またまた更新が遅くなりました。
見に来て下さっている皆様申し訳ありません
昨年11月初めの休日朝。
かねてよりちゃんと撮影したいと思っていた原宿駅を撮ってきました。
ご存じの通り昼間は大混雑ですが、人のいない駅舎を撮りたかった。
それなら朝活しましょうと友人が申し出てくれて、朝7時に待ち合わせ。
少し早めに着いて、あちこち撮りまくりました。
東京オリンピック終了後には解体されてしまうから。
本郷在住の頃で学生時代は、バイト入るまでの時間つぶしによく来ていました。
初めて“ディスコ”へ行くのに洋服を買いに来たのも、原宿だったっけ・・
もっともっと昔だと、
初めての原宿は姉に連れてきてもらったなぁ(姉高1、私小6)
昔は身近過ぎて、写真撮ろうなんて思いもせず。
まぁその頃は日常の写真を撮る習慣もなかったし。
デジカメすらなかったからね^^;
1924年(大正13年)築の、都内で一番古く歴史のある木造駅舎。
ファサードや外壁のハーフティンバー、屋根の八角形の塔、木製の駅名板、ステンドグラスなど
風情があるだけでなくオシャレ。
時計の上の装飾が凝っていて、木の味わいが強く感じられます。
大正モダンとはこのこと。
ステンドグラスもかわいい。
「関東の駅百選認定駅」です。
内側からも撮りました。
ステンドグラス、大正期後半はこのような直線的なデザインが流行ったそうです。
屋根に乗った八角形の塔もかわいい。
銅板葺きでしょうか。
空気穴?の周りは緑青色。屋根・土台が違う色に変化しているのは年代差かな?
解体後は耐火材料で復元する、ということですが
壊しちゃったら、もうこんな風に深い味わい出せないよー!
何度見ても素晴らしい。
インスタにも書いたのですが、
大正建築なのに太平洋戦争中よく生き残ったなぁと思って調べたら
原宿駅にも直撃弾は落ちたんですって。
でもそれが不発弾で、火災にならなかったのか被災しなかったらしいです。
焼け野原にポツンと残っていたらしく、強運な駅舎ということです。
その強運を今ここで絶やさずに、戦災で生き残った象徴として残せばいいのに。
(必要な耐震補強はしてもらって)
★ここに3年前の「東洋経済オンライン」にあった記事を一部抜粋して転記させていただきます★
日本人の「もったいない」精神はどこにいってしまったのだろうか。
これからの街づくりは「今あるものをいかに活用するか」が焦点となる。
にもかかわらず、日本の多くの街はそこから逆行している。今あるものを生かすのではなく、
スクラップ&ビルドの精神で今あるものをどんどん壊し、新しいモノをそこに建ててしまう。
ここで私は小池百合子都知事にひとつの提案をしたい。民間企業が好き勝手に建築物を壊したりできないように、
ニューヨークやパリのような規制を設けるのはどうだろうか。
どういう基準に基づいて、どういった建築物や場所を保存するかのヒントは、ほかの都市から得られることだろう。
そんな規制があれば、あの美しかった三信ビルディングや、旧日比谷三井ビルディングを残せたのではないか。
かつて環境大臣を務めたことがある小池知事のことだ。
それくらい街の景観や価値にも関心があるだろう。
日本人の「もったいない」精神はどこにいってしまったのだろうか。
2週間程度のスポーツ大会のために、東京の至るところで価値の高い建物が壊され、再開発が進もうとしている。
その祭典が終わったら、この街に何が残るのだろうか。
世界中の誰が、新しいモノしかないような街を訪れようと思うのだろうか。
真の東京の価値は何になるのだろうか。