私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

阪神大震災から26年

2021-01-17 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 1995年1月17日5:46、兵庫県淡路島付近を心央とした巨大地震が勃発した。あの地震が日本の建築土木関係に与えたショックは凄まじいものがあったと回想する。小から大まで、建物に大きな被害を生じたのはある意味理解できたが、高速道路高架や鉄道の高架が軒並み引き倒れた光景には、流石に目を見張ったものだった。この地震以前にも、ロスアンジェルス等で高速道路高架が崩れて断裂したりという画像はニュースで報じられていたが、「あれは十分な地震対策をしていないからおきたのであって日本では起きえない」という評価が一般的だったと思う。

 ところが、阪神大震災の強烈な揺れは、図上に重量物を乗せた縦柱の地面に付近の鉄筋コンクリートが、正に応力集中によりコンクリートが粉砕され内部の鉄筋が露わになると共に重量を支えられなくなり、軒並み引き倒れてしまったのだった。

 あの阪神大震災で強く印象に残る画像が、今回引いた記事画像の断裂した高層道路高架から、前輪を落下させて停止しているバスの写真だった。今回、この写真を見て、凄まじい地震だったと云うことを改めて思い出すが、あれから26年も経るのかと感慨も湧く。

 この地震を境に、高速道路や鉄道などの従来の鉄筋コンクリート製の構造物は正に狂った様に補強工事が進められた。その内容としては、高架柱の地面から数メーター上部までを、板厚10mmはあるだろう厚板鋼板を巻き付け補強し、強く揺すられてもコンクリートが粉砕することが内容にするというものだが、震災後10年を経ない間に日本中の道路や鉄道の高架において補強工事がなされたと記憶する。また、新規の高架橋の設営については、従来とは段違いに断面の大きい柱となっている。

 なお、阪神大震災の同年3月には、あの地下鉄サリン事件も起きた年だった。あの犯人達も、やっと昨年処刑がなされた訳だが、社会常識を一変させる大事件が起きた年であったと感じる。

 しかし、昨年初頭に勃発した世界的な病変は、1年を超えて収束の兆しもなく、一方この病変がトリガーとなったのかは定かではないが、あの自由民主主義を標榜する米国が、大統領選挙を境にあれほどまでに混迷を生じるなんて思いもしない出来事が進行している。20には新大統領の就任式が行われるプログラムだというが、あれだけの不正の様相を垣間見せておいて、正常に新大統領が生まれるのだろうか。一方我が日本は、たぶん米国以上に影の勢力の影響は存在するのだろうけど、今回の米国の様にそれが露わになることはなく、ぐずぐずと何時ものその場凌ぎの政治が行われている。阪神大震災で橋脚の脆弱性に対する対応は誠に見事な一貫した対応だったが、政治だとか他国を巻き込んだグローバリズムとなると、とたんに対応があやふやとなる。病変勃発以来、誰が考えても真っ先に気が付くべきだろう他国からの流入、すなわち水際対策が、11月、12月と、6万もしくは7万名もの外国人の入国を許していたとなると、やはり影の力が働いているのか? 

 また、緊急事態宣言という掛け声は勇ましいが、20時以降の外出自粛だけとは、あまりにも内容が手薄じゃないだろうか。経済的なダメージを避けたいのは理解するところだが、昼間の大都会では人の動きはほとんど減ってはいないだろう。これで、1ヶ月で効果が表れたとすれば、それは入国管理を徹底して、一切の罹患者をシャットアウトできた倍だけと思えるが・・・。


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高速道路から落下免れたバス「僕たちこれに乗ってたんです」 大震災を伝え続ける運転手
1/17(日) 7:00配信 神戸新聞NEXT
※ドライバーとして乗車していた安井義政さん=京都府長岡京市、帝産観光バス京都支店

 26年前の1月17日早朝。阪神・淡路大震災で倒壊した阪神高速神戸線で前輪が宙に浮き、辛うじて高架部分に踏みとどまったバスの写真は、日本中に大きな衝撃を与えた。ドライバーの一人として乗車していた帝産観光バス(本社・東京)京都支店の安井義政さん(59)は「偶然が重なって(車体が)踏みとどまった」と振り返る。(太中麻美)

【写真】阪神高速神戸線から間一髪、落下を免れたバス

 冬のスキーシーズンで、毎日のようにゲレンデへのバスが運行されていた。安井さんは先輩ドライバーと2人一組で、14日夜に信州へ向け出発。16日夜、関西への帰路に就いた。

 大津、京都、大阪で乗客の大半が下車し、最後のバス停となる神戸へ向かった。車内には女性客3人と先輩、自分の計5人。先輩がハンドルを握り、安井さんは隣の席に座っていた。

 突然ドン、と衝撃が走り、空がフラッシュをたいたように光った。その後は上下左右に激しく揺さぶられ、目の前には空と高速道路の路面が交互に飛び込んできた。「ブレーキが利かない」。先輩が叫んだ。

 バスが止まると、目の前の道路がなくなっていた。対向車線のトラックが高架から地面に落下し、炎上している。自分たちのバスは、車体下のエンジン部が道路にひっかかっていた。「乗客がもっと多ければ、ブレーキが利きづらくて落下していたかもしれない」と安井さん。乗客と後部の非常ドアから車外に出ると、周辺のあちこちで火の手が上がっているのが見えた。

 高速道の非常階段から地上に降り、公衆電話から支店に電話し状況を説明したが、宿直の社員に「そんなはずないやろ」と返された。京都には情報が伝わっておらず、にわかには信じてもらえなかった。先輩とコンビニで使い捨てカメラを買い、現場近くの地上からバスを撮影した。周囲にはガスの臭いが漂っていた。

 まず大阪まで戻ろうとタクシーを探し回り、昼すぎに大阪の淀屋橋までたどり着いた。わずか十数キロ離れただけの大阪の街では、普段通りに人が行き交う。飲食店で昼食を取り、京都行きの私鉄に乗った。乗客の男性が手にした夕刊に、自分たちのバスの写真が大きく掲載されていた。「僕たちこれに乗ってたんですよ」。そう話すと驚かれた。

 京都の支店まで帰り着いたのは夕方だった。「よく無事だった」。同僚に迎えられ、号泣している社員もいた。

 その後、「落ちないバス」に乗務していたことが広まり、修学旅行を担当した際には、先生から声を掛けられて生徒に体験談を語ったこともある。コロナ禍を受けて同社が企画した「オンライン修学旅行」では、人と防災未来センター(神戸市)を訪れ、バスガイドからのインタビューに答える形で当時の様子を語る。

 「語れるのは無事だったからこそ」と安井さん。「あんなひどいことが、二度と起きてはいけない。震災をもっと全国の人に知ってもらえるよう、会社にいる限りは伝えていきたい」と話す。
最終更新:1/17(日) 7:13 神戸新聞NEXT

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