職退いて薔薇の化身の夫婦(めをと)かな
5月21日。。昨日病院で一年ぶりにTさん夫婦が”今年の薔薇は例年より1週間ほど速いですよ。。”と教えてくれた。Tさんは町内では著名な薔薇好きである。邸内は木薔薇と鶴薔薇で多い尽くしている。余生は殊更に薔薇の為に1年を過ごして居られる。羨ましき余生である。
北の子にわっしょわっしょと夏は来ぬ
5月20日。。北海道には今頃春と夏が一度に訪れるようだ。雪解剤で田畑の雪を溶かしのを機に農家は一斉に活動を始める。地球の温暖化の進みで家々の花壇も早々と賑やかになる。短い夏の間にすべてを仕込み秋風と共に収穫を終えるのだ。孫から喜びの便りが届く。
故郷は酸っぱきものぞ苺はむ
5月19日。ー。昔持ち帰った実家の苺が庭の片隅で生き残っている。年ごとに酸っぱさが増すのは改良をかさねてお菓子化した商業苺との差だろう。摘花もせずに虫と分け合う我が家の苺である。
紫蘭散るそれぞれ違う新園癖
5月18日。。大失敗の日。朝方に昨日剪定した樹木を消毒してから、待望のT社OBに行く予定だったのに、消毒時に転んで腰を痛めて欠席の破目に合ってしまった。プログラムに「80才会員の表彰」が組まれていた為に会にも迷惑をかけてしまった。庭の紫蘭が咲き終わる頃のなった。この頃になると園児の先生は新園児の個性を大方掴むそうだ。
油断禁物を痛感する。
芍薬の厨に残るゲリラ雨
5月17日。。ゲリラ雨の始まるやいなや首をたれ初めた庭先の芍薬。今年こそはと世話に励んだ芍薬だから夜雨を厭わずに切り込んでお勝手の出窓に活けておいた。今朝方、雨気を残す花瓶周辺から鼻先にこうべを上げ一回り大きくなった白黒対の香りを頂いた。放り置いた咲初めのは介添えしたら昼過ぎには立ち直った。
小半年の愛にけじめし春炬燵
5月16日。ー。昼過ぎまで熱中症を心配していた戸外がにわかに雷雨に変った。寒暖繰り返しだった最近までの異常天候にしまいかねていた春炬燵が片付いたのは、つい2日前だった。朝寒むの日に屋内にいると炬燵に入り放しになるが、陽光の戸外に出る不要だが1日延ばしにしていのだった。炬燵周辺に持ち込んでいたパソコンはじめの日常品がなくなって夏型堀切の食卓に戻ったのだ。老い仲間も同じと聞いて納得し合った。
薫風や畑中にある露天風呂
5月15日。。関東以北の大方は真夏日だった昨日に比べると今日は2.3度低いと言うが朝方から20度を超えている。狭い庭の手入れもやり出すとキリが無い。ちょいと頑張ると体調に跳ね返る。連休中は混雑していた畑の中の温泉が空きだした。戸外にある五右衛門風呂・露天風呂で五月の庭を観ながら外出しなかった代償の一時は年金者には格別だ。
緑立つ右肩しるき友の文
5月13日。。連休中は子供らでにぎわっていた公園に老人たちが戻ってきた。Gゴルフの仲間たちである。休みが2.3人いたが体調不良ではないらしい。家族の旅行に巻き込まれて渋滞の洗礼を受けた連中も加わって久しぶりの団欒だった。往復路に目立ったのは、松の芯を天空に突き立て旺盛に伸びたあちこちの松であった。
母の日や足湯つくりて待ちし子ら
5月12日。。「母の日」。夏日。傘寿の我に4つ足りない76才で逝って32年が経つ。ひたすら働くばかりの母を足湯を準備して舞った子供時代だった。方や我が家の今日は、子供達からの宅配祝いを受け取りながら、着付けサークル仲間と箱根に出かけた妻の帰りを待つ身である。母は強し!