私の思いと技術的覚え書き

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書評 走り屋一代(田中健二郎著)

2019-09-02 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 この「走り屋一代」(田中健二郎著)という本を知ったのは、従前(8/19)書評として記した「炎上」(中部博著)内で、田中健二郎氏のことを知ったことによる。つまり、1974年6月のFISCOグラチャンレースでの多重事故の際、同レースのTV中継において、その解説者として田中健二郎(1934年1月3日 - 2007年12月29日:73没)氏が存在し、1ヒート目のローリング走行において、黑沢車のウィービングだとかを「こりゃイカン!」などと激しく叫んでいたと知るのだった。
 その後、同本内でだったと思うが、田中健二郎氏が我が国のレース界では、黎明期といえる時代から二輪を、その後4輪のドライバーとして関わっていたことを知るのであった。そして、日産ワークスに関わる北野、高橋、黑沢、長谷見などの師匠格として存在していたことなども知り、さらに自著本たる「走り屋一代」を残しているのを知る。
 ここまで知ると、その「走り屋一代」を読んで見たくなるというのが、ささやかな愚人の思いとなり、手近の図書館などを当たるが見つからず、ヤフオクでの出品を見つけ落札して入手して読んだというのが今回の書評なのだ。

 この本のカバーを写真1に、奥付を写真2に示す。ここから、本の出版はS44年(1969年)であり、先のグラチャン事故より5年前であることが判る。

 それと、本の末尾に掲載された田中健二郎氏の生涯戦跡表を写真3に示すが、オートレース、そして2輪レーシングライダー、さらに4輪ドライバーとして、数々の輝かしい戦績を残していることに驚く。なお、戦績の最終年が1968年だから、先の出版年の前年まで現役として活動していたことも判る。また、現役引退したのは34才だったことも計算できる。

 本の内容は細かく記さないが、かなり威勢の良いというか人情味ある親分肌の性格であったことが随所に書き表されている。また、ホンダライダー時代に本田宗一郎氏とのやりとりなども記されていて興味深く読む。なお、先にも記しているが、ホンダライダー時代に高橋国光氏との出会い(というか発見)のことが記された部分のみ写真4に示してみる。また、現役時代の映像を写真5に示す。

 この本の巻頭に推薦の言葉を小説家たる大藪春彦氏(61才没:故人)が記しているが、繰り返し酒酌み交わす懇意な関係にあった様だ。その大藪春彦氏の本は、愚人が若きころ、「汚れた英雄」、「蘇る金狼」など文庫で読んで来た。田中光二氏と共に、クルマに精通した小説家として記憶に残るところだ。なお、買った覚えはなく何時入手したのかも記憶にない「大藪春彦氏」の短篇集とも云える「全開で飛ばせ」という本も持っていたので、裏表紙を写真6に、目次を写真7に示して見る。この本の裏表紙には、田中健二郎氏が推薦の言葉を記している。






追記
 田中健二郎氏のwikiの記述に以下の下りがある。
 「1980年代以降はテレビ解説に登場する機会も減り、埼玉県所沢市で板金業を営んでいたが、晩年は健康を害したため、妻の実家のある静岡県沼津市に移り静養していた。2007年12月29日死去。

 この所沢の土地は本田宗一郎氏が配下に命じて手配したものであることが、著述内で触れられている。なお、晩年に「妻の実家のある静岡県沼津市に移り静養」と記してあるが、愚人の住む市内の話しだが、初耳であった。どの辺りにお住まいだったのか、事情を知る方がいたら教えを請いたい。



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1 コメント

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有難うございます (Nao Yanagishima)
2022-03-17 12:53:13
高橋国光氏が亡くなられたとの報に接し、私が少年期に心に残っている、田中健二朗氏が高橋国光氏をまさに"発見"された時のエピソードを懐かしく思っていましたが、本の題名も全く記憶がなく残念に思っていました。
そんな時にYahooサーチで当ブログに出会い、心から感謝しております。
有難うございました。
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