サーチャー能力も必須だが・・・
80年代後半からパソコンを使用してきた。それ以前からコンピューターというのはあったが、大企業だとか大学で使われているもので、そういうところに縁ない一般庶民にはそういう世界があるんだ程度の知識は本などで知りつつも、尋常でない価格とか巨大さもあり到底身近なものではなかった。そうは云いながら、この企業の大型コンピューターは、その端末を全国支社支店に設置し、いわゆるオンラインシステムとして、JRの座席指定予約だとか銀行の預金システム、損保の契約情報、自動車登録番号のデータベースなど、種々の対規模業務で使用が拡充されていたことはある。
それが、日本人もその製作に関わったと云われる初のマイクロプロセッサー(MPU)・インテル4004(1971年)の登場でいよいよパーソナルなコンピューターの形になっていく。と云っても、MPUが8ビットまでは、PCと云っても一部マニアのものであり、このコンピューターという道具を使ってなにをやると云うより、プログラムを作成するなど、コンピューターの研究とか勉強をする一種のオモチャとしてのものだった様に感じる。それが一変したのがMPUが16ビットになって、OSとしてMS-DOSが登場した頃から、ビジネス用ソフトウェアが登場し始めたのが1980年代中頃以降だろう。この時分に社内の人事異動で、初めてPCに触れるようになり、当時のビジネスソフトとして、現在でも最も多用されているだろう、ワープロと表計算ソフトを使い始めたのだが、今から見ても画面表示が現在より粗くて表示できる範囲が狭いことなど劣る点はあったが、驚くべき高機能と汎用性には驚いたものだ。
その後のPCの革新は、95年のWindoows95の発売と、インターネットの普及だろう。それ以前から、パソコン通信というのはあったのだが、このインターネット環境は世を一変させたというぐらい革新させた。その後は、インターネットのスループットの向上であり、登場のモデム→ISEN(64kBPS)→ADSL(数GBPS)→光(100GBPS)と進歩した。また、携帯電話→スマホと進化する中で、無線電波(WiFi)のスループットもどんどん上がり、今や5Gまで至っているのだが、エンドユーザーとしては、もうこれ以上要求しないという思いすらあるのだが、テクノロジーはまだまだ進化させるのだろう。
このインターネットが当たり前の時代になり、ネットに繋がる雑多でおびただしい各種情報は、情報の宝庫ではあるが、どうやって目的に適う情報を見つけ出すかという、いわばサーチャーの技術が一般人にも求められる時代になったと云える。聞くところによれば、サーチャーなる資格試験まであり、さまざまな検索テクニックを駆使して、巨大なデータベースから如何に短時間に的確な情報を抜き出すかという技術の様だ。私的には、こういう専門技術にはさほど関心は向かないが、ある程度の一般教養として、基本的なサーチ技術は現代のビジネスだけではなく趣味的な世界でも必用な時代にとっくになっていたということだろう。
ここで、一つ記したいのは、情報と諜報という日本語だが、英語ではインフォメーションとインテリジェンスということになろうが、この違いだが、インフォメーションはまったく整理されていないもしくは確度を確かめていない情報と解釈している。また、インテリジェンスとは、得られたインフォメーションを裏も表も検討し、中には欺く情報も紛れ込んでいるのでそれらを濾し(フィルタリング)、確かと根拠ある情報として簡潔明瞭に整理したものという理解をしている。つまっり、あるものごとをサーチした場合、概ねという程度、それを肯定(ポジティブ)する情報もあれば、否定する(ネガティブ)な情報もある。この場合、情報の量で判断してはならないだろう。「正解は得てして少数意見にある」という名言もあり、密やかに真実が隠されていたり、あえて隠されている場合があり得るからだ。こうして見ると、単なるインフォメーションを、適格なインテリジェンスとして解釈するという行為とか能力は、極めて重きをなすと想像できる。ある場合は、精神分析者的な視点も求められるのかもしれない。
最後になるが、現在世にはAIという言葉が溢れているが、現状ではマヤカシ言葉と断じている。現状のコンピューターに思考する能力も持つまでに達していない。演算する速度は速いが、プログラムのアルゴリズム(順序)に従った範囲でしか能力はない。そういう中、意志決定権者は、適格なインテリジェリンスを集め、それをどう決定判断するか、不安であれば保険を掛けるなど様々な対応もあるのだろうが・・・。
