今の世でもっともAI化が求められる職種は何か
現世はコンピューター技術が発達し、AI(人工知能)というべきものが、様々な機器だとか製品に謳われる様になっている。しかし、AIといっても、コンピュータープログラム(アルゴリズム)の一つの形に過ぎなく、人のひらめきとういうべきものはなく、感情というべきものもない。
多くのコンピューター科学者が危険性を予言しているが、コンピューターが感情というものを持ちより人に近いものとなったとすれば、極めて憂慮されるべき事態になると警告している。これは、映画「2001年宇宙の旅」で描かれたコンピューター「ハル(HAL)9000」の動作だとか、「ターミネーターシリーズ」で描かれる世界がある。
ここでは、そんな感情を持つまでに至らず、現行レベルのAI化でもっとも、公平・公正という国の根幹に関わる職業への適用が考えられるとものとして想定して見たい。それはどんな職種だろうか。
それは、およそ国家の中で、法に基づき、公正・公平でなければならない職種と云えば、明らかだろう裁判官のことだ。裁判所のWebは、「裁判官は,憲法や法律に拘束されるほかは,良心に従って,独立して各事件について判断を行います(憲法第76条第3項)。」とされている。この良心とは、公正・公平というべきものであろうかと信じる。
つまり、現行法だとか、過去の膨大な判例に基づき、より客観性を持って事の判断を行う。そこに良心などというあやふやな言葉でなく、公正・公平な論理で臨むとなると、正にコンピューターアルゴリズムにとって、最適な対象であると思える。
もちろん。このAI結果については、その妥当性だとかを、新たな裁判官たる人がチェックできる余地がなければいけないだろうが、無制限に否定することもできない様にしなければならないだろう。つまり、確かな論理で、AIを否定できるというものでなければいけないだろう。
そして、現行刑法で情状酌量という、ちょっとあいまいな減刑が許されていることは、論議が必用かも知れぬが、これは一定の論理があることを前提に人が認めれば良いと思う。この判決求刑と、情状酌量の相反する問題については、日本は同一裁判官が判断して論告しているのだが、米国などでは別人が行うことで、その曖昧さを少しでも払拭しようとしている様だ。
もし、この様な裁判官のAI化がなされれば、日本の刑事司法における有罪率99.9%は必然として下がるだろうし、冤罪も少なくなる方向へ向かうのは確かだろうと思える。そして、何より現行裁判の判決文が、やたら冗長で、本論を外した問題に触れたり、越権ともいえる文章となっていたり、論理として破綻の疑いを持つといった弊害もなくなり、正に憲法に云う、国民は法の基に平等であることが果たされると思える。
しかし、三権分立ということで、法の条文上では、独立した判断を行う裁判所だが、特に最高裁は猛烈に反対することは間違いないだろう。それは、今まで多くの場合否定してきた、国賠だとか現世国家体制を否定する様な判決が出ることを許さないためであろうかと思える。これらは、人事権を持つ最高裁では、下級審において、その様な良心に基づき判断した裁判官を、僻地に飛ばし、ある場合は任期(10年)の更新を否定する場合もあったのだから。
しかし、この裁判官AI化が可能となった時、現世国民に渦巻く、世の閉塞感と云った霧は、拭い去られ国家国民の活力は間違いなく向上する方向へ向かうだろう。
現世はコンピューター技術が発達し、AI(人工知能)というべきものが、様々な機器だとか製品に謳われる様になっている。しかし、AIといっても、コンピュータープログラム(アルゴリズム)の一つの形に過ぎなく、人のひらめきとういうべきものはなく、感情というべきものもない。
多くのコンピューター科学者が危険性を予言しているが、コンピューターが感情というものを持ちより人に近いものとなったとすれば、極めて憂慮されるべき事態になると警告している。これは、映画「2001年宇宙の旅」で描かれたコンピューター「ハル(HAL)9000」の動作だとか、「ターミネーターシリーズ」で描かれる世界がある。
ここでは、そんな感情を持つまでに至らず、現行レベルのAI化でもっとも、公平・公正という国の根幹に関わる職業への適用が考えられるとものとして想定して見たい。それはどんな職種だろうか。
それは、およそ国家の中で、法に基づき、公正・公平でなければならない職種と云えば、明らかだろう裁判官のことだ。裁判所のWebは、「裁判官は,憲法や法律に拘束されるほかは,良心に従って,独立して各事件について判断を行います(憲法第76条第3項)。」とされている。この良心とは、公正・公平というべきものであろうかと信じる。
つまり、現行法だとか、過去の膨大な判例に基づき、より客観性を持って事の判断を行う。そこに良心などというあやふやな言葉でなく、公正・公平な論理で臨むとなると、正にコンピューターアルゴリズムにとって、最適な対象であると思える。
もちろん。このAI結果については、その妥当性だとかを、新たな裁判官たる人がチェックできる余地がなければいけないだろうが、無制限に否定することもできない様にしなければならないだろう。つまり、確かな論理で、AIを否定できるというものでなければいけないだろう。
そして、現行刑法で情状酌量という、ちょっとあいまいな減刑が許されていることは、論議が必用かも知れぬが、これは一定の論理があることを前提に人が認めれば良いと思う。この判決求刑と、情状酌量の相反する問題については、日本は同一裁判官が判断して論告しているのだが、米国などでは別人が行うことで、その曖昧さを少しでも払拭しようとしている様だ。
もし、この様な裁判官のAI化がなされれば、日本の刑事司法における有罪率99.9%は必然として下がるだろうし、冤罪も少なくなる方向へ向かうのは確かだろうと思える。そして、何より現行裁判の判決文が、やたら冗長で、本論を外した問題に触れたり、越権ともいえる文章となっていたり、論理として破綻の疑いを持つといった弊害もなくなり、正に憲法に云う、国民は法の基に平等であることが果たされると思える。
しかし、三権分立ということで、法の条文上では、独立した判断を行う裁判所だが、特に最高裁は猛烈に反対することは間違いないだろう。それは、今まで多くの場合否定してきた、国賠だとか現世国家体制を否定する様な判決が出ることを許さないためであろうかと思える。これらは、人事権を持つ最高裁では、下級審において、その様な良心に基づき判断した裁判官を、僻地に飛ばし、ある場合は任期(10年)の更新を否定する場合もあったのだから。
しかし、この裁判官AI化が可能となった時、現世国民に渦巻く、世の閉塞感と云った霧は、拭い去られ国家国民の活力は間違いなく向上する方向へ向かうだろう。