思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

半角カタカナを疑え!

2006-06-04 17:27:42 | 出版・言葉・校正
最近、ネット上の掲示板などでよく見られる文字表記に、「半角カタカナ」がある。本項の結論から言うと、僕はこの表記が前々から大嫌い。なぜ、文章をパソコンやワープロで書くさいに書ける文字数に制限があって全角のみでは書ききれない! とか、文字を入れ込むべき場所に余裕がない! というわけでもないのにわざわざこんな表記にするのかね、とこれを使っている人に違和感を覚える。
で、少し前にも気になる表現があった。「ネチネチ」という表現である。これが含まれていた一文全体を見ると、ネチネチという語感の印象どおり、しつこい、粘っこい、ウザイ(うざったい)、という感じの意味合いで、あえてこの表現の受け手に対する嫌悪感というか敵意を強く示したいがためにこの表記になったようだ。

ネチネチ(全角)

ネチネチ(半角)

上記のように全角と半角の表記を見比べると、なんとなくではあるが半角表記のほうがネチネチ感が余計に強調されて、文字の小ささと同様にこの表現の使い手(書き手)の器の小ささも同時に感じる。
だいたい、文章を書くさいにふつうに全角のひらがな・カタカナと漢字で文字を打ち続けているなかで、なぜここの表現だけいちいち半角カタカナに変換する手間をかけてまで表記したがるのだろう。ふつうにその前後の表記と同じ流れのまま、全角で打ち続ければラクなのに、と思う。まあこれはやはりその労力をかけてまでその文章の受け手に対する嫌悪感を示すためにこう記したのだろうが、わざわざ半角に変換するというその魂胆がせせこましく、その人の器はどちらかと言うと小さく見えてしまう。
そういう半角カタカナ表記の人の心のほうがネチネチしているというか、それよりもさらに粘度が濃くてどす黒い、「ドロドロ」という感じに心が濁っていて、実際にその人の血流もあまり良くないのではないかと想像する。血液の粘度を和らげる効果のある玉ねぎをもっと食べたり、水分をこれまで以上にこまめに多めに飲んだり、体温を高めて血流を良くするために運動したほうがよいかもしれない。肥満体型の僕は文章表現も血流も人一倍気にしているほうなのだが、わざわざ半角カタカナ表記を多用している人はそういうことをほとんど、というかまったく気にしていないんだろうなあ。

また、この「ネチネチ」という字面を見て真っ先に連想したほかの言葉に、俳優の中尾彬が冬場に首に巻く長めのマフラー、というかいわゆる“ネジネジ”がある。
これをもし半角カタカナで「ネジネジ」と表記すると、本業の映画やテレビドラマから外れてバラエティ番組やCMに出演したさいは、共演する若手芸能人や数十年来の宿敵? である江守徹との掛け合いでちょっと威圧的というかケンカ腰の口調になることはあるけれども、そのなかにも愛嬌や男気も垣間見られる中尾独特の個性が損なわれてしまうような気がする。

ネジネジ(全角)

ネジネジ(半角)

上記のように全角カタカナと半角カタカナの表記を見比べると、やはり全角表記のほうが、「オマエは何なんだ!」「そうは言っていないだろ!」「能書きは要らないんだよ!」と言うような、中尾の堂々とした感じが字面に表れていて強く見える印象がある。だが、半角表記にすると、全角よりはなんとなく弱っちい、というかしょぼい感じになり、従来の中尾らしくない印象に映ってしまう。彼のそういった個性を尊重した記述にするには、やはり全角表記のほうが適している。わざわざ半角表記にすることで良いことはひとつもない。このように他人を小バカにするという悪い印象が付いてしまう恐れもある半角カタカナ表記でわざわざ記すことに“善い”点がある、と断言できて解説もできる方がもしいらっしゃるようであれば、ぜひ教えていただきたいものだ。

出版業界、なかでも校正の業務ではこういった半角カタカナ表記は使うべきではない、というかあり得ない、という観念があり、こんな表記がダメなことは基本中の基本である。横組の媒体でアルファベット(英単語など)やアラビア数字を半角というか小文字にすることはよくあるが(縦組の数字は2ケタの場合のみ)、半角カタカナはおおっぴらには認められていない、はず。
また、近年普及しているネット上の媒体でも、何かの申し込みフォームに応募者の個人情報を入力するさい、「半角カタカナは使用しないでください」というただし書きが添えられていることがたまにある。僕はこういうフォームを利用法やネット事情には詳しくないのだが、こういうところに半角カタカナで打ち込むと文字化けしてしまって発信者の情報が送信先にきちんと伝わらないことがあるようだ。やはりネット上でもまともに(日本語の)漢字かな混じりの文字を打ち込むうえでは半角カタカナ表記は不適、ということだ。
ただ、最近は2004年から2005年にかけてのヒット本『電車男』(中野独人、新潮社刊)のように、ネット上の掲示板やウェブサイトやブログから出版化するという事例が増えてきて、そうなると元の表現を尊重するために、(活字媒体では禁止事項とされている)掲示板などで特によく使われる半角カタカナもあえて使用しなければならない状況も年々増えつつある。『電車男』でも、キーボードで打ち出せる文字や記号を組み合わせて描く絵である「アスキーアート」と同様に、半角カタカナ表記が多数見られた。これらを元の掲示板の表記により近付けるためのフォントの調整を含めた編集作業は一般書よりもかなり大変だったらしい。

