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子育てペンギン☆徒然なるままに

“出すぎた”杭は打たれない!をモットーに子育て・平和・みんなが主役をテーマにワーキングママは今日も走ります♪

自己肯定感を育てるとき…子どもの心の背景

2012-07-11 | 子育て
子どもがある「問題」行動を起こしたとき、どう対応するのか?
Mくんと、そのお友だちの話を、別の視点から考えたいと思います

この種の問題の捉え方って大きく二通りありますよね
ひとつは、被害をうけている多数(もしくは個別)側の立場での意見。
もうひとつは、問題を起こしている子と保護者の背景を鑑みる意見。

両者の相対する視点でみたときに、学校側(先生)に求める指導も違ってきますよね。

そこで、今回は
後者の視点で考えてみたいと思います。
幸い、私の周囲には保育士を筆頭に、教育関係者が多いので
それぞれの意見を参考にすることができます


「何が」いけないことなのか
「何が」友だちを悲しませるのか
…繰り返しその都度、伝えていかなくてはいけない。
私たちは、ついこうしたことに重点をおきがちですが
Mくんたちは、自分たちの行為が悪いことであると自覚をしながらやっているのではないか?
とも思うのです。

分かっていて、やっている。

だから、だれが注意しても、繰り返しも態度が変わらない。
高学年にもなれば、そろそろ、幼い意地悪行為にも飽きて、
そんな悪戯から卒業してもおかしくもないでしょう。
けれど、それも変わらずに毎年学年があがっているのは
「幼さ」が消えていないとも考えられます。

と、すれば…彼らに必要なことは
自分は愛されていると日々実感すること。
子どもは、自分は愛されている、自分は大切にされている…と
常に感じながら育っていくことが大切です。
それが原体験となって
自分も人を思いやり、他者の人格をも大切にできるようになると思います。
自分は大切にされていると、実感を持っている子ならば
意図的に人を傷つけようとはしないのではないでしょうか。

『大人でもそうですが、幸せで満たされている気分の時に、自分から誰か人を傷つけてやろうなんて気持ちには到底なりません。
Mくんの中の心の悲しみが、人を悲しませてやろうとするのだと思います』(友人の名言その1)

子どものころから、叱られ続けている子は
悲しいことに「叱られ慣れ」してしまいます。
中学高校になれば、誰に何を叱られようと、注意されようと心に届きません。
さらに体力もついてきますから、幼少期はお父さんの「力ずく」で制されていた行動も
もう歯止めが利かなくなります。
最悪な場合は、その力は暴力となって見ず知らずの他人や家族に向かってしまうこともあります。

叱られてばかりの毎日は、自己評価を下げることにもなり
気持ちが荒れて、さらにひどいことをして、さらに叱られる、
という負の連鎖が起こってくるでしょう。
厳しさと力での制止は、根本的な解決には至らないのだと思います。
たしかに、厳しくすることも大切ですが、その「時」と「加減」を間違えると
結果的に、幼児期に育まれるべき「自己肯定感」を芽生えさせないだけなんですよね。

Mくんたちに「いま」必要なことは
生活の中で「それが普通、当然」と思えるようなことにも目を向けて
声に出して認めてあげることなのだとも思います
「挨拶の声、大きくていいいね」「丁寧な字が書けるんだね」「その服かっこいいね」…
ほんとに、他愛もないことで十分ではないかと。
自分がそこにいることを乱暴にアピールしなくても
みんなが認めてくれていて、自分をみていてくれる人がいる
自分は大切にされているんだ。
そんなふうに感じる毎日から、Mくんの心の基礎組みは初めて構築されるのではないでしょうか。

4年生になっても、低学年のときと同じような行動で
クラスの中で「目立つ」「乱暴をする」「暴言をつかう」ということは、
こうした「認めてもらえる優しさや寛容さ」に飢えている…と思えるのです。
お母さんや先生たちが、認めてあげることで、やっと、言葉は届くのではないかと。

『自分は愛されている、大切にされていると日々感じ、それを身で分かっていること、自己肯定感といってもよいですが、そこが人生の基礎、そして、基礎が崩れたまま1階を立て、2階を立ててしまうと問題はどんどんひどくなり、修復が難しくなり、でもそれでも、どんなに大変でも、結局やっぱりその基礎からやらないとだめなんだと思います』(友人の名言その2)

友人も言っていましたが
一緒に走りまわったり、最低でも一日に一回は、
きちんと顔をみて話ができる関係(遊びでも何でも)をつくてあげてほしいと思います。
「やめろよー!」って嫌がられても!←実は絶対嫌じゃないはず
いくつになって、好き好き攻撃は子どもって嬉しいはずですよね。
(年齢に合わせた程度も大切ですが)

家で、学校と同じように叱るだけではなくて
そんな関わりをもってあげることで
実は学校での生活態度も落ち着いてくる。
これは幼児期や小学生だけでなくも子どもにはすべて共通しているプロセスだとも思います

保育士の友人は、ほめるとき、お母さんの前でほめてあげるそうです。
子どもは褒められるのが大好きで、
とくにお母さんの前で褒められるのは100倍も好き、100倍も嬉しいと。
お母さん自身も、子どもを褒められることで、子育ての自信がついたり、
子どもに向かい合おうと思えたりもすると。

子育てに関わる仕事は、実は「親育て」なんですよね
それは年齢の高低を関係なく

こうして考えていくと、Mくんたちの行動を落ち着かせるには
先生がどんなに頑張っても
お母さんに協力を求めても
「厳しい注意をする」だけでは何も変わらないのだろうと、思えます。
そもそも、お母さんになにかできているならば、ここまで深刻な問題にも発展しなかったとも思いますし。


けれど、これは子どもの育つ環境や精神的な背景を考えたマクロ的な分析なので
実際に、彼らの暴言や行動で傷ついている子たちに
「時間がかかるけど、待っていてね」とはいえません

だれもが
おだやかな心で、友だちと遊ぶ
けんかをしたって、すぐ仲直りできる
勉強は難しいけど、学校ってみんながいるから楽しい


そんなふうに思える社会をつくるのって、そんなにむずかしいのかな…