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2つの琴似屯田兵村兵屋

2012-06-09 21:47:42 | 屯田兵

       昨日紹介した、琴似屯田兵村には2つの兵屋が残されています。



                         1つ目

              国指定史跡 琴似屯田兵村兵屋跡

      
                     札幌市西区琴似2条5丁目

                      
      

  この建物は、明治7年に建てられ、明治8(1875)年に亘理藩(宮城県亘理郡)出身の清野専次郎氏
 に与えられた、第133号兵屋です。
150坪の土地に17坪半の兵屋が建てられています。

      
  
  この建物は、何回かの増築・内部改築をされましたが、昭和45(1970)年に保存修理の為に解体され
 昭和47(1972)年に
復元されましたが、ほぼ建てられた当時の姿に戻されています。

      

            建物の裏には小さな畑があります。
      

          周囲の道路区画も入植当時のままだそうです。
      


    
          地下鉄琴似駅のすぐそばにあります。
 




   休館日       年末年始(12月29日~1月3日)
   観覧時間      9:00~16:00
   観覧料        無料




                    2つ目

         北海道指定 琴似屯田兵村兵屋

          (札幌市西区琴似1条7丁目1-30 琴似神社 境内)
            

      

                    

      
   こちらも、明治7年に建てられたもので、佐藤喜一郎氏が入居した第140番兵屋です。
 もともとは、琴似1条5丁目にありましたが、昭和33年に札幌市に寄贈されて、昭和39年に約400m
 離れた琴似神社境内に
曳家移動されました。こちらも当時の姿に復元されています。

 
      

      


          開館時間    5月から11月の9:30~16:00
       休館日     12月~4月は冬季休館 開館期間中は無休 
       観覧料        無料


                        琴似神社境内にあります
 

   




                 ちなみに、屯田兵屋の間取りですが
       


         今風に言うと、1LDKといったところでしょうか。

    明治初期の住宅としては、水準以上のものだったそうですが、天井は高くて、板戸に雨戸・
   障子張りで暖房は囲炉裏しかなく、冬の寒さは大変厳しかったと
思います。


    どちらも、138年前に建てられたもので、当時の姿を残していて大変貴重な建物です。




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琴似屯田兵村

2012-06-08 21:16:35 | 屯田兵

                 北海道開拓と守備の為に配置された「屯田兵」


                 屯田兵最初の入植地が、琴似(ことに)です。


  明治7(1874)年10月に、北海道守備と開拓に従事する屯田兵に関する編成と給与等を定めた
 屯田兵例則が定められました。

  江戸時代末期、安政年間に探検家、松浦武四郎が現在の琴似周辺が将来有望な土地と語って
 いたこと、また西郷隆盛の命を受けて桐野利秋(西郷・桐野共に薩摩藩出身で西南戦争で戦死)が、屯田兵村の適地
 について下調べを行った際、琴似周辺の他に、月寒地区や真駒内地区も候補に挙がりましたが
最初
 の入植地として、琴似が選ばれました。

