私の思いと技術的覚え書き

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【過去の紀行文】地震災害に思う

2005-03-23 | 過去の紀行文
【過去の紀行文】地震災害に思う
 つい先日、福岡地方を比較的大きな地震が襲いました。ちょっと前の昨年10月には新潟地方での巨大地震が発生していますし、同じく昨年末のスマトラでの巨大地震は、地震に伴う極めて広範囲の津波で20万人を遙かに超えるとも云われる未曾有の災害を生じたました。また、ちょうど10年前には、あの阪神大震災が発生しております。
 間もなく名古屋万博が始まり、科学技術の最先端といったものが示されるのでしょう。テクノロジーは確実に進歩しているのは間違いないところです。しかし、先の地震災害の抑止技術といった面については、まだまだの感を持たざるを得ません。それだけ、自然の力は偉大ということなのでしょうが、将来人間はこれら災害を克服して行くことができるのでしょうか。
 ところで、今の私の住まいの地(仮のですが)の近隣について、過去の地震はどうであったのか気になるところです。そこで、ネットで調べて見ましたら、以下の3つの地震が発生していました。
・三河地震  昭和20年(1945年)1月13日  死者2306名
・東南海地震 昭和19年(1944年)12月7日  死者1223名
・濃尾地震  明治24年(1891年)10月28日 死者7273名

 この内、もっとも最近となる(といっても60年前ですが)三河地震については、震源がこの地至近であり、この地での被害は甚大であった様子です。先日も昭和14年生まれの板金屋さんから、地震に驚き慌てて家から飛び出し、目の前で住まいが倒れるのを母親と共に震えながら見た記憶のお話を聞きました。子供心にも、さぞや恐ろしい体験であったものと感じました。
 また、この三河地震の痕跡を示す「深溝断層」(ふこうずだんそう)というのが、この地に残されております。先日訪ねてみましたので、その時の写真を添付してみます。  この写真の地は、元々田んぼであった様子です。断層の上下高さは約1.5mと記されていました。それにしても田んぼの一区画の小さいことに、貧しい時代であったことが想像されます。 追記  三河地震の発生した昭和20年は、云わずと知れた敗戦の年です。その僅か1ヶ月程前の東南海地震との連続地震であり、度重なるB29等の爆撃もあったでしょうし、敗戦間際の極めて劣悪な環境が生じたであろうことが偲ばれます。 送信日時: 2005年3月23日 水曜日 21:09 3 枚



01 深溝断層」(ふこうずだんそう)の表示看板 05/03/23
02 深溝断層」(ふこうずだんそう) 05/03/23
03 深溝断層」(ふこうずだんそう) 05/03/23



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