思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

現在の日本の登山業界を牽引しているひとりで15年ぶりに会った先輩は、良い意味で丸くなっていた

2011-11-19 22:00:45 | 登山

今月はホントに仕事がてんこ盛りで、現在も9日(水)から22日(火)まで14連勤中だったりして、例年の半年分の分量の仕事をここ1か月で慌しくこなしている感じ。でも校正という仕事は頭では慌しくなってはダメで冷静に対処しなきゃならんのだけど。
なので、ブログが疎かな状態に自分でもがっくりきているし、連日ここを訪れてくださっている200人前後? の方々にもなんか申し訳ない気分。でもツイッターは毎日やっていますんで、そちらのほうでまたお楽しみいただけると幸い(最近の仕事絡みのぼやきとか、忙しいと言いながら新調したテレビにすっかりはまっているとか、自転車で負傷した話とか、ネタはいろいろ)。
ホントは書きたいことは今月に起こったことでも2、3あるし、過去の仮投稿も早く完結させたいのだが、今はどうにもならんからまた追々。
言い訳は以上にして、でもひとつだけ特筆したいことを。


そんななか13日(日)の午前、出勤時間を無理矢理に遅らせて東京都・吉祥寺のICI石井スポーツ吉祥寺店の店内を借りてMarmot(マーモット)が催した、UIAGM国際山岳ガイドの平岡竜石(ひらおか・りゅうせき)さんのヒマラヤ登山報告会を聴きに行った。今秋のいくつか山・旅関連の催しで最も楽しみにしていたやつ。今年、ガイド役でエヴェレストとマナスルと8000m峰2座にお客さんを登頂させているからなー。

で、以前も少し触れたが改めて詳しく触れると、平岡さんは厳密には僕が学生時代に属していた「立正大学II部ワンダーフォーゲル部」の7学年上の先輩。だから現役時は直接の絡みはなくてこれまでにも2回しかお会いしたことがなかったのだが、平岡さんと僕に共通する先輩や同期のOB、それに平岡さんにとっての後輩で僕の先輩にあたる方々からは噂話をしょっちゅう聞いていた。ここには書けないことも含めていろいろ。でもやはり総合すると、学生時代から部員のなかでも特に“山ばか”みたいな感じだったそうで。まあ大学以前から登山はやっているそうだし。

それで、平岡さんが現役時はワンゲルとともに山岳部にも属して掛け持ちのようなカタチで活動していたそうで、まあ登山のレベルは他大学と同様に正直、“水平”のワンゲルよりも“垂直”の山岳部のほうが高いから、南米やヒマラヤなどのより高くより困難なほうの山へ、という上昇志向の表れで次第に山岳部の活動に移ったのだろうね。このへんの流れについて、いつか改めて詳しく訊きたいのだけど。
ちなみに「立正大学山岳部」というと、1990年代にシシャパンマとエヴェレストへの登山も実施しているし(大学山岳部が単独で8000m峰へ登山隊を出すのはこの頃はまだ珍しいほうだった)、それに学年的に平岡さんの少し下には現在、日本人初の8000m峰14座全山登頂を目指していて、今秋には13座目のチョーオユーに登頂して(直近では、先週の『週刊ヤングジャンプ』の真ん中あたりにそのカラー報告記事があった)、登山業界においてのここ数年の時の人である竹内洋岳(たけうち・ひろたか)さんがいて、昨年に本ブログで触れた『初代 竹内洋岳に聞く』(塩野米松、丸善)にも書いてあるが、1991年のシシャパンマの登山にともに参加していた、というつながりも当然ある。

平岡さんの大学時代以降の流れは、社会人山岳会というよりもより先鋭的な登山をやりたい同人組織のひとつ「山岳同人チーム84」に加わって登山を続けて、のちにツアーというよりは高所のガイド登山を数多く催行する「アドベンチャーガイズ」の活動に参加し(例年、エヴェレストにも公募隊を出していて、今春は登頂までの行程をWOWOWの密着取材が付いた影響で平岡さんにとっての古巣の、同じく高所に強い国際山岳ガイドの近藤謙司氏が率いるこの登山隊は話題になったわね。僕と同世代で登山歴5年の女性が登頂したとか)、09年からはそこを離れてフリーで活動するようになり、国内の山岳ガイドでも数少ない高所登山主体を活動を続けている。特に南米の山に強い、という実績も日本人ガイドのなかでは珍しい。
このへんの現在の活躍に至るまでの山一辺倒の経緯は、雑誌『PEAKS』で僕も好きな人物連載「Because it is there... なぜなら、そこに山があるから」でも早めに取り上げるべきだよなー。毎年、春から秋にかけては登山ばかりで外国へ行ってばかりなので、日本にいる冬場にこそぜひ。

