Music Mania

No Music No Life

ディスカバービートルズ その27

2020年12月19日 | ビートルズ


12月13日放送のディスカバービートルズは、「ザ・ビートルズ」からD面だった。
2枚組アルバムの最後の面は、代表的な名曲はなく、マニア向けな内容になっている。
ここでは「レボリューション」を取り上げてみよう。
1曲目の「レボリューション1」は、レボリューションシリーズではもっとも早くレコーディングされたもので、元のバージョンはかなり長かったらしい。
そのため、前半と後半に分けられて、前半は「レボリューション1」、後半はミュージックコンクレートの素材の一つとして「レボリューション9」となる。
ジョンは「レボリューション1」をシングルとして出したがったが、ポールとジョージに反対され、再度レコーディングし直すことになる。
当初「レボリューション2」とされたこのバージョンは、2が取れて「レボリューション」となり、「ヘイジュード」のB面としてシングル発表されるに至る。
ホワイトアルバムのスーパーデラックス盤には、レボリューションシリーズのいろいろなデモ音源が入っていて、とくに「レボリューション1 テイク18」の後半部分には、「レボリューション9」で聴けるジョンの叫び声なんかが入ってるのを聴くことが出来るのと、この段階ですでにミュージックコンクレート的な音源が挿入されているのがわかって興味深い。
「レボリューション9」はビートルズの作品中最も前衛的で、音楽としてはかなり難解な部類に入る。
革命の様子をいろいろなテープをつなぎ合わせて表現しているのだけど、最初聴いたときはまるでわけがわからなかった。
今でもわけがわからないけど、この放送で久しぶりにきちんと聴いたら、やろうとしていることくらいは分かったと思う。

「ライブ・アット・ザ・ハリウッドボウル」

数年前このアルバムが発売されたとき、買うつもりだったものの、サンプル音源聴いただけで満足してしまい、結局買わなかった。
今はサブスクで聴けるので、じゃあ聴かねばなるまいと、35年ぶりくらいにフルで聴いたのだった。
長らく廃盤だったこのライブアルバムは、昔と同じくあついあつい内容で、とても良かった。
よく元のLP盤は、観客のキャーという悲鳴が大きすぎて音楽として楽しめないと言われてたけど、僕はぜんぜんそんなことはなく、ロックンロール魂に満ちた若きビートルズのライブが聴ける好盤だった。
今回、ものすごいお金と労力と現代の技術の進歩により、LP時代の熱気はそのままに、バンドの歌と演奏がよりクリアになって蘇った。
とくにジョージのギターが生々しくとても存在感が増しているように思う。
この頃のビートルズは、リバプールやハンブルク時代のロックンロールバンドとしての味がまだ残っていて、超満員の大歓声を前にしても乱れることなく、自分たちのノリで演奏をこなしてるのがよくわかる。
まずなんといっても、バンドとして演奏がすごく上手い。
モニターがなく、しかもうるさすぎる大歓声で全く自分たちの音が聴こえないなか、恐るべき演奏力である。
そして歌のうまさ、コーラスのうまさ。
歌唱力というのとはちょっと違う、ライブバンドとしての安定感がすごいのだ。
それにしても、この発狂してるような大歓声はちょっと異様である。
とくに、ジョージやリンゴのボーカル曲になると、おそらく肩身の狭いジョージファンやリンゴファンがここぞとばかりに大声で悲鳴をあげている。
もうほとんど命がけと言っていいくらいの絶叫で、帰り道では喉も体力も気力も尽き果てて抜け殻になったに違いない。
今回のリマスターで少し気になったこと。
「オール・マイ・ラビング」で、ギターソロのあとジョージが主旋律を歌いポールは上でハモるというライブアレンジになる。
元のLP盤だと、ジョージの声よりポールのハモリの方が大きく入っていて、それがいい味を出してたのに、今度のはポールの声が小さくなりジョージ中心になってること。
前の音に慣れてると、ちょっと違和感を感じてしまうが、初めて聴く人なら問題ないだろう。
ビートルズの全盛期を伝える正式なライブ盤はこれだけである。
映像なら他にシェイスタジアム公演や武道館公演があるし、YouTubeには数多くのライブ映像があるから、とくに不満はないけれど、やはりライブアルバムとして、音だけに集中して聴きたいこともあるのだ。
最後に、ボーナストラックとして、旧盤には入ってなかった4曲が追加されている。
元の曲順を尊重して、最後に付け加えたんだろうけど、僕としては実際のライブでの曲順を考慮した配置の方が良かったのにと思う。

伊勢暴動

2020年12月19日 | 日常


12月19日は伊勢暴動が始まった日である。
明治9年、地租改正による重税に耐えかねた農民による暴動で、農民暴動としては最大規模になる。

明治維新によって立ち上がった新政府は、一刻も早く欧米に追いつくことを目標に、強引に改革を進めていく。
そのしわ寄せは庶民から士族まで、つまりほとんどの国民に相当な痛みを伴わせるもので、明治9年頃は各地で乱や暴動か発生していた。
その中で農民の場合、江戸時代まではその年の収穫に応じた米を年貢として納めていればよかったのだが、地租改正により、毎年決まった額のお金を納めなくてはならなくなる。
それが安ければ問題なかったのだが、急速に近代化を目指す政府からするとそんな悠長なことは言ってられない。
無慈悲なまでに重税を負担させ、米が不作であっても豊作のときと同じ金額を納めなければならなくなったのだ。
安定した財源が確保される一方、農民はたちまち困窮する。
政府としては、何も米作に拘らず、商売するなり工場で働くなりして、自由にお金を稼いだらいいんだということなんだけど、先祖代々農業しかしていない人には、いまいちピンとこないのは当たり前である。

12月18日、松阪の農民たちは税を軽減させてほしいとの嘆願書をもって集まり、そのうちどんどん人が集まって1000人を超える。
揉めに揉めて、19日の昼からついに暴動となる。
まずは、市内の三井銀行が襲撃され炎に包まれたあと、役所などが次々に襲われる。
暴動軍の人は膨れ上がり、やがて三重県全土に広がるのだった。
このときの県令は佐賀出身の岩村定高で、政府に軍の派遣を要請する一方、旧士族に応援を求める。
岩村としては士族側が暴動軍に加わると大変なことになるため、というのもあったのだろう。
なんといっても、この2ヶ月前には神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が相次いで発生し、鹿児島では西郷隆盛がいつ決起するかわからない状況なのだ。
伊勢暴動が三重の乱に発展する前に、士族を利用したのだ。
士族と市街戦となり、当然のことながら暴動側は敗退する。
それでも規模があまりに大きいため、三重県を通り越して岐阜や愛知まで暴動が広がるのだった。

政府軍が到着し各地で戦闘があったものの、12月24日頃には鎮圧される。
死者35人、逮捕者は5万人を超えたという。
それでも政府側としては農民の要求を飲まざるをえず、税率は3パーセントから2.5パーセントに下げられた。
これをもって、ある意味農民側の勝利ともいえる。

明治9年から10年にかけての日本というのは、今だと世界的なニュースになるような大事件がいくつも発生している。
伊勢暴動もその一つだが、日本のあまりに急速な近代化の陰で、こういうことがあったというのを忘れてはいけない。