私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

原爆の閃光に焼かれた広電車両 あれから79年、今も現役で街を走る

2024-08-04 | コラム
原爆の閃光に焼かれた広電車両 あれから79年、今も現役で街を走る
8/3(土) 8:00配信 朝日新聞デジタル

650形(651号)(右)と5200形グリーンムーバーエイペックスの前に立つ広島電鉄車両課の中村洋・千田検車係長=2024年1月22日、広島市中区、筋野健太撮影

 原爆投下から、まもなく79年となる広島市。同市内を走る広島電鉄には、当時被爆した車両4両が、今も残っている。



 そのうちの1両が、650形651号で、1942年に木南車両製造(廃業)で作られた。

 1945年8月6日。651号は爆心地から約700メートルの、中電前電停付近を走行中に被爆。車両は脱線し、ドアや屋根の集電装置が吹き飛ばされ半焼した。

 しかし翌46年3月までには原形に近い形で営業運転に復帰し、今も広島の街を走り続けている。

 普段、千田車庫(広島市中区)に停泊していて、不定期で朝のラッシュ時などに営業運転している。

 車体はワンマン化や方向幕の電動大型化、冷房装置が取り付けられるなど改修されている。

■被爆した部分は・・・

 一方、台車は製造当時最新式だった車体と独立して回転できる機構を採用したボギー台車で、多くの部分は当時のままだ。また鋼鉄製の車体や車体を留めるびょうも当時のものと思われ、所々が赤茶色にさびている。同社によると、被爆による傷痕は確認できないが、台車や車体、びょうを交換した記録はなく、戦後に作られた部品とは異なるという。

 82年に同社に入社した車両課の中村洋・千田検車係長(60)は「651号はアナログなので、最新型と比べて故障箇所がわかりやすい。ただし、部品を交換してから、人の感覚や経験で調整しないといけないので大変だ」と話す。

 同社では今後も人々の足としてはもちろん、被爆や戦後復興、未来の平和について考えてもらうきっかけになる車両として運行を続けていきたいという。(筋野健太)朝日新聞社

#原爆の閃光に焼かれた広電車両


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。