ああそれで本題に戻るが、今回の報告会では今年行ったエヴェレスト(ネパール。だから=サガルマータ)、マナスル(ネパール)、ルンサール・カンリ(インド)の3峰について高い山から順に紹介していったが、それは「世界最高峰を登るためには」というテーマで進めて(ガイド登山なのでできるだけ安全に配慮して酸素にもシェルパにも頼る一般的? な極地法で)、まずエヴェレストがどんなところかを見せて、次にその前にそれよりも登りやすい8000m峰を一度は経験しておいたほうがよいという体でマナスルを挙げて(実際、マナスルの公募隊はゆくゆくのエヴェレストを狙うお客さんがよく参加しているそうで。近年の傾向を見ると、中国とチベットのごたごたとともに、カトマンズからヘリコプターでベースキャンプ手前までアプローチできる容易さもあり、他国の公募隊もネパールから中国へ回り道して行かねばならんチョーオユーよりもマナスルのほうが行きやすくて流行る、と思う)、さらにその前に富士山よりも標高の高い山を経験しておいたほうがよいという体でルンサール・カンリを挙げて、と、最終的な目標へ向けての逆算の流れで紹介していた。

なお、ルンサール・カンリのところの位置付けの山は例年は平岡さんの得意な南米の6000m峰へ行くことが多いが、インドでの登山が未経験で行きたかったから今年初めて行ってみたそうで。特にラダックは地域的にもネパールやパキスタンに比べても外国人に開放されたばかりであまり人が入っていなくて、ゆえに許可が下りれば自分たちの登山を楽しみやすいとのこと。
まあ、エヴェレストが最終目標ではない人もいてもよいと思うが(僕のように単純に外国の山へ行きたい、とか)、それぞれの顧客の登山するうえでの動機付けや目標への意識の差異についてもうちょい聴きたかった気はする。

ちなみに、平岡さんのブログで吉祥寺の模様を軽く報告しているが、その写真の真ん中の下の座席の、白色の上着を着ているのが僕。まあそんなことはどうでもよいか。
ただ、日曜日といっても午前中だったのと、あとは(近年、平岡さんと装備面で懇意の)Marmotによる広報がやや弱いこともあってか、事前申し込みは不要の出席者は13名か14名ほどと小規模だった。時間帯が早すぎたこともあったのだろうけど、これは現在の日本人の登山の流れを掴むうえでも全国的にもっと注目されるべき、山岳系媒体の関係者もちゃんと聴きに来るべきレベルの話だからもったいないよなあとしきりに思った。でもまあ、(前回の投稿の)前週に行ったくりっきーの催しとは対照的にこぢんまりとした空間もまた良かったけど。

これは来週に、平岡さんのブログで告知されている23日(水祝)午後のICI石井スポーツ神戸三宮店24日(木)夜のIBS石井スポーツ福岡店でも催される報告会も同様の流れになると思うが、どうだろうね。どちらも13日のよりは日時の条件はさらに良いので、富士山以上の標高(つまり外国)の山を視野に入れている人には(先輩だからというひいき目を取っ払っても)ホントにおすすめなので、行けるようであればぜひ。

