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【書評】パール判事の日本無罪論

2020-08-16 | コラム
 この数日、「パール判事の日本無罪論」(文庫・田中正明著)を入手し、読了したところで思うところを記しておきたい。ところで、この本はアマゾン中古を見つけたのだが、つい5日前に、4、500円前後で多く在庫があり入手したのだが、今日見ると1700円以上で4件くらいしか表示がされない。つまり、この5日でそこそこ売れ、相場が上がっていることに気づく。つまり、敗戦(終戦)の日を挟んで、注目を集めたということなのだろう。

 さて、パール判事と聞けば、知的な多くの方は、東京裁判で一人だけ日本は無罪という裁定を下したインドの判事だと思い浮かべるだろう。拙人も、雑多な知識の中で、そのことは知っていたが、改めてパール判事はどの様な論拠を持って意見を表明したのか、この本の表題を知った時、直ぐさま入手の意志が働いた。

 結論から云えば、この本は東京裁判というものの背景だとか、強引に導かれた結論、何処が不条理かといった事々を、誠に整理して表明している良書と思える。この本は、中学生以上なら、十分理解できる内容であるし、我が国近代史を知る副読本として、国費で配っても良いくらいの本ではないだろうか。

 しかし、そうは絶体ならないのだ。たかが、15日の首相や政府高位職の靖国参拝が、ビクビクと神経をとがらせ行けないという体たらくはなんだろうか。たぶん、政府要職の政治家や官僚などの知識人であれば、東京裁判がとんでもない劇場裁判であったことを知らぬはずはないが、誰もそのことは口を閉じている。知っているのに、知らないフリをしているのは誠に情けないという思いだ。

 彼の三島由紀夫は、自決(1970/11/25)前の7月の新聞書評で「私の中の25年」と題する中で「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。・・・日本はなくなって、その代わり無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう」と記している。つまり、三島には、日本人が日本人のプライドを失ってしまったことに我慢がならなかったのだろう。

 メディアの中で半日というのがあるが、それは無視するとして、逆に半日でないメディアでも、東京裁判はデタラメだったという記述はない。政府や官僚も、あえてそこには触れぬ訳だが、このことは国家の威信における重大な問題を未来永劫内在して来る。

 考えてみれば日頃付き合う、同僚、知人、後輩達との世間話でも、数十年前はもっと政治指向などの意見を語り合ったのだが、時代が進むほど、その手の意見を表明することを避ける者が多くなったと感じる。現代を生きる者は、何かを怖れている様にも感じる。これは、アメリカが与えた、原爆以上に強力な精神爆弾の効果だろう。それが、一つは東京裁判という劇場だ。


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