5月某日のお話し
2月に公園で転倒し、背腰椎を骨折した妻。
「なんか運が良くないから厄払いに行きたい」と申すので北海道神宮へ
御祈祷に同席して、自分の開運を祈願するという夫です。
境内にある開拓神社も参拝
ついでにリス活
散策路のカシワの木にシマリスさんがいました。
癒されました
と、言う事で皆様、怪我には気を付けましょう!
前回の記事にも登場した神社です。
錦山天満宮 (にしきやまてんまんぐう)
(江別市野幌代々木町38-1)
明治18(1885)年翌19年に九州各県・山口・広島・岡山・鳥取の各県から野幌屯田兵が入植しました。
原始の密林を開拓し入植者の「心のよりどころ」として明治22(1889)年5月に伊勢皇大神宮から御分霊を
奉斎して野幌屯田兵村の東番外地に小祠を祭祀したのが由緒の始まりです。
大正9(1920)年6月に、兵村の練兵所東側に小祠を遷座し、大正15(1926)年10月に中隊本部跡地(現在地)
に遷座しました。当時「錦山神社」として、野幌地域の鎮守、五穀豊穣の神として崇拝されておりました。
昭和48(1973)年、九州の太宰府天満宮から菅原道真公の御分霊を奉斎し、昭和50(1975)年2月に現在の社名
錦山天満宮と改名しました。
御祭神 天照大御神 ・ 菅原道真公
例大祭 9月17日
春季大祭 5月第3日曜 野幌兵村記念祭 7月1日 江別市戦没者慰霊祭 7月15日
本殿
狛犬 (阿形)
狛犬 (吽形)
社務所
御朱印
境内の森は、緑の保全と豊かな自然とふれあうことができる為に指定された
江別市指定保存樹林地に指定されています。
神社の境内に隣接して、錦山緑地という公園と野幌屯田兵中隊本部があります。
住宅地の中の緑のオアシスです。
上川神社 頓宮
(旭川市常盤公園)
参道の鳥居
旭川市中心部にある常盤公園の中にあり、千鳥ヶ池という池に中に浮かんでいる島にあります。
本宮の本殿と同じく、大正9年から4年の歳月をかけて北海道産蝦夷松材で造営されました。
御祭神は 本宮と同じく
天照皇大御神 大己貴大神 少彦名大神豊受姫神 大物主神
天乃香久山神 建御名方神 譽田分命 敦実親王
鍋島直正命 黒田清隆命 永山武四郎命 岩村通俊命 です
例祭日は 7月21日 です
7月21~22日と御神幸式があり、21日に神様のお乗りになった神輿が本宮から頓宮へ着輿し
22日に本宮へ還輿します。
社務所
お守りやお札は本宮と同じでご利益は一緒です。
こちらには御朱印はないそうです。
先日訪れた神社です。
上川神社 (かみかわじんじゃ)
(旭川市神楽岡公園2-1)
ご由緒は 明治26年7月に上川地方開拓守護・旭川の鎮守として、義経台と呼ばれた現在の旭川駅付近
の高台に天照皇大御神をお祀りしたのが始まりです。鉄道建設により明治30年と明治35年に遷宮しその後
大正13年6月6日に神々が鎮まる適地として神楽岡に神社を遷宮しました。
御祭神は 天照皇大御神 大己貴大神 少彦名大神
豊受姫神 大物主神 天乃香久山神 建御名方神 譽田分命 敦実親王
鍋島直正命 黒田清隆命 永山武四郎命 岩村通俊命 です
例祭日は 7月21日 です
第一鳥居から第二鳥居までの間の参道の石段は百九段あります。
手水舎
第二鳥居
神楽岡碑
開拓使判官でもあった、岩村通俊が明治18年に屯田兵本部長の永山武四郎が近文山頂から上川盆地を
視察し、この地に上川離宮の建設を上申。この神楽岡に明治22年12月28日に上川離宮が建設される事が
内閣で決定し御料地となりましたが、札幌に建設した方が良いという意見や、日清・日露戦争が起き、計画が
自然に消えていき実現には至りませんでした。大正9年に上川神社の境内地として御料地を借り受け社殿を
造営。翌10年に御料地が解除となり、大正13年に神社を移遷しました。
本殿
大正9年から4年の歳月をかけて北海道産蝦夷松材で造営されました。
社務所
こちらで御朱印をいただきました。
境内社として、旭川天満宮があります。
昭和41年7月17日に菅原道真公の御分霊を太宰府天満宮より勧請しました。
天神様と縁のある牛の像
境内はとても広大で、隣接する神楽岡公園との森にはキタキツネやエゾリス・エゾオオアカゲラ・シジュウカラ
など多くの動物が住んでいます。