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 私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

作られたクルマの虚像たる価値観

2022-03-15 | コラム
作られたクルマの虚像たる価値観
 クルマと共に過ごして来たこの40数年であるが、クルマというものを知らないシロートなら判らんでもないのだが、傍目には自動車屋であったりクルマの関係業種である、ある意味プロな方に、「アウディって品質レベルが高いんだってね」というおそらく私の同意を求める発言を受ける場合があり正直返答に窮することがある。ここで、アウディをレクサスに置き換える類似のケースもあるのだが、正直ぶっちゃけて本音を記せば、「アホな、そんなことがある訳ないでしょ。アウディはVWと共通のメカニカルデザイン(設計基準)だし。レクサスはトヨタと同様だということで、あくまでメーカーが作り上げたブランドに過ぎない」と云うことなのだが、同意を求めるある意味親しげな質問に、全否定する結論を返す訳にいかなくて返答に窮する訳なのだ。

 しかし、シロート相手なら、CMなどのイメージ作戦で幾らでも騙せる訳だが、こういうある意味クルマの玄人的な者にまで、そう思わせてしまうところが、メディアとかを含めてだがメーカーの情宣力は大きなものがある。

 これは、受け売りの話しだが、ヒトラー引きうるナチスの高官「ゲッペルス」の発言として有名なものに、「ウソも100回繰り返せば真実になる」というものがある。日本でも冤罪事件が絶えない訳だが、それらの多くは警察や検察が、描いたストーリーを100回異常繰り返されば、当然そこには引き換えに楽になれるとか刑が減軽されるかもという付録が付いているのだが、余程の信念のある者でなければ、もういいや、その通りですと云うことになるのだろう。だから、取り調べの可視化と云うのが論議されているその方向に行くことになっているのだが、まだまだの感があるし、そもそも拘留期間の延長を裁判所が簡単に認め過ぎるし、そもそも刑事裁判は検察の求刑を妥当か裁くのが主旨なのだが、ほとんどの刑事裁判が検察の主張の追認に過ぎないままで、弁護側も同じくで、その上で情状を主張し、減軽を認められるのがせいぜいのところなのだろう。

#作られる虚像たる事実


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