思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

映画『石巻市立湊小学校避難所』が公開されるまでのこと

2012-09-03 21:00:59 | 東日本大震災
先月18日(土)の新宿のケイズシネマでのモーニングショーから公開が始まり、今後はひとまず大阪・名古屋・仙台での公開も決まっている、藤川佳三氏(以下、カントク)が監督を務めた昨年の震災に関するドキュメンタリー映画『石巻市立湊小学校避難所』を、ようやく先月31日(金)に観た。
金欠続きではあるが、前売券を買っていたもので。

今年、震災関連のドキュメンタリー映画の公開が相次いでいてできるだけ多く観たいとは思っているが、なかなかそうもいかないのが悔しい。今後の再度の公開の場をできるだけ拾いたいものだ。
でも数年前から登山・野宿関連の知り合いで、5年前に僕も多少かかわったふざけた? 短時間の作品も手がけているものの、本分はドキュメンタリーであるカントクの作品は特に観たかったし、(内容を考えると語弊はあるが、映画として)楽しみにしていた。

公開前に大手を含むいくつかの媒体への映画評はいくつか出ているし、公開後の観客の感想は主にツイッターで拾い続けているね。この公式アカウントもカントクの手動によるもの。

結果、仲間内というひいき目を取っ払って観ても、良かった。カントクの代表作が『サオヤの月』から今作に更新されたかなー。
映画の概要は公式サイトにあるとおりで、現在も随時そこにある「監督ブログ」で昨年の撮影時の状況を補足する話と写真を本編でカットした部分を中心に更新しているが、昨年の4月から避難所が閉鎖される10月まで6か月ものあいだに(実際には避難所の閉鎖後にも再訪しているが)あんなに避難所の方々との心の距離を縮めて濃密な関係を築きながら、東京と石巻を数回往復しながらも寄り添い続けていたのかー、と、普段たまに一緒する登山などで夜に酒を呑む段になると酷いときは「仕事がないんすよ」とよく愚痴をこぼしながら呑み続けて、しまいには我を忘れて(ときには仰向けでもうつ伏せでもない)ヘンな体勢で寝てしまうくらいの酔っ払いに変貌してしまう酒癖の悪さ? もちょいちょい見てきたカントクの本領発揮ぶりを、ようやく今作を通じて大型スクリーンで視ることができて、唸った。

カントクというと、ドキュメンタリーを志向しながらも近年は映画業界においての先輩格である瀬々敬久監督の仕事に多く参加し、最近では『へヴンズ ストーリー』で制作担当だったことも本ブログでも触れたが、比較的名の通った瀬々氏が今作のプロデューサーにまわっているということで、興行的には今後も規模は案外大きくなりそうか。
ここ数か月もカントクと会うたびに「やばいんすよ」と宣伝と集客への不安を吐露していたが、あの内容であれば長い目で視ればもっと拡がりはありそうだと思うけどなあ。大手媒体では扱い難い貴重な記録映像であるし。

そういえば、カントクがまだ明確な目的も持たずにいち個人ボランティアとして石巻市内に初めて入った昨年の4月21日は(結果的にはこの日が撮影初日となったが)、ちょうど僕も同じ日に宮城県内の亘理町へ同様に手伝いに行っていたが、そのときにツイッターかメールかは忘れたが僕が宮城県内にいると察知したカントクから夜の(ボランティアセンター付近での)テント泊中に連絡があって少しやりとりしていた。でもこのときはもちろん、石巻のしかも湊という限定的な地域でそんな長い付き合いになるとはまったく想像できなかったけど。
ただそのとき、手伝いとともにビデオカメラ持参で撮影もする、と触れていたので、3月11日のあの大地震と大津波から1、2週間後あたりから“被災地”へ災害ボランティアよりも早くジャーナリストやドキュメンタリー写真・映像をやる人々も続々と現地入りする話はちらほら聞いていたので、カントクもその流れのひとりなのかなあ、とはうっすら思った。
結果的にその、規模の大小を問わず一過性のネタとして拾う程度の媒体もあるのも含めて“被災地”と“被災者”を取材して仕事にする立場の人々のなかでは、カントクが最も長くと言ってもよいくらい現地へ通い続けたことになるか。でもカントクの場合は仕事というよりは、取材よりもさらに人々の内面に突っ込んだ画が撮れたのは地域的にも(ロードムービーよろしく)線ではなく点を押さえて、長い時間をかけた友達付き合いの賜物か。

