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身障者の遺失利益を考える追記

2023-02-22 | コラム
身障者の遺失利益を考える追記
 昨日記した下記リンク記事だが、こういう問題は裁判官にこの事件が世間の注目を集めていると意識させる様があることを考えてしまう。

身障者の遺失利益を考える
2023-02-21 | 事故と事件
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/99cea49cc205f8075c75437ccae8ad2e


 そこで、この民事事件を審理していると思える大阪地裁(06-6363-1281)へ電話を入れ、この事件に身障者だから遺失利益が少ないという固定観念とか過去判例だけを思考して判決を出すことはない様に期待したいという内容で電話を入れた。

 別件であるが、ある弁護士は国賠などで、必ずしも判例的に不利とか云う場合は、積極的に賛同者を裁判所に集め、少なくとも傍聴席を一杯にし、溢れた賛同者が裁判所の周辺にたむろす環境を作り上げることに力を尽くすという。つまり、事件を審理する裁判管に、この事件は世論として注目しているんだというプレシャーを与えつつ、既存の官僚気質とか裁判官気質から安易な判決を下すことない様に、真剣な取り組みを促すと云うことを述べていた。

 そうでないと、裁判官とは、希に真剣に取り組む裁判官も皆無ではないが、特に民事ともなると、ことの正義を追求すつというより、安易に示談を進めたり、過去の判例だけを引っ張って来てとか、双方の云い分の中間値で判断を下すという安易な裁判官が多い様に感じてしまう。

 裁判所とは、裁判官と直接話そうとしてもできない仕組みになっており、受付や書記官など二重三重にガードされている訳だが、それでも傍聴席が一杯で、しかも溢れた傍聴希望者が裁判所に集まっている姿を無視することはできないのが人の性なのだというところだ。私が今次事件で電話を入れたから、判決が変わる訳ではないが、これが数千の者から、同じ電話が裁判所に入れば、ことは違って来るのは確かなことだろう。


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