遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

京マチ子さん死去

2019-05-18 15:48:42 | 映画
令和元年5月18日(土)

グランプリ女優の死去


5月12日、銀幕の大スター「京マチ子」さんが
心不全のため亡くなられた。  95歳。

中日新聞より、

大阪松竹歌劇団に入り、ダンサーとして人気を集め
1949年に大映に入社、「最後に笑う男」で映画
デビューする。
谷崎潤一郎原作の「痴人の愛」で」大胆な演技が
注目される。
官能的な妖艶な姿に、肉体派女優と言われた。


1951年、黒澤明監督の「羅生門」でベネチア
国際映画祭でグランプリ受賞する。
1954年、衣笠貞之助監督の「地獄門」では、
カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞する。


同じく1954年に溝口健二監督の「雨月物語」で
ベネチア国際映画祭の銀獅子賞を受賞した。
デビュー以来、次々に海外の映画祭で受賞をし、
「グランプリ女優」と呼ばれる、、、、。
後に、日米合作映画「八月十五夜の月」では、
米男優「マーロン・ブランド」と共演し、
ゴールデングローブ主演女優賞にノミネートを
される。

その他、多くの名監督に指名され、数々の名作にも
出演、「細雪」「鍵」「浮草」「華麗なる一族」
「春琴抄」等々、、、、。

浮草

晩年には山田洋二監督の「男はつらいよ純情詩集」
にも出演、寅さんのマドンナ役に抜擢される、。


その後、テレビ、舞台等で活躍「犬神家の一族」や
「必殺シリーズ」では、必殺仕事人、仕舞人、仕切
人等で活躍された。


1987年:紫綬褒章、1994年:勲四等宝冠賞
を受賞された。

私生活では、一時、大映の永田雅一社長との噂が
在ったが生涯独身を貫く。
この時代の名女優と言われた人は独身者が多い。
原節子、淡島千景等がある、、、。

京マチ子さんの映画の全盛期は、私は未だ子供で
残念ながら見ていない、、
官能的イメージが強く、、、また名作については
羅生門、地獄門、雨月物語等は内容が難しく、
子供の私には理解デキナカッタのが本音である。

大人になってから、再上映館で見た物も少ないが、
羅生門等、未だに判らない部分が多い、、
唯、京マチ子さんの美しさ、演技は今の女優さん
には中々、見つけられない様である、、。


今日の1句

マドンナてふ一際映ゆる薔薇の落つ     ヤギ爺




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