団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

70歳を過ぎた今 人生時計を問う

2018-08-24 12:03:50 | Weblog

70歳を過ぎた今 人生時計を問う

2018年8月24日(木)

 このブログのタイトルは、「団塊世代の人生時計」です。最初の投稿は、「人生時計の目安」でした。

https://blog.goo.ne.jp/windy-3745-0358/e/6004ca5323c221f7b9013e4985b416b1

 

 最初の投稿をしたのが、2007年7月14日でしたので、11年と1か月経過しました。当初の人生時計と現在の人生時計で変化があったでしょうか?

 

 「変化」というか、大きく環境が変わったことに気付きました。それは、体調の異変です。「異変」というか、それは老化かも知れません。

 昨年70歳を超えましたが、その前の10年間は、私のそれまでの人生の中で、最も体調が安定した時期でした。風邪などもほとんどひくことがありませんでした。60歳で退職し、職場でのストレスが無くなったことが大きな要因ではないかと自己分析しています。(注 65歳まで再雇用で働きましたが、役職がありませんので、ストレスはあまりありませんでした。)

 

 ところが、70歳過ぎて、その体調が一変しましたです。①精力がなくなりました。②今年の心臓カテーテル検査で、動脈硬化が相当進んでいると指摘されました。③歯科検診で歯周病と診断され、下前歯が多少グラグラしていると指摘されました。8020は大丈夫かな?④変形性股関節症と診断され、もう半年以上患っています。いずれも、根本は老化と考えられます。

 人間、漠然と老化は考えると思いますが、具体的に何時どのように?というイメージはなかなか湧かないと思います。経験しなければ分かりません。

 

 当初の人生時計では、60歳が17時、80歳が22時としていますので、71歳の今は、20時少し前といった辺りです。夕食で一杯飲んで気分の酔いtimeですね。TVのカープ中継で勝っていれば最高の気分です。といった具合で、カープが勝った瞬間は交感神経が高ぶりますが、後は副交感神経が優勢になります。つまり、穏やかな眠りにつくことができます。いきなりですが、「死」って眠りの延長と思います。

 

 ・・で、ここにきて、サマータイムなることが言い出されました。その場合、私の人生時計はどうなるのでしょうか?考えても結論が出ません。思考力も無くなってきているようであります。(泣き)

 

 これは、著名な思想家が表した人生時計です。等間隔に時を刻んでいますので、正午を40歳前後としています。(80歳前後で死ぬという想定ですね。)71歳の私は21時少し過ぎになりますでしょうか・・。21時と言えば、私はもう寝ている時間帯であります。何時、その眠りが延長になってもおかしくないのであります。ということで、いきなりですが、「死」ということを少しずつ具体的に考えるようになってきているのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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妻の叔母の死

2018-08-24 10:48:03 | 家族

妻の叔母の死

2018年8月24日(金)

 8月6日、妻の叔母が亡くなりました。86歳(私の記憶が正しければ)。施設に入っていて、特段病気という訳ではなかったのですが、急変したということです。

 つい、8月2日は、私の方の叔母が死んだばかりです。いずれも暑い日でした。施設とか医療機関に入っていましたので、空調により暑くはないハズですが、何かしら身体に影響があるのではないかと思います。

https://blog.goo.ne.jp/windy-3745-0358/e/3623d083a181b147bc6163cc8c56d65f

 

 余談ですが、サマータイムなるものを検討していると言います。単純に時計を2時間早くするなんて問題ではないと思います。人間の体内時計にどのような影響を与えるか、慎重に考える必要があると思います、です。

 

 

 通夜へ行って参りました。

 この日、原爆が落とされた日で、お坊さんは超多忙でした。冷房が効かないと言っておられましたので、熱くなっていたんですね。

 

 曹洞宗なんです、このお坊さん。浄土真宗を「阿弥陀如来にすがって浄土に参らせていただく」という趣旨のことを言い批判していました。曹洞宗は自らの行いによれば、浄土へ行くことができない場合もあるということでしょうか。

 今流行りの「自己責任」に通じるのかな・・。自己責任は当然でありますが、その前提として公平ということがあります。今の世の中は、到底公平とは思えません。その前提での「自己責任」というのは、弱者に過度の責任を負わせることになります、です。

 全く理解不能であります。

 

 修証義。多少口語口調でありますが、読解できません、です。

 

 翌7日、葬儀へ行って参りました。

 花束で一杯になりました。

 

 火葬場です。

 最近建った火葬場で、とても綺麗です。

 

 最後のお別れです。涙を誘います。

 合掌

 

 昼食をいただきました。私には随分と多かったのですが、完食いたしました。バチ当たりになりますもんね。何時もこの心構えが大切であります。

 

 

 

 

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