日和見
2021年08月02日(月)
立憲民主党の枝野代表が、オリンピックの中止を求めないと言っています。その理由は、混乱が生じるからということです。(ネット情報)
こういうのを、所謂「日和見」って言うのでしょう。
立憲民主党は、東京都議会議員選挙で、オリンピックの延期または中止を掲げていました。何故にここにきて、方針を変えたのか? 何をもって「混乱」というのか分りませんせんが、中止にすることをもって「混乱」というのであれば、それは、都議会議員選挙の時だって基本的には同じことであります。
例えが適当かどうか分りませんが、野球試合が予定されていて、雨天により中止となった場合を想定してみましょう。混乱っていったい何でしょうか? 中止は、野球を主催する者として当然想定しておくことであり、混乱ってことではありません。想定していなければ確かに大混乱になるでしょう。
オリンピックだって、極端な例えですが、大地震が起きれば中止になるのであります。組織委員会は当然そういったことを想定しているハズであります。
問題なのは、中止にする大義があるかどうかということです。中止を一貫して主張している共産党は、コロナ対策に政府の全「経営資源」を集中すべきであると言っています。これが「大義」であります。立憲民主党にはそもそもそのような大義はなかったのでありましょう。いわば、ポピュリズムで延期・中止を主張していたに過ぎないと思わざるを得ません。
菅首相の、「木を見て森を見ず」の楽観論に、尾身会長もシビレを切らして、政府と国民との間で危機感の共有が必要だと直訴しました。「木を見て森を見ず」とは、ワクチンにより高齢者の重症者が減ったとか、抗体カクテルにより治療が進むであるとかいった、現コロナ感染の重大局面を見ていないということです。現局面は、入院が必要な患者が入院できずに、いずれ在宅での死者が出てくるであろうことであります。その局面でワクチンといったって、第五波には間に合わないのであります。抗体カクテルと言ったって、入院できなければ投与できないのであります。
来週中には、1万人オーバーがあっても全く不思議ではありません。それに比例して、入院待機患者が激増し死者も続出していくものと思います。国民が危機感を抱くことになるのは、この時期と私は見ています。勿論、菅氏が危機感を抱くようになることは期待し難いです。○○の一つ覚えのように、「ワクチン ワクチン」と唱えるだけでありましょう。