トライランダーの蔵出し写真館 第2号

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本ブログ

はんだ 補足

2010-07-28 22:21:00 | JR
7月17日の投稿「団臨 はんだ」であるが、

>昭和40年、門司港~由布院間の準急として誕生、翌年急行に格上げされ、昭和50年、キハ66・67に置き換え、そして島内急行が大幅に削減された昭和55年10月改正で快速に格下げされた。

と記述したが、何を読み誤っていたのか、昭和38年10月1日にキハ28・58で準急として誕生、
http://urawa.cool.ne.jp/beppu/h/handa8.html

41年に急行化されたようである。
http://urawa.cool.ne.jp/beppu/h/handa5.html

いつも参考にさせて頂いているこのサイトであるが、
下記リンク「急行はんだ」によると
>S40.10.1~S42.10.1~  715D、714D
>門司港-由布院

>※S41.3.5に急行化。

とあり、昭和40年10月1日から41年3月4日までは少なくとも「急行」ではなかったと示されている。

しかしながら本日、『鉄道ピクトリアル』2008年3月号「惜別キハ58系」33頁に昭和39年9月1日撮影の準急「はんだ」の写真が掲載されており、再び調べなおすと昭和38年から準急として運行されていたことが判明したものである。

従って、前述の
>昭和39年10月以降、九州急行のヘッドマークは順次掲出をやめたから、昭和40年に設定された「はんだ」にヘッドマークがあったかどうかは分からない。

は、昭和39年10月改正以前の「準急はんだ」としてはヘッドマークがあったことを確認したし、デザインもほぼ今回の臨時列車と同じものである。



くまがわの変遷 

2010-07-18 21:53:00 | JR
本日は昨日に引き続き、門司港ー黒崎―直方―桂川―原田―熊本―人吉間で団体臨時列車「くまがわ」が運行された。

一連のリバイバル列車の中では、リアルタイムで「急行くまがわ」を見てきた世代であるということもあり、非常に親しみを感じている列車である。

私がこの列車を知った頃は、既に熊本~人吉間に短縮され、青いキハ58・65が大きなヘッドマーク(最末期のものではなくひとつ前の数種類あったもの)を掲げて運行していた。

王監督が巨人に入団した昭和34年、くまがわも門司港~人吉間の準急として誕生した。当初は基本的に1エンジンのキハ25・26の4連であったようである。

その後昭和41年に急行に格上げ、昭和47年に湯前延長(湯前線内普通)、九州内の急行が大幅削減された昭和55年10月には、編成増強の上一部は吉松延長、同時に門司港ー博多間廃止、昭和59年に博多―熊本間は快速となる。

昭和61年には吉松編成を廃止、博多―湯前間(博多―熊本間快速、熊本―人吉間急行、人吉―湯前間普通)でJRへ移行する。

編成も昭和40~50年代は6~8両で活況を呈したが、JR化寸前に4連に減車されている。

湯前線転換直前の平成元年3月改正では両端の料金不要区間が廃止され、熊本~人吉間になり、現在の運転区間となる。同時に4連で運行される1往復を除き2連となる。その後平成2年には28-58から、65-58の強力編成となり、平成5年から平成12年までは一部が「アクアエクスプレス」で運行される。

そして平成12年3月11日から、16年3月12日までは58・65の2連、1日6往復の陣容で特急格上げを迎えることとなる。




本日運行のリバイバル「くまがわ」、筑豊本線筑前内野―筑前山家間、山家小学校北側「寶満宮」入口の跨線橋から撮影。当日は夏祭りの準備で、地元の方が準備をされていたがフレンドリーに接して頂き混乱もなく撮影できた。ここには15人ほどが終結したがとにかく暑かった。


2005年11月13日に運行された臨時快速「なつかしの急行くまがわ」。これは団体列車ではなく一般列車であった。
この時はキハ28-58の編成で、このヘッドマークは分割民営化前後から平成5年頃まで使用されていた模様である。


現在の「特急くまがわ」。熊本―人吉間のみに運行される列車が「くまがわ」、豊肥本線に直通する列車は「九州横断特急」となる。「九州横断特急」のサブとでもいうべき存在であり、車体ロゴやヘッドマークはくまがわ運用時においても「九州横断特急」となる。
特急では初となるワンマン運転を行っているが、車内の接客業務は客室乗務員が行うので実際は2名の社員が乗務する。

http://tokyo.cool.ne.jp/beppu/k/kumagawa5.html
http://tokyo.cool.ne.jp/beppu/k/kumagawa8.html
参考サイト

団臨「はんだ」

2010-07-17 21:59:00 | JR
本日、友人の運転で団体臨時列車「はんだ」を撮影してきた。
今回の運転区間は、大分―日田―夜明―田川後藤寺―新飯塚―黒崎―門司港であった。

キハ66・67の印象が強い「はんだ」であるが、
いつも参考にさせて頂いているサイト
http://urawa.cool.ne.jp/beppu/h/handa5.html

によると、昭和40年、門司港~由布院間の準急として誕生、翌年急行に格上げされ、昭和50年、キハ66・67に置き換え、そして島内急行が大幅に削減された昭和55年10月改正で快速に格下げされた。

車両はキハ28-58系列が中心であったが、急行格上げ後に短期間キハ26や55が混結されたことがある。「由布」との併結もあったが「はんだ」としては終始2~4連で、1日1往復と典型的ローカル急行であった。

また、http://www.k2.dion.ne.jp/~visual/named/JNR_handa.htm
によると、今回後藤寺線を経由したリバイバル列車と異なり、現在は平成筑豊鉄道の路線となっている伊田・直方経由であったようである。また、前述のようにキハ65の使用ならびに由布院~大分間での運行実績も実際は無い。

以前も述べたように昭和39年10月以降、九州急行のヘッドマークは順次掲出をやめたから、昭和40年に設定された「はんだ」にヘッドマークがあったかどうかは分からない。

なお、数年前にキハ66・67で運行された団体臨時列車「はんだ」は、今回と同じヘッドマークを使用した模様である。


由布院~南由布間にて


豊後中村~引治間にて


光岡~日田間にて

福岡空港2006

2010-07-03 16:11:00 | 航空
ここ数年、日本の航空機も画一化が進み、面白味が薄れてきた感があるが、PCのフォルダを漁っていたら、僅か4年前ではあるが現在では撮影不可能となったシーンが多々あったのでここで紹介する。

画像はいずれも2006年10月11日撮影。


2008年3月を以てその歴史に幕を閉じた日本アジア航空。台湾問題で設立されたエアラインであるが、中台関係の変化によりJALの就航が実現し、会社は整理された。
福岡にJAAの定期便は就航していなかったが、この日は機材繰りの関係でJAL便として飛来した。

前回のサッカー・ワールドカップの特別塗装

JAL旧塗装。新塗装になった後2008年に退役。

現在は「全日空」の漢字表記はなされていない。