狼さんと羊さん

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地下鉄降りたら記念碑

2006-09-29 22:53:34 | 札幌・歴史探訪


  札幌市営地下鉄南北線・北12条駅の出入り口がある交差点の角にちょっとした空間があります(北区北12条西3丁目)。
       
 とある会社の敷地なんでしょうが、碑が建っています。ちょっと寄って見ました。
 
            

   「有島武郎邸跡の碑」 と書いてあります。
 この碑は、有島の没後70年を記念して平成5(1993)年に建てられたそうです。


   有島武郎と言えば・・・

   「カインの末裔」や「生まれ出ずる悩み」などで知られる小説家です。
 札幌農学校(現・北海道大学)を卒業後、渡米し明治41(1908)年に帰国して
再び札幌の地を踏み、母校である札幌農学校の英語講師として教壇に立ちました。
同時に本格的な文筆活動を開始したそうです。

       
 この家は、大正2(1914)年8月に札幌永住を決意して新築したものでした。
しかし、翌年の大正3年11月に妻の安子の病気療養の為に東京へ移住し、この地を離れるまでこの家で過ごしました。
 この間に三男の行三が誕生し、家庭的には幸せな時期であったと思います。

 独特な形をしているこの家は、有島自身が設計したと言われています。
  現在、この家は、市内の「札幌芸術の森」に移築復元されています。


        記念碑には
       

 「細君は中々いいものさ。君も早く結婚し給へ」
                 と仰有るやうに 私はなりたい。

          と碑文に刻んであります。
これは、安子夫人が結核で亡くなった後に有島が編集した、有島安子遺稿集
「松むし」から取った日記の一部です。

 これは、友人が有島に・・・
「細君というものはこんなにいいものなら、なぜもっと早く貰わなかったと、君は思ったかい?」
 と尋ねられた時に、有島が
「それはいいこともあり、悪いこともありさ」  と答えて笑ったそうです。
 これを聞いた安子夫人は、恥ずかしさと悲しさで泣きたくなり
「細君とはなかなかいいものさ。君も早く結婚したまえ。」
 と、夫に言われるような妻になろうと思ったそうです。

  ※細君(さいくん)  自分の妻の謙称。    大辞林 第二版 (三省堂) より

     実直な安子夫人の人柄が現れている一文ですね・・・。

 
        皆さん、旦那さん・奥さん・彼・彼女自慢してますか?
      
    そんなの関係ない!とお思いの方へ・・・失礼しました。
            

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西岡水源地

2006-09-23 21:16:21 | 札幌 見・遊・食

 

 気分転換しに行こう思い、バイクでまた行っちゃいました。

        向かった先は・・・西岡水源地

          小さな可愛い花が咲いていました
              

    水源地で堰き止められていた水が再び流れて行きます。
       

     今日は風が無くて、水面が鏡のようになっていました。
             

             空のが水面に映えます
            

         夕日に染まった雲も水面に映ります
            
       


   日が暮れ始め、周りに虫が出てきたので、帰ろうっとバイクに乗り込み、
  五輪通りの西岡高架橋の上を走っていたら・・・

         夕暮れの札幌中心部が見えました。
      
       ズームアップ! 一番高い建物がJRタワーです。
      

         いい気分転換ができました

 
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月寒の平和公園とNHK

2006-09-16 21:53:07 | 札幌・歴史探訪


  札幌市内、JRの函館本線の駅に平和駅と言う駅がありますが・・・
ここは月寒にある平和公園です。(豊平区月寒西2条7丁目)
                           
 一見変哲のない公園ですが、遊具の後ろに見える塔、やはり戦争に関連するもの
なんです。
 
 後ろに見える塔は、月寒忠霊塔または、忠魂納骨塔と呼ばれるもので、昭和9(1934)年に歩兵第二十五連隊の将兵で、病没・戦没した人達を奉った慰霊塔です。
                          
 もともとは、この辺りは陸軍墓地だったのですが、周囲の国有地と合わせて整備されることになり、昭和36(1961)年に開園しました。

 この塔の後ろの方には、戦後復員した兵士が持ち帰った、満州桜や千島桜が植えられています。

   そのほかにも、公園の門も戦争関連のものです。
   この門柱は、北部軍司令部正門のものだそうです。
        
 昭和15年に東北,北海道,樺太,千島にある師団を統括する北部軍司令部が月寒に開設された。戦後,その敷地を進駐軍が「キャンプ・シーデンバーグ」として使用した。門柱は平和公園に移設された。
 以上、説明板より引用
       北部軍司令部は、現在の月寒中学校の場所にあったそうです。

