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札幌で一番最初の住民は?

2006-01-19 22:23:55 | 札幌・歴史探訪

 東京以北の大都市、札幌。

札幌市役所ホームページによると、平成18年1月1日現在の人口は188万2754人
だそうです。

 さて、札幌に一番最初に住み着いた人は、誰なんだろうという事で調べました…。

札幌の街づくりが行われ始めたのは、今から135年程前から。
 その頃はアイヌの人達が、今の発寒(西区)の辺りや、北大植物園(中央区)や北海道大学(北区)
の辺りや、元町(東区)の辺りなどに住んでいました。


 安政4(1857)年、石狩調役である荒井金助の招きに応じた信州の武士であった、「志村鉄一」が
豊平川渡し守と駅逓を兼ねて、豊平川の川岸(現在の豊平区豊平3条1丁目付近)に住み着いたのと、

同じ年、荒井金助の命により川の対岸に、「吉田茂八」が志村鉄一の話し相手として渡し守として
住まわされました。


 当時の豊平川は、現在の様に上流にダムがあるわけでもなく、護岸工事がされているわけなど
もちろん無いわけで、かなりの急流だったのではないでしょうか?

         


 二人は丸木舟に旅人を乗せ、両岸にぶどうつるなどで作った綱を張り渡し、それをたぐりながら
丸木舟を渡したそうです。

   渡し舟は明治4年に、初めて丸木で作られた橋が架けられて、廃止となったそうです。


 安政4年、「志村鉄一」・「吉田茂八」二人の家族7人が、札幌に最初に住み着いた人々ということです。


                    

   札幌開祖 吉田茂八碑 (札幌市中央区中央区南5条東5丁目2)





       

     左 志村鉄一 居住之地跡  (札幌市豊平区豊平3条1丁目 豊平川右岸通り沿い)

   右 札幌開祖 志村鉄一碑  (札幌市豊平区豊平4条1丁目1-1)



        


              ・・・ 石狩調役 … 
安政2(1855)年幕府は、ペリー来航やロシアの南下等の情勢に対応する為に、蝦夷地全土
(松前藩所領を除く)を直轄領とした。現在の石狩市に石狩役所が設置された。
 噛み砕いて言えば、幕府の北海道出張所・所長というところでしょう…。



     2016.1.18  写真追加

 

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はじめまして・・・札幌といえば

2006-01-09 00:09:34 | 札幌・歴史探訪

      はじめまして
私は札幌生まれ・札幌育ちです。

 今日から、ブログデビュー。皆様どうぞよろしくお願いします


  札幌といえば、時計台ですよね


 私は、毎日バス通勤しています。

私が乗る路線バスは中心部に入って時計台通りを通ります。
 さすがに8時前に時計台通りを通るので観光客は少ないですが、昼過ぎに
営業車で通ると時計台の前は観光客でごった返していますね。

 やはり、札幌と言えば「時計台・道庁赤レンガ・大通公園・すすきの」
ですからね~。

  札幌時計台とは…
 明治11年に札幌農学校(現・北海道大学)演舞場として現在の中央区
北2条西2丁目に建設されました。演舞場とは、今で言う体育館ですね。

 大時計が設置されたのは、明治14年でそれまでは時計ではなく、鐘楼が
ついていたそうです。

 明治36年に札幌農学校が、今の北海道大学の場所に移転して、明治39年に
現在の位置の中央区北1条西2丁目に曳家をして移動させたそうです。


 ちなみに時計台の鐘は、毎時間鳴りますが、夜中も鳴っています

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(*^-^*)(*^-^*)