結局は1時間の予定よりも15分押しで終わった報告会の終了後、聴衆との挨拶や(なかには来春に別の日本人ガイドとともにエヴェレストへ行く予定の人もいた)、平岡さんの登山の風景の一部を切り取った絵ハガキと、基本的にアメリカの山関係の絵柄のMarmotのトランプという土産品の配布がひとしきり済んだあと、手短にだが平岡さんと挨拶できた。
実は、実際に会うのはここ数年なんだかんだでタイミングが合わなくて結局、共通の先輩の結婚式以来15年ぶりだったので、実際には面識があるとは言い難い僕をまったく憶えていないのはまあ仕方ない。でも共通の先輩後輩の名前を出すとなんとなくはわかっていただけたかなあ。また別の機会を狙って伺いたい。なんなら、八ヶ岳山麓の御宅へ押しかけて個人的により突っ込んだ話を聴きたいくらい。
帰り際、自分の記念用というよりも、みんな忙しくてなかなか会う機会のない大学のOBたちに僕はたまに会うときに軽く報告する用のツーショット写真を撮らせてもらうのを忘れたのを悔やむ。また今度。

平岡さんが人前で話す様子を今回初めて観ると、近年はガイド業で多くのお客さん、特に(お金と時間のかかる高所登山が主体ゆえにその余裕がある)目上の顧客と接する機会が多いはずで、山の技術的なこと以前に言わば接客業の要素も多分にある仕事だと思うので、その影響で人柄は以前よりも随分丸くなっていたように見受けられた。
学生時代に先輩などからは、平岡さんは先に触れた上昇志向のためかかなり尖っていて? 先輩後輩の上下関係は他大学よりも比較的緩いように思うウチの部の気風のなかでも特に厳しいほうのひとだと聞いていて、大柄なこともあってちょっと怖い印象をこの15年ずっと抱いていたのだが(その15年前の酒席でもワンゲルの運営や登山への意欲について、酔いどれ状態だったにもかかわらず軽く説教を受けたこともあったし)、今回で印象はガラリと一変し、丸くなったといっても良い意味で丸くなったかな。
ちなみに、平岡さんも僕もまだ20代だったその15年前というと1996年だが、この年は僕が大学3年でワンゲルの部長を務めた年なので、余計にそういう細かいことまで鮮明に憶えているのよね。だから今回、(僕のことは忘却の彼方のわけわからんヤツに見えただろうけど)久々に再会して記憶を更新できて良かった。15年前の記憶では古すぎるもんなー。

ここ数年のほかの山岳ガイドに比べると、平岡さんもかなり凄いことをやっているのに各種媒体への露出が比較的少ないのはいち後輩として少々もどかしく思うこともあるが(どれだけ凄いのかが一般的に伝わり難い業界だからなー)、まあ殊更に一般的に有名になればよいというものでもなくて自分の守備範囲の顧客との実際の触れ合いによる地に足の着いた信用第一の仕事であることはなんとなくわかるので、今後も変わらぬペースでやっていくであろうその動向をしっかり注視し続けたい。

(もう廃部してしまったけど)ウチのワンゲルの直系の先輩で、その歴史的には登山に公私ともにどっぷり浸かっていた代表的なひとというと以前も触れた、(ここ四半世紀のヒマラヤ登山に精通している人でなければわかりにくい? 知る人ぞ知る?)03年に亡くなった野沢井歩(のざわい・あゆみ)さんがいるが、平岡さんのブログの右側に今後のガイド予定の山がいくつか挙がっているなかに野沢井さんが雪崩で亡くなったヒムルン・ヒマールを来秋に組み込んでいるのはその縁なのか、と勝手に思ってしまう。平岡さん、今や野沢井さん以上に、だからウチの部のOBのなかでは最も登山中心の生き方になっていて、しかも円熟味も年々増しているよなあ。

というわけで、近年の大学の山岳部・ワンゲルのような山系の団体というと部員の減少傾向の問題はどこも抱えながらも東では明治・早稲田・日本・法政・東海あたり、西では京都・同志社・関西あたり、の実績が目立つほうだが、それらよりも小規模なウチの大学の先輩も別団体だった竹内さんも含めて、結構やるのですよ。と、彼らほどに公私ともにどっぷりではないけれども同門? としてはワンゲルOBのなかでも比較的多く登山の事象に趣味的に依然かかわり続けているいち後輩の立場から、改めて触れてみた。

現在の日本の高所登山の分野で大学の先輩がふたりも先頭あたりを突っ走っているのはとても嬉しいことで、ここ数年、他人事ながらすんごい誇らしい気分。今後もそれぞれの方向性でホンモノの良い登山を継続できるよう、陰ながら応援しております。


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