私の思いと技術的覚え書き

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今更ながら大本営と類似を再認識する

2020-04-21 | コラム
 大本営とは先の大東亜戦争における、日本軍隊の最高意志決定機関のことである。本来は本営で良いのだろうが、往時は何かに付け“大”を付けるのは、権威主義の典型例なのかもしれない。
 さて、この大本営だが、現代政治における位置としては、内閣官房ということになろうかと思う。そして、ここには指揮官たる政治家(首相、各大臣)とそれに適切に助言を与える参謀たる各省庁の次官などが存する訳だ。

 ものの本では、先の大東亜戦争でも、参謀の意見具申が適切でなかったり、中には参謀自ら戦闘の指揮を執り、大失敗した事例のことが気されている。また、作戦の失敗は指揮官が取らざるを得ないが、そもそも参謀は意見を述べるだけで指揮権はないのだから、責任はない(取らない)のだと記されている。至極最もとは感じるところである。

 しかし、現在の大本営いや内閣官房の様子を外から眺めていると、参謀が直接指揮しているという外面こそ出さないが、その影響力の大きさから、人形化した指揮官の姿と感じすぎてしまう。これは、指揮官が指揮官たる能力・気力の不足なのか、参謀(官僚)の能力が著しく高いのだろうか。もしくは、何らかのシステム欠陥により、指揮官と参謀のパワーバランスを狂わせるものが内在してやしないかと思うとこをなのだ。

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