最近はそんなふうに活字媒体でも渋々扱われつつある半角カタカナだが、一応は出版業界に携わっている僕としては、この非常識とも言える表記は完全に納得はいかない、というか生理的に受け付けられない。
ネット上のあらゆる人が発信しているウェブサイトやブログを覗いていて全体的に感じるのは、冒頭のような半角カタカナ表記をわざわざ使っている人というのはその大半が掲示板などで素性を明かさずに匿名で書き込んでいる人である。逆に、個人情報をある程度公開して、実名でそれらを運営している人の表記では半角カタカナ表記を見ることはめったになく、そうやって自分の言動というか表現に責任をきっちり持ったうえでネット上で意思表示している真っ当な人のほうが、半角カタカナなんか使わずに真摯に表現している印象がある。
でもまあ、『電車男』で電車男の恋の行方を応援し続けた善い“住人”がたくさんいたように、匿名で書いている人すべてが真っ当ではない、悪いヤツだ、と決め付けているわけではない(各種事情によって、内容によってはどうしても実名で書けない人もいるだろうから)。だが、絶対数だけを考えると、実名で書いている人たちよりは匿名で書いて自分の表現の責任逃れをしている人たちのほうが、わざわざ半角カタカナ表記でネチネチと特定の他人への誹謗中傷や罵詈雑言を列記していることが多いな、という悪い印象はある。

そういう「逃げ」の姿勢で何事かを書いて他人をおとしめるのは、マンガ『ちびまる子ちゃん』の藤木くんや『ゲゲゲの鬼太郎』のねずみ男のように、卑怯なことだな、と思ってしまう。僕も冒頭の「ネチネチ」という半角表記を見つけたときは、この書き手の器の小ささと同時に藤木くんやねずみ男なみの、そして時代劇やサスペンスドラマで加害者が被害者の寝込みを襲うような卑怯さを感じた(まあこの表記を使った匿名の書き手は素性を少しも明かしていないので男性か女性かもわからないのだが)。
また、2004年4月にイラクで武装勢力に拘束された今井紀明の実家(北海道札幌市)に、事件後に届いた104通の手紙のうち、送り主の宛名が実名だったのは3通のみで残りはすべて匿名(無記名?)で、書面の内容は大半がそんな自分を守った立場から「死ね」「非国民」「税金泥棒」などと罵倒したものだったそうで、そうやって「逃げ」の姿勢で言いたい放題言っているという悪質さも感じた。僕はそういう感じで匿名で自分の身辺を守った状態でその表現の受け手よりも一段上の立場から、虎の威を借る狐のように(現実世界においての)自分の実力以上の物言いをしながら言い逃れおよび責任逃れをして、しかもその受け手と直接連絡が取れる手段(住所・電話番号・メールアドレスのいずれか)を付記したり、それが諸事情によってできないとしてもいくらかの自己紹介もせずにネチネチと書いている無礼な輩とは、残念ながら一生お友達にはなれないな、と公衆トイレの落書きや半角カタカナ表記を見るたびに毎回感じる。生理的に受け付けられない、というのはそういうこと。

どこぞの内閣総理大臣ではないが、この世は人生いろいろ、人間もいろいろで、戦争も民族対立も無差別テロもない世界の平和を願っていても、世界のすべての人とお友達になれるわけではないのが現実なのだが、それでも多様な価値観があることはできるだけ知っておいて、自分の身近なところでは最近は半角カタカナのような表現方法もあるのだということもきちんと受け入れて、他人を信じることから始めなければならないのだろう、とは最近よく思う。だが、(ちょっとした職業病によって)世間の文字表現に人一倍こだわっている僕としては、現状ではやはりまだこの表記には違和感が多分にあり、どうしても完全に受け入れることはできない。「ネチネチ」のような表記を嬉々として使っている人の人間性をつい疑ってしまう。

重ねて結論を言うが、僕は半角カタカナの表記が大嫌いである。なお、本項では事例をわかりやすく示すために僕は普段は絶対に使わない半角カタカナ表記をあえて入れてみたが、これは今回限りで、今後は二度と使わないようにする。一応、出版業界に携わっている者のひとりとしては、あり得ない、使うべきではない表記だから。現状ではネット上のみでとりあえず通用している表記で、これに不快感を抱いている読み手もいることを覚えておいてほしいものだ。


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