津に転属、1998年3月30日付、大宮工場で冷房化改造された後に2012年まで久留里線で使用されていた。キハ38はキハ35を改造した車両で、僅か7両の小勢力であった。0番代、1000番代ともに片運転台で、0番代は便所を備える。2013年7月10日付で廃車、JR東日本から形式消滅した。

水島臨海鉄道では旧国鉄一般気動車色に改められ、同時に購入したキハ30・37と共に2014年5月12日から運行を開始したが、クラウドファンティングによりキハ38搭乗時の塗装に改められ、2022年2月7日より運行を開始した。


キハ30 100.JR東日本のキハ30 100を購入したもので、キハ30 0番台(両運転台)のラストナンバーである。1966年10月28日付で竣功、製造は日本車輛、当初の配置は亀山。その後の動向は不明であるが、2003年4月1日現在では木更津配置。2013年に廃車となり、水島臨海鉄道入りした。現在では貴重となった非冷房車で、主に冬季に運用されているが、昨年の秋からエンジントラブルを繰り返し、当面の間(2022年夏までは)定期運用には就かないことになっている。


キハ30 98.JR東日本のキハ30 98を購入したもので、1966年10月28日付で竣功、製造は日本車輛、当初の配置は高崎第一機関区。その後の動向は不明であるが、2003年4月1日現在では木更津配置。2013年に廃車となり、水島臨海鉄道入りした。但し同社に入籍はせず、部品取り用として倉敷貨物ターミナルに留置されている。行先表示も「久留里線」のままである。


※参考文献
電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1986年4月号 No.462 特集キハ35系・キハ45系気動車
電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2004年2月号 No.742 特集キハ35・45系

えちごトキめき鉄道 観光急行

2022-02-11 22:36:00 | 私鉄
えちごトキめき鉄道の観光急行。2021年7月より毎週土・日・祝を中心に、直江津→妙高高原→直江津間の快速で運用された後、1号が直江津発市振行き、2号が市振発直江津行、3号が直江津発糸魚川行、4号が糸魚川発直江津行として運行される。
編成は妙高高原方より「クハ455-701」-「モハ412-6」-「クモハ413-6」で、各々の車歴は

クハ455-701 新製時はサハ455-1で、1970年度第1次債務により1971年3月25日付で竣功、製造所は川崎重工。1983年12月10日から翌年の12月10日までの1年間は勝田に転属していたが、それ以外は一貫して金沢に配置されている。1986年10月25日付で先頭車化、一部ロングシート化等の改造の上、クハ455-701に改番した。改造は松任工場である。2021年3月15日付で廃車された。

モハ412-6 クハ451-40として1965年2月27日付竣功。製造は日立製作所で、新製以来一貫して金沢に配置。1972年9月15日松任工場で冷房改造、1987年2月4日に松任工場で車体新製によりモハ412-6となり、4月1日JR西日本に承継、2021年3月1日付で廃車。

クモハ413-6 モハ470-6として1962年10月9日付竣功。製造は川崎車輌で、当初は敦賀第二機関区に配置、1964年9月1日金沢に転属。1970年6月27日松任工場で冷房改造、1987年2月4日に松任工場で車体新製によりクモハ413-6となり、4月1日JR西日本に承継、2021年3月1日付で廃車。



糸魚川駅に進入する観光急行。クハ455-701にはヘッドマークが取り付けられる。写真の「立山」のほか、「ゆのくに」、「越後」、「岩倉」、「赤倉」、「オリンピア」、「妙高」、「ひめかわ」、「兼六」を確認済み。


サボ、市振行以外は国鉄字体の方向幕も入っている模様。


クモハ413-6車内。


市振で折り返しを待つクモハ413-6


クモハ413-6にはヘッドマークは取り付けられない。

【参考文献】
電気車研究会 『鉄道ピクトリアル 2014年2月号 No.886 特集455・475系電車』