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いつの日かの沖縄旅行(沖縄本島編)

2024-01-27 17:50:07 | その他・・・おでかけ

    gooブロガーのホルマリンさんが人が住む最南端と最西端の島に行かれたようです。
    私は、最南端の島にしかいった事がないので一回で両方制覇してうらやましいです。

     そういえば私の旅はどうだったかな?と自分のブログ内検索するも

               出てこない・・・。

        大人の事情があった際に、消してしまったようです。

    CD-ROMを探し出して、改めて写真を見直すと、今となっては貴重な写真がありました。
   16年前に行った沖縄の旅の
記事を改めて(ダイジェスト)。

   最新事情については、ホルマリンさんのブログを見てください。と、勝手にコラボ(笑)


  2008年2月18日

      新千歳空港→中部空港→那覇空港と乗り継いで、沖縄に上陸。 

    その後、レンタカーで那覇市内観光に行ったようです。
   
     Sクラスを予約したのですが、Aクラスにアップグレードしてくれました。
          ホンダ シビックフェリオ


            まずは、首里城へ。

   
                 守礼門

 「守礼」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には
 「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味です。
 1527~55年(第二尚氏4代目尚清王代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが
 沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたものです。


   
          歓会門(かんかいもん)と那覇市街

   
             
瑞泉門(ずいせんもん)

  
    
              奉神門(ほうしんもん)

    「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。
   1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前です。
   その後1754年に中国の制に倣い改修した。建物は明治末期頃に撤去されたが、1992年(平成4)に
   外観が復元され、現在は公園管理のための施設として利用されています。
    

     
                 正殿(せいでん)

     木造の三階建で、一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場
    二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場でした。三階は通気を目的
    とした屋根裏部屋になっています。

     創建年は、復元に先立って実施された発掘調査から14世紀末頃と見られています。その後ほぼ同位置で
    数度の焼失・再建を繰り返してきました。1992(平成4)年に復元した建物は18世紀初めに再建され
    沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに建てられたものでした。

                 正殿一階 
            
      正殿一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場でした。
    中央に、御差床(うさすか) 国王が座る玉座があります。
     
             

                   正殿二階         
    

    正殿二階は、日常的には王妃や身分の高い女官たちが使用した空間であり「大庫理(うふぐい)」と
   呼ばれていました。二階の「御差床」は国王の玉座として様々な儀式や祝宴が行われたところです。
   なお、儀式の際には床の間には香炉、龍の蝋燭台、金花、雪松等が置かれ、壁には孔子像の絵が掛けられて
   いました。部屋の上部には、かつて中国皇帝から贈られた御書(ぎょしょ)の扁額が幾つも掲げられていました。
   「中山世土(ちゅうざんせいど)」の扁額は古い記録をもとに再現したものを展示していました。
         
 なお、国王の椅子は、1477年~1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものでした。 

 
 
 


    
   

  2019(令和元)年10月31日未明に、正殿内部から発生した火災により、正殿をはじめする9施設が焼失しました。
 火災は約11時間にわたり燃え続けた後に、鎮火されました。

 火災後には、警察及び消防による調査が行われましたが、火災原因の特定には至りませんでした。

   復興した際には、また訪れたいと思います。


        移動しまして            

             識名園(しきなえん)
     
            (沖縄県那覇市真地421−7)
  

     
   識名園は、琉球王家最大の別邸で、
1799年に造られ国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。
 

     
    識名園の造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした
   廻遊式庭園です。廻遊式庭園とは、近世に日本の大名が競ってつくるようになった造園形式ですが
   識名園では、「心」の字をくずした池の形(心字池)を中心に、池に浮かぶ島には中国風東屋の六角堂や
   大小のアーチが配され、池の周囲には琉球石灰岩を積みまわすなど、随所に琉球独特の工夫が見られます。


        沖縄本島の最南端に近くにある喜屋武岬(きゃんみさき)
    
     
                平和之塔

    糸満市喜屋武岬にあった第62師団管下の部隊は、侵攻を続ける米軍に対して最後の
   迎撃を仕掛けたが、昭和20年6月20日、喜屋武集落周辺で全滅した。
    昭和27年10月に地元住民は集落や周辺海岸に散在する兵士や住民の遺骨1万柱余りを
   収集し、名城ビーチの西海岸に納め「平和の塔」を建立。
    昭和44年3月に現在の場所に移転・改修しました。

     
         荒崎海岸  本島最南端はこの荒崎になります   

     
                 夕焼け


   2008年2月19日

     
            ホテルからの窓から見えた風景。
   中央の大きな建物が沖縄県庁です。手前のアンテナが建っている建物は沖縄県警本部です。

     
                高速道路を走り

      
                 美ら海水族館

     
     
     

     

       

      その後、那覇空港から石垣島へ向かいます。


                               続編があります


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2 コメント

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Unknown (ホルマリン)
2024-01-28 19:40:20
ご無沙汰しております(^^)
ブログ読んで頂き、また宣伝までして頂きありがとうございます(笑)
焼失前の首里城に行かれていたのですね!あれも復元とはいえ、2000円札でお馴染みの風景が失われてしまったのは寂しいですね…
美ら海と共に、いつか行きたい場所なので羨ましいです。
石垣島は今回少し観光できたので、続きが楽しみです♫
返信する
Unknown (めえめえ)
2024-01-29 00:27:22
ご無沙汰しております。これからの展開が楽しみになって来て、ちょくちょく覗かせていただいております(笑)
随分前の話なんですけど、CD-ROMに記録されていた写真が意外と少なくてびっくりでした、昔は大人しかったのね〜。
そして八重山に渡ったら天気に恵まれませんでした…。
波照間島も変わったんでしょうね〜。
返信する

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