先日紹介した、サッポロファクトリーの東側に明治時代に建てられた元・住宅が
あります。
旧永山武四郎邸 (きゅう ながやまたけしろう てい)
(札幌市中央区北2条東6丁目)
永山武四郎は、天宝8(1837)年4月24日に薩摩国鹿児島郡薬師馬場町に
(現・鹿児島県鹿児島市薬師)薩摩藩士の四男として生まれました。
戊辰戦争や西南戦争にも従軍した軍人です。明治5(1872)年に開拓史に出仕し
屯田兵の設置に尽力した人物です。
屯田事務局長・北海道庁長官・屯田兵司令官・第7師団師団長を務め、陸軍中将
まで昇進しました。
この間、北海道の開拓、産業の発展に努め、特に炭鉱の開発や鉄道の延長等
に努めました。
退役後は、貴族院議員を務めましたが、武四郎が67歳の明治37(1904)年に
議会出席の為に上京中に倒れ、同年5月27日に亡くなったそうです。
この建物は、明治13(1880)年頃に建築されたらしいです。
個人宅なので公的な記録が残っていないそうで・・・。
敷地については、明治10(1877)年に、今の北3条通りと北2条通りをまたぐ
975坪を、当時のお金で35円70銭で購入したという記録が残っています。
ちなみに、明治8年の陸海軍の曹長の月給が30円という記録が残っています。
これから推測すると、当時の庶民の月給は10~15円前後でしょうね。
建築当時は、南側部分(現存)と北側に家族や使用人の部屋、台所や風呂場が
あったそうですが、現在北側には2階建ての白い洋館が建っています。
この白い建物は、明治44(1911)年に遺族から土地・建物を譲り受けた
三菱合資会社が、昭和12(1937)年頃に社員寮として建設したものです。
この白い洋館を、旧永山武四郎邸として紹介している写真がありますが・・・
間違いですのでご注意を。 昭和に建てられた建物ですので。
昭和60(1985)年に、当時の三菱鉱業セメント(株)より、土地・建物はすべて
札幌市に寄贈されました。
その後、この辺り一帯は「永山記念公園」として整備されました。
内部は、以前にも紹介した清華亭のように、和洋折衷なつくりになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/15/65fa8ed9b3e4cf01c05af86197db5a14.jpg)
こちらは、新館(旧三菱鉱業セメント寮)の内部です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/4b/96a20814d02ca83d45e9214a3ae1ec15.jpg)
病床で永山武四郎は
「わしは屯田兵達に、『お前達は北海道の土になれ、わしも北海道の土になる』
と言ってきた。ここで死ぬわけにはいかぬ。わしは、札幌に帰ってから死ぬ。」
と言ったそうです。
遺言通り、葬儀は札幌で行われました。
遺骨は札幌の豊平墓地に埋葬されました。その後、昭和57(1982)年からは
里塚霊園に眠っています。
屯田兵の育ての親として生きた永山武四郎は
北海道を心から愛した人物なのですね。
交通アクセス
地下鉄 東西線 バスセンター前 8番出口より 徒歩10分
中央バス 環88 サッポロビール・ファクトリー線 もしくは
環3 苗穂線 に 「札幌駅前」(東急百貨店南側)より乗車
「北3条東7丁目」バス停 下車 徒歩3分
観覧時間 9:00~16:00 入場料無料
休館日 12/29~1/3