  公園の隣にある幼稚園の敷地に食い込むように、軍馬忠魂碑がありました
(昭和10年建立)。
             
      子供達が供えたんでしょうか?草が供えてありました。

   
  札幌にも、戦争遺産・つめあとがまだまだあります。


   
 ちょっとこれだけは暗くなっちゃいましたので、合わせ技で・・・。

        
話がいきなり飛んじゃいますが・・・。

 NHKの札幌放送局は、札幌テレビ塔のすぐ北側の大通西1丁目にあります。
ですが、今の場所に放送局が出来たのは昭和34年です。それ以前は、中島公園
内に。それより以前は、月寒にあったのです。
 と、言ってもかなり前ですが・・・。
 昭和3(1928)年6月5日にNHKラジオ月寒放送所から電波を発射しました。
コールサインはJOIK、現在と同じです。
昭和32(1958)年に、隣町の江別市野幌にラジオ送信所は移転してしまいました。
 
ですがその跡地は、NHKの運動場になっています(現在も使用されているかは不明です)
(豊平区月寒西3条西10丁目)
        
         まあ、運動場というよりは野球場です。
    
        
         ちょっと、トリビアな感じで・・・


   (2013年8月追記)

    現在は、分譲マンションがグラウンド跡に建設されました。



                          月寒散策は一旦終了します。

    ご覧いただきましてありがとうございました。 

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本当の戦争遺産

2006-09-15 21:18:15 | 札幌・歴史探訪


  つきさっぷ郷土資料館と月寒中学校の北側にあるコンクリート造りの建物

   元・自衛隊札幌駐屯地月寒送信所です。(豊平区月寒東2条1丁目)
  戦前は、「北部軍司令部防空指揮所」という名前でした。
        
 この建物は昨年度に使用が中止され、今年度中にも解体が予定されています。

 この建物は、札幌への空襲に備えて、昭和18(1943)年に完成しました。

 道内・樺太・千島列島などに展開する部隊から逐一入る情報を整理して処理していたそうです。
 内部には、北海道を中心に北は千島列島、南はフィリピンまでの地図が描かれ、敵機襲来があると、赤いランプが点滅するようになっていたそうです。
 各部隊からの情報をやりとりする為の、有線・無線機器が並んでいたそうです。

 前線に出動した兵士の替わりに、札幌市内の高等女学校卒業生が約250人が
女子通信員として24時間3交代の任務に就いていたそうです。
       
         つきさっぷ郷土資料館掲示の写真より

 壁の厚さはなんと2メートル。1トン爆弾が落とされてもビクともしないと言われていたそうです。

 戦後、米軍に接収されますが、自衛隊の前身の警察予備隊に引き継がれ、自衛隊が管理していました。
 自衛隊が管理していた時代は、撮影禁止が徹底されていてフィルム没収された
そうです。

  
    貴重な戦争遺跡だとして保存運動があるそうです。

     完全に平和ボケしてしまっている私達。
 こういった戦争遺跡を通じて、戦争は二度と繰り返してはいけないと、思い起こさせる施設があってもいいと思います。

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アンパン道路

2006-09-10 21:36:52 | 札幌・歴史探訪
      昨日の記事、歩兵第二十五連隊関係です。

      札幌市民の方なら聞いたことがあると思います。
      通称「アンパン道路」と呼ばれる道路があります。
      

    明治44(1911)年、月寒地区にある道路が出来ました。
地域の住民と歩兵第二十五連隊の兵士達の労働奉仕によって造られました。

 これらの無償奉仕の労を労う為に、当時の豊平町(現・札幌市豊平区)は
毎日一人5個づづ、「月寒あんぱん」を提供しました。
      
 2.6kmの道路、あんぱん効果か、短時間で完成したそうです。

      
 平岸プールとかHTB(テレビ局)のある通りも「アンパン道路」だったんですね・・・知りませんでした。

 アンパン道路という名前は、今も地域の人達に親しみを持って呼ばれています。
 

                        
次回予告   月寒あんぱん  です
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(*^-^*)(*^-^*)