  翌月の11月に兵屋208戸・週番所(中隊本部)・練兵所・授産所などを建設しました(翌年8年に
 発寒に32戸が建設されました)。


      明治8年5月に、屯田兵198人とその家族合わせて965人が入地しました。

 兵屋は一戸あたり150坪の敷地に17坪半の家が建てられました。兵屋の周辺に開墾すべき土地として
 一戸当たり5千坪の未開地を
与えられました。


  明治9年5月には3戸が加わりました。明治11年に入植していた屯田兵の家族から7戸が分家補充され
 合計240戸になりました。

                これを以って、第一中隊が編成されました。

         厳しい自然環境の中、開墾作業と軍事訓練も受ける屯田兵。

  琴似屯田兵の兵役は、明治8年から明治24年3月。その後予備役として明治28年6月まで。その後は
 後備役に編入され、明治37年の
屯田兵制度の廃止を迎えました。


  予備役を終えると、他に転出する人も出始めて、屯田兵制度が廃止され一切の拘束が解かれると、土地
 所有者の移動が激しくなりました。


       大正13年(入地後50年)には、材村者は30戸となってしまいました。


      
                       さっぽろ文庫33「屯田兵」 より

                          琴似兵村の配置図です。
      
                        琴似屯田兵村兵屋跡パンフレットより


  琴似本通や二十四軒琴似通りなど、現在でも屯田兵村時代に切り開かれた道がそのまま残されています。


   何より、この街並みを築いたことが、琴似屯田兵の最大の遺産であると思います。

  
                            現在の琴似本通

                    
                   西区琴似2条5丁目にある屯田兵村道の跡の標柱


         現在の札幌市西区役所前庭には、週番所(中隊本部)がありました。
                     
 (札幌市西区琴似2条7丁目) 

      

                    
  さっぽろ文庫33「屯田兵」 より

      

                      碑が5基建っています。
     


                           左側より
      

                       琴似屯田兵顕彰碑                                       
  
                           平成11年9月建立                               
  大正13年、移住50年を記念し記念館および記念塔が琴似神社境内に建立された。記念館は昭和29年に焼失。
  記念塔は残ったが、老朽化により取り壊され、代わりに現在の場所に同碑が建てられた。


        屯田兵本部趾碑                   琴似屯田開村「紀念碑」    
  
             
          大正13年建立                         明治30年1月建立

                             
碑面には、「紀念碑」としか記されていないが、これがのちに
                             琴似村の母体となった琴似屯田を表し、屯田兵による本道
                             開拓のさきがけとして、その発祥の地を意味したもの。
                             碑文に陸軍中将 永山武四郎の漢詩が掲げられている。


                    陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾」碑   
                     
                              昭和15年建立   


  
                         琴似屯田百年記念碑
  
                            昭和50年9月30日建立 

                     昭和50年、開村100年を記念し設置されたもの

  

        琴似屯田兵の週番所(中隊本部)があった場所は現在、札幌市西区役所の前庭があります。
      区役所の左隣に元消防署があり、この建物の二階に、琴似屯田歴史館資料室があります。
      
                     (北海道札幌市西区琴似2条7丁目1−10)

                     開館日は月・水・金の10:00~16:00
       
           残念ながら、土曜に行ったので資料室の中は見る事が出来ませんでした。



 

  冒頭の文章とと重複しますが、屯田兵村は明治8年に、この琴似兵村を皮切りに設置され、翌年には
 山鼻兵村(札幌)明治11年には江別兵村と続き、
明治37年に南剣渕兵村・北剣渕兵村・士別兵村が
 設置されたのが最後で、全部で37兵村が設置されました。





          もうちょっと、琴似屯田特集が続きます。


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山鼻屯田兵 その2

2009-07-10 20:21:34 | 屯田兵


       屯田兵村の中心に位置する場所にあるのが
             「山鼻公園」
          (札幌市中央区南14条西10丁目)
       
    明治14年頃は、練兵場の一部として使われていたそうです。

            

      この公園には、記念碑が建っています。

         「山鼻兵村開設碑」
 
 
 この記念碑は、兵村開設20周年を記念して明治27(1984)年9月30日に
 建立されました。
    札幌軟石を積み上げたもので、台座を含めて高さが6m。
     題字は、当時の屯田兵司令長官 永山武四郎 の揮毫。


  背面の碑文には
              
 「明治九年五月 青森 秋田 鶴岡 宮城 岩手の五県から二百四十戸が
 入植 翌年 西南の役で派兵となったが 一方養蚕なども行い 与えられる
 農地は年を追って増え七百三十町歩になった」

                     と当時の兵村の様子がうかがえます。

   ちなみにこの碑は、兵村共有の株券を処分して得た収入と有志の寄付で
 建てられたそうです。当時の金額で160円だそうです。


   
 山鼻公園の斜め向かいには「山鼻記念会館」という建物があります。
              (札幌市中央区南14条西9丁目2-13)
            
