米国トランプ大統領と最近目立つ我が国の立花隆志・N国党党首という政治家だが、類似点を感じるところです。どちらも既存のマスコミを相手にしません。トランプは、マスコミ報道をフェイクニュースと切り捨て、立花は、NHKを始め、自らに都合の悪い報道はしない偏向報道だと繰り返し説いています。そして、トランプはTwitterで、立花はYoutubeで自らの意見を正々堂々と論じています。
この既存マスコミの報道はウソじゃないけど、ある瞬間の数少ない画像や一語を捉え本来の論点を偏向させたり、世間に周知することが既得権者とか自らの不利になることがらに口をつぐむ姿勢は、予てから多くの論者が批判を述べて来たところです。ところが、そうしてマスコミを批判する論者も、大半がある勢力の意を借りていたり、自ら目立つことしか透けて見えなかったというのが実態ではなかったでしょうか。ところが、トランプとか立花は、マスコミに強く批判されてもたじろぎません。むしろ、マスコミの矛盾を突き破り、如何にマスコミがマスゴミ足るかを論証し続けているのです。これは、既存のマスコミ(メディア)が頑なに堅持していた権力を、インターネット情報メディアにより、直接有権者に訴えることができる時代になったことにあるのだろうと思えます。
ただし、この様な情報革命の新しいメディアは単なる道具であって、誰でもがトランプや立花の様に魅力を持って大衆を引き付けるものではないとも思えます。そこには、強い意志と、したたかな戦略、そして如何に判り易く平易な言葉で表現できるかという才能が必要なのだろうと思えます。
こうして見ると、情報革命とはビッグデータとか5Gの様な情報の量とかスループット(伝達量速度)という主にハードウェアの革新ではなく、そのプラットフォームを道具として使い、既存メディアが大規模に構築した情報網に頼らず、個人が大衆に直接呼びかけるソフトウェアの革命であろうと思うところなのです。
この既存マスコミの報道はウソじゃないけど、ある瞬間の数少ない画像や一語を捉え本来の論点を偏向させたり、世間に周知することが既得権者とか自らの不利になることがらに口をつぐむ姿勢は、予てから多くの論者が批判を述べて来たところです。ところが、そうしてマスコミを批判する論者も、大半がある勢力の意を借りていたり、自ら目立つことしか透けて見えなかったというのが実態ではなかったでしょうか。ところが、トランプとか立花は、マスコミに強く批判されてもたじろぎません。むしろ、マスコミの矛盾を突き破り、如何にマスコミがマスゴミ足るかを論証し続けているのです。これは、既存のマスコミ(メディア)が頑なに堅持していた権力を、インターネット情報メディアにより、直接有権者に訴えることができる時代になったことにあるのだろうと思えます。
ただし、この様な情報革命の新しいメディアは単なる道具であって、誰でもがトランプや立花の様に魅力を持って大衆を引き付けるものではないとも思えます。そこには、強い意志と、したたかな戦略、そして如何に判り易く平易な言葉で表現できるかという才能が必要なのだろうと思えます。
こうして見ると、情報革命とはビッグデータとか5Gの様な情報の量とかスループット(伝達量速度)という主にハードウェアの革新ではなく、そのプラットフォームを道具として使い、既存メディアが大規模に構築した情報網に頼らず、個人が大衆に直接呼びかけるソフトウェアの革命であろうと思うところなのです。