トライランダーの蔵出し写真館 第2号

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5月22日 貝塚線315F出場試運転

2014-05-23 22:34:00 | 私鉄
5月23日より西鉄貝塚線313形旧塗装で運行を開始したが、前日の22日に貝塚-香椎花園前間で試運転が行われた。

運転時刻は
貝塚1338→香椎花園前1350
香椎花園前1359→貝塚1413

貝塚1438→香椎花園前1450
香椎花園前1459→貝塚1513


の2本で



香椎花園前ではホームのない2番線に入線する。見たところ、貝塚寄りの踏切が鳴動してから少し時間がかかったので、2番線入線に当たっては速度制限があったのかもしれない。


到着後、貝塚行きが先発する。


その5分ほど後に新宮行きが発車する。


そして再び貝塚へ向けて発車した。


側面には西鉄の旧社紋が復活。但しシールである。




以前の記事で触れた「湾鉄書体」は失われた。前面の車号表記とともに字体が異なるのは残念。でも、よくやってくれたと拍手を送りたい。



なお、貝塚線入線当初は上写真のような姿であった。その後、3扉化された。
この2枚は転載自由であるJ鉄局様のHPより転載したものである。


西鉄 911-912-913編成 詳細紹介

2014-05-21 22:10:00 | 私鉄
昨日紹介した通り、西鉄天神大牟田線に新事業用車両911-912-913が登場し、出場試運転が筑紫-試験場前間で行われた。


久留米に進入する911-912-913(14:39)


花畑停車中の911(15:03)


911の車内はほぼそのまま。


912は911寄りの座席は残っているが、913寄りは撤去され、架線検測機器が設置されている。側面方向幕は912のみ使用されていて、911と913は装置自体は残っているが幕は今のところ入っていない。


913は座席が撤去され、救援機材が設置されている。


5533と並んだ913.塗装が変わってもアクの強いライトのせいか、表情自体は変わっていないように思える。


913の銘板。形式はクエ900、自重31.7t。910形ではなく900形ということか。


913の車号プレート。シールだった901-902と異なり、本格的なものが用意された。なお、911と912は1989年まで100形を改造したダンプ式電動貨車が在籍していたので2代目となる。913は初登場である。


911の銘板。形式はモエ900で自重36.8t。



中間車912の913側パンタはシングルアーム化されたが、911側パンタはそのままである。


試験場前方から花畑に進入する913-912-911(15:03)


花畑を発車し、筑紫へと戻っていった(15:07)。

901-902については過去記事動画を参照願いたい。

遠賀川沿いの保存SL 3題

2014-05-14 20:32:00 | 保存車両
遠賀川といえば明治初期、筑豊の石炭を運ぶ船で賑わったが、鉄道の開通とともにまた普通の一河川へと戻っていった。この遠賀川流域には水運から主役の座を奪ったSLが多数保存されている。今回はこのうち下流に保存されている3両を紹介する。

【D60 61】(遠賀郡芦屋町・高浜公園)
1928年汽車会社製。当初はD50 282.1954年に浜松工場で軸重を軽減しローカル線での運用に対応する改造を行い、D60 61となった。この61は1974年8月廃車で最後のD60であった。なお、芦屋町には国鉄芦屋線が走っていたが1961年に廃止された。D60 61はこの芦屋線で運行されていたわけではない。一時期は悲惨な状況であったが、2012年に汽車倶楽部により美しく整備された。D61の保存車は4両で、うち3両が福岡県に保存されている。



汽車倶楽部の整備により美しい姿を取り戻した。柵で覆われたのは残念だが今後のコンディショニング維持を考えるとやむを得ない。


銘板類も復元され、素晴らしい出来栄えである。


【78626】(遠賀郡遠賀町・総合運動公園)
1924年川崎造船兵庫工場製。一貫して九州で活躍し、1974年5月細島線での運用を最後に廃車。



状況は悪い。プレートは欠損し、ガラスもほとんど失われており将来は明るくない。「解体」の話が持ち上がると志免町のSLの例を見るように急に産業的価値を持ち出し保存運動を行う人たちが出てくるが、この状況に追い込むまで何もしなかったのであるから急に言い出すのには困ったものである。日頃から大切にして頂きたいものである。

【C11 260】(中間市・垣生公園)
1944年日本車輛製。1974年行橋機関区在籍時に廃車。ここも汽車倶楽部の力で見事に蘇った。




腕木式信号機とともに保存されている。ここも柵が設置されたが、横に小高い丘があるので、そこから見下ろすことができる。