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政府・官僚のやってることはオープン制御のアルゴリズム

2022-02-13 | コラム
政府・官僚のやってることはオープン制御のアルゴリズム
 最近、冤罪事件などで検察のストーリー化が根源にあるという表現がなされる様になっている。つまり、検察組織は脚本化組織で、通常の脚本化なら、視聴者に意外性だとか驚きを与えることで面白さを狙う訳だが、検察脚本は、どうしたら辻褄が合い、あたかも論拠が正しいと見えるかを追求するという、まったく面白みなどない、ただただ思い付いた筋書きに事件をどう導いて行くかというものだ。

 しかし、この検察のやってることを、もっとマクロに眺めると、政府内閣官房とか各省庁での活動も、類似のものではないかということに突き当たる。現在各省庁で行われている、外部的な要因における変化への対応、これは生物で云えば種の保存本能である訳だが、マジメに日本の将来を憂う人物が皆無ということではないと思うが、特にその階層が上に行くほど、慣例、脚本化とうのがリーダーシップと思ってる気風、権威主義という啓蒙思想に余りにも流れ過ぎていると感じる。

 つまり、官僚は参謀であるのだが、その法律の立て付けからは立法の権限はなく、参謀としての意見具申をする訳だが、自らが描いたストーリーに合う情報しか立法権者(政治家)に与えない。しかも、さもその情報が正しいが如く見せるために、審議会という儀式を経るのだが、そこには反権力的な思想者を除外し、ほとんど既得権者のみ集めることを前提とする。しかも、その既得権者は、社会的にそのことに精通していると見えるだけの高名な学者とか地位の高いと見られる産業界の取りまとめ役たる人物を集め、その審議結果にさも権威があると云うべき一種のブランド化を狙う。

 このことは、世の産業界とか個別システムの制御手法に例えるとオープンとクローズドと各制御システム(アルゴリムズと云って良いだろう)があるが、明らかにオープン制御であり、結果を入口に戻す反復制御するクローズド制御ができない欠陥アルゴリズムで、実態上の乖離は広がるばかりと感じる。

#政府・官僚の思考システムは欠陥制御


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