80年代後半からパソコンを使用してきた。それ以前からコンピューターというのはあったが、大企業だとか大学で使われているもので、そういうところに縁ない一般庶民にはそういう世界があるんだ程度の知識は本などで知りつつも、尋常でない価格とか巨大さもあり到底身近なものではなかった。そうは云いながら、この企業の大型コンピューターは、その端末を全国支社支店に設置し、いわゆるオンラインシステムとして、JRの座席指定予約だとか銀行の預金システム、損保の契約情報、自動車登録番号のデータベースなど、種々の対規模業務で使用が拡充されていたことはある。
それが、日本人もその製作に関わったと云われる初のマイクロプロセッサー(MPU)・インテル4004(1971年)の登場でいよいよパーソナルなコンピューターの形になっていく。と云っても、MPUが8ビットまでは、PCと云っても一部マニアのものであり、このコンピューターという道具を使ってなにをやると云うより、プログラムを作成するなど、コンピューターの研究とか勉強をする一種のオモチャとしてのものだった様に感じる。それが一変したのがMPUが16ビットになって、OSとしてMS-DOSが登場した頃から、ビジネス用ソフトウェアが登場し始めたのが1980年代中頃以降だろう。この時分に社内の人事異動で、初めてPCに触れるようになり、当時のビジネスソフトとして、現在でも最も多用されているだろう、ワープロと表計算ソフトを使い始めたのだが、今から見ても画面表示が現在より粗くて表示できる範囲が狭いことなど劣る点はあったが、驚くべき高機能と汎用性には驚いたものだ。
その後のPCの革新は、95年のWindoows95の発売と、インターネットの普及だろう。それ以前から、パソコン通信というのはあったのだが、このインターネット環境は世を一変させたというぐらい革新させた。その後は、インターネットのスループットの向上であり、登場のモデム→ISEN(64kBPS)→ADSL(数GBPS)→光(100GBPS)と進歩した。また、携帯電話→スマホと進化する中で、無線電波(WiFi)のスループットもどんどん上がり、今や5Gまで至っているのだが、エンドユーザーとしては、もうこれ以上要求しないという思いすらあるのだが、テクノロジーはまだまだ進化させるのだろう。
このインターネットが当たり前の時代になり、ネットに繋がる雑多でおびただしい各種情報は、情報の宝庫ではあるが、どうやって目的に適う情報を見つけ出すかという、いわばサーチャーの技術が一般人にも求められる時代になったと云える。聞くところによれば、サーチャーなる資格試験まであり、さまざまな検索テクニックを駆使して、巨大なデータベースから如何に短時間に的確な情報を抜き出すかという技術の様だ。私的には、こういう専門技術にはさほど関心は向かないが、ある程度の一般教養として、基本的なサーチ技術は現代のビジネスだけではなく趣味的な世界でも必用な時代にとっくになっていたということだろう。
ここで、一つ記したいのは、情報と諜報という日本語だが、英語ではインフォメーションとインテリジェンスということになろうが、この違いだが、インフォメーションはまったく整理されていないもしくは確度を確かめていない情報と解釈している。また、インテリジェンスとは、得られたインフォメーションを裏も表も検討し、中には欺く情報も紛れ込んでいるのでそれらを濾し(フィルタリング)、確かと根拠ある情報として簡潔明瞭に整理したものという理解をしている。つまっり、あるものごとをサーチした場合、概ねという程度、それを肯定(ポジティブ)する情報もあれば、否定する(ネガティブ)な情報もある。この場合、情報の量で判断してはならないだろう。「正解は得てして少数意見にある」という名言もあり、密やかに真実が隠されていたり、あえて隠されている場合があり得るからだ。こうして見ると、単なるインフォメーションを、適格なインテリジェンスとして解釈するという行為とか能力は、極めて重きをなすと想像できる。ある場合は、精神分析者的な視点も求められるのかもしれない。
最後になるが、現在世にはAIという言葉が溢れているが、現状ではマヤカシ言葉と断じている。現状のコンピューターに思考する能力も持つまでに達していない。演算する速度は速いが、プログラムのアルゴリズム(順序)に従った範囲でしか能力はない。そういう中、意志決定権者は、適格なインテリジェリンスを集め、それをどう決定判断するか、不安であれば保険を掛けるなど様々な対応もあるのだろうが・・・。