ちなみに、その後も基本的に石巻に滞在しながら東京との往復生活をしていたことも聞いていて、また昨年同時期の焚き火+野宿話のメンバーのうち石巻へ行った、というのが実はカントクのことで(その合間に会う機会があった)、今考えると避難所の閉鎖直前のこの頃から映画化の話は軽く聞いていて、その後も今年初めに編集に難儀していることも耳にしていたが、合計で190時間も撮影していたなかから2時間4分にまとめるのはそりゃあ難産だっただろうなあ。

と、僕も1年5か月前の同時期に宮城県へ行っていたことも思い返しながら、でも石巻というと東日本大震災の“被災地”のなかでも特に被害規模が大きかったために、市内中心部は支援も取材も入り乱れて混沌としていたらしいという話は小耳に挟んでいたものの、劇中の支援物資搬入やカレーパーティーの仕込みやバザーの映像、それにこの作品のプログラムにも掲載されたいくつかの証言によって改めてよくわかった。終盤に挟んだ市内の津波の映像も初めて観たものなので、衝撃的であった。まだまだ埋もれている映像や証言はたくさんあるかもね。

新宿での公開は来週14日(金)までで、今月から他所での公開も決まってはいるものの、その後はどうなんだろうねえ。
映画館に限らず自主上映にも意欲的なので(でもこれは映画館が一段落したあとの再来年以降のことか)、今後の防災対策というよりは、被災によって(言い方は悪いが)支援や報道する側の人々が一方的に期待しがちな? 悲嘆して絶望し続けるわけにもいかない、それに非常時であっても“被災者”にも生活があるという、避難所という特異な空間での前向きな生き方の参考に一度は観ておくべきだと思う。
島国で山国でもある日本では今後、地震も津波も、それにここ2、3年で顕著な豪雨災害も含めて、どの地域でも起こる可能性のある状況だと思うから。ぜひ。

全国を一巡したあとに、新宿でのアンコール上映の可能性もあると思う。





最後におまけ写真。



先月も触れたが、公開初日(先月18日)にNHK『ニュース7』の取材を受けたときのカントク。
この取材の数時間前は一緒に野宿していたのだが(Tシャツは寝間着として? の別のものを着ていたが)、まさかあの夜に僕も普段よく観る全国放送に登場するとは! と放送を観ながらびっくりした。

そういえば、今年初めにカントクから鑑賞券を5枚でも10枚でも買ってくれ、と冗談ではなく本気で言われたが、さすがにそんなには厳しいけれども、もう1回くらいは観たいので今後マジメに考えよう。

もうひとつおまけを。
カントク、今月下旬にここに登場することになったようで。もちろん聴きに行きますとも。


※5日(水)の追記

もうひとつ、おまけのおまけ写真。



これは本文でも触れた、5年前のふざけた短編映画? を8ミリカメラで撮影していたときの様子。左の撮影者がカントク。東京都内にて。
昨年の石巻ではソニーの業務用のHD(ハイビジョン)カメラで撮影していたそうだが、被写体との距離感はこれと同じくらいだったのだろうね。特にドキュメンタリーであれば。

ちなみにこの短編映画? は部数限定のDVDとして販売されて今はもう入手困難だが、会社のようなもの? の重役あたりに擦り寄れば今後も観られる機会はあるかもしれない。


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