    一階には「ラ・ヴェリテ」という洋菓子店が入っています。

  二階に、山鼻屯田兵についての資料があるという事で行って見ました。

          「山鼻屯田兵資料室」
            
     当時の生活用品や資料・写真が展示されています。
       
      
 
        開館日 土・日 10:00~15:00 

      この資料室に行って、知ったことがあります。

   札幌市内及び近郊を営業エリアとしている「札幌信用金庫」
  山鼻地区の産業発展のために大正10(1921)年12月に設立された
  山鼻信用組合というのが前身となっているんですね。
    (昭和26年 信用金庫法が発布 札幌信用金庫に改組)



   多分、こういった真面目な記事に飽き飽きされていると思いますので
 一階にあった洋菓子店ラ・ヴェリテにも寄ってきました。

     
     こんな感じのかわいいケーキが売っています。
    おいしそうに写真が撮れず、お店の方すいません。
 
    喫茶コーナーは満席に近い感じで賑わっていました。


   130年前は原野だった山鼻地区も、現在では高級住宅やマンションが
  立ち並ぶ住宅地に変貌しました。
   開拓前の姿を想像出来ない位にびっちりと建物が立ち並んでいます。

  苦労して開拓した人々がいたからこそ、今の山鼻地区があるんだなと
 改めて考えさせられました。
 

                               おわり
      

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山鼻屯田兵 その1

2009-07-04 17:11:56 | 屯田兵


     開拓以前、札幌にはアイヌの人達の集落がありました。
  和人としては、安政4(1857)年に豊平川の渡し守として、「志村鉄一」と
  「吉田茂八」が札幌に最初に住み着いた住民として知られています。 
                                   以前の記事参照


  札幌も今は190万都市となりましたが、当時は未踏の地だらけの原野。
 そんな原野を切り開いて札幌の発展の基礎を築いたのが、屯田兵です。

   札幌には、  琴似    明治8(1874)年 
             山鼻    明治9(1875)年 
            新琴似 明治21(1888)年
            篠路    明治22(1889)年 に設置されました。


   今回は、山鼻屯田兵について取り上げます。


  国道230号線沿いにある、札幌方面南警察署の右隣にある小さな公園
 山鼻日の出公園(札幌市南区南29条西11丁目)。
       
     走っている車からも見える大きな銅像が建っています。

  
             「山鼻屯田兵の像」
                (山内壮夫 作)

          

    現在、この像が立っている場所は、元は山鼻屯田兵村の墓地でした。
 この場所にあった山鼻墓地は昭和40(1965)年に平岸霊園に移転改葬された
 そうです。

                     

   山鼻に屯田兵が入植したのは上にもあるとおり、明治9(1875)年5月。
 東北各県の元士族240戸・1114人が移住し、開拓が始まりました。

  現在の南6条~南23条・西8丁目~西13丁目までの場所になります。
              兵村の面積は130万坪にも及びます。

   兵村の中心に築かれたのが、現在の石山通(国道230号線)。
           
    
    石山通に並走して走っているのが、現在の東屯田通り(9丁目)
    東屯田通り沿いに両脇向かい合わせに家々が並んでいました。
            (南8条~南23条まで)
     
                                 
郵便局名にもなっています。

      同じく石山通りに並走している西屯田通り(13丁目)
  同じく西屯田通り沿いに家々が向かい合わせに並んで建っていました。
               (南6条~南21条)

         


      屯田兵村であった、名残が通りの名前に残っています。


   ちなみに「山鼻」の地名の由来ですが・・・

  藻岩山の山麓に位置する為、山の端に当たるという意味で「山端」と
 言っていたのですが、後に「山鼻」と当て字したそうです。
  アイヌ語では、「ユ・ニクリ」と言ったそうで、鹿林という意味だそうです。

  
  

    マンションが立ち並ぶ現在の山鼻地区ですが、その昔は原野で
 鹿の群れが集まる場所だったようです。


    続きます

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