思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

巨大熱気球「スターライト号」の浮上テストは成功したものの……

2006-12-17 23:59:28 | 他人の旅話
本ブログでも先月から度々触れている、「太平洋を熱気球で横断」計画だが、16日の早朝から昼間にかけて、栃木県栃木市の永野川緑地公園で実際に気球を膨らませて、約6トンの重りを持ち上げるという浮上テストが行なわれた。

実は2週間前の2日にも同様のテストが同じ時間と場所で行なわれていたのだが、その日はすでに本ブログの2日の投稿でも書いたように、僕は出がらし紋次郎さんとの約束が前々からあったため、そちらを優先した。ちなみに、その日の浮上テストは失敗に終わり、その場に居合わせた人たちの落胆の色が濃かったとか。
その2日のほうのテストは、これまでに熱気球の製作・補修に携わった人のほかにも神田道夫・安東浩正両氏の友人知人関係(地平線会議の面々ももちろん含まれる)も含めて100人以上来ていた、取材陣も多かった、ということはその日に手伝いに行っていた友人からも詳しく聴いていた。が、前回は1か月ほど前から告知していたためにそのくらいの人数が集まったが、昨日のほうは僕もテストを行なうという情報は2日前の14日に急に知ったくらいなので、手伝い人として集まったのは計30人もいないくらいで、むしろテストの様子を見物に来たり、朝の散歩ついでに気球を触りに来た地元の人のほうが多いくらいだった。

僕は早朝4時起きで埼玉県の自宅からこの公園に向かい、(JR小山駅での)電車の乗り継ぎに失敗したり、最寄り駅であるJR栃木駅からこの公園へ徒歩で行く途中に道を間違えたりしながやや遅れて8時すぎに着くと、すでに気球は大きく膨らんでいた。通常の熱気球の20倍ほどの大きさのこの熱気球は当然ながら500m以上離れた遠目から見てもよく目立ち、近くで見上げればそりゃあもう圧巻であった。1か月前にあの気球に作業で触っていたんだなあ、と実際に頭上に膨らんでいる様子を見るととても感慨深い。
で、テストのほうは、まだ暗い5時前から作業を始めていたが、9時前に球皮の上部から空気が漏れてしぼんでしまい、失敗した。が、すぐに周りの手伝い人たちが気球を安定させるためのロープを引っ張ったりして再び体勢を立て直して、ガスボンベを交換して、作業を始めてから約5時間半後の10時30分に大きな重り(砂袋)がすべて地面から浮き、テストは一応は成功となった。

この報は16日の朝日新聞と読売新聞のそれぞれ埼玉版(ともに35面)の片隅に掲載されているように、傍目には「成功」と言える(ちなみに、朝日新聞の写真に、気球を見上げる人々の一員としてそのとき赤い上着を着ていた僕もごま粒ほどの大きさで写り込んでいた)。が、現実としては球皮のてっぺんあたりのアルミ蒸着シートの一部が破れてしまって再び補修する必要があったり、特に朝日新聞の記事のほうで触れているのだが、安東さんがまだまだ問題点が多く目立つこの計画の来月から再来月にかけての本番実行に難色を示していたりもする。

先月に熱気球の製作に携わった僕を含めた若手の人たちには安東さんから直々に、鳥取大学時代は機械工学、なかでも流体力学を専攻していたバリバリ理系人の彼の観点からの個人的な印象を含めた連絡が伝わっているのだが、これによってこの計画が大幅に変更されるかも、という可能性が出てきた。物資面では着々と準備が進んでいるものの、地上数千mまで上昇したときの熱気球の耐久性はどうなんだ? という心配は素人目に見ても多分にある。これまでに「スターライト号」の補修作業を手伝ってこれにじかに触れている手伝い人たちからもこういう不安の声は実際に出ている。まあそれを払拭して自信を持って離陸するために今、着々と準備を進められているのだろうけど、手伝い人のひとりとしては正直、期待よりはどちらかというと不安のほうが大きい。このへんの細かい事情は僕が詳しく公表するのも難だから、とりあえずは神田さんと安東さんの今後の結論を待ちたい。昨日現場に居合わせた新聞やテレビの取材陣にはこのへんの細かいことは伝わっているのかなあ。
そういえば、昨日の作業には2004年の最初の横断行が失敗に終わったときの副機長であった“冒険界の王子”こと石川直樹くんも参加していたが、彼のような経験者への搭乗者変更もあり得るようだ。機長の神田さんとしては、一般的な熱気球乗りよりも高所登山や極寒地での冒険的行為を経験している世間的にはやや酔狂な? 人とともにこの計画を成し遂げたい、というか、このようなある種ぶっ飛んだ計画にそのような命懸けの覚悟のもとに取り組める、言い換えると家族や普段の仕事のような「守るべきもの」よりもそれを重視して生きている人でないと務まらない、ということでこの計画はその思惑にうってつけの石川くんや安東さんと組んでいるのだが、果たして今後はどうなるものかね。

まあ本番当日の熱気球の離陸までを手伝う(その他大勢のうちのひとりの)僕としては、とにかく膨らませる前後の気球を移動させたり支えたり、膨らませる途中に球皮やゴンドラに据え付けたロープを引っ張って安定させたりするような猫の手以上の人手がより必要な手伝いしかできないから、引き続き何か必要な、身体ひとつあればできる作業があれば今後もできるだけ参加するように努めるけどね。せっかくの面白い計画に一度首を突っ込んで、バーナー付近の球皮に寄せ書き(作業参加者の署名)もしているくらいだから、最後まできっちり見届けたい。

以下に16日のそのときの写真を加えておく。



8時21分。栃木県栃木市の永野川緑地公園で膨らんでいる「スターライト号」をやや遠目から見るとこんな感じ。周りのクルマの大きさと見比べてもらえれば、通常の熱気球の約20倍の大きさ、というのがわかりやすいだろう。モノがこんなに大きいぶんだけ準備して、膨らませて、片付けて、と支えるほうの労力(できれば男手)もより必要になってくるというもの。
僕もこのすぐあとにロープを引っ張る人員に加わり、冬なのに大汗をかいた。この翌日も上腕がやや筋肉痛になったりもした。



10時13分。操縦者のカゴの下にある肌色の大きな袋が砂が詰まった重り。新聞報道では約6tとあるが(袋が6個、つまり1個あたり1t)、その上部の巨大な球皮だけで1t近い重さがあり、しかもガスボンベも積んでいるから、総重量は7t以上になるか。数人の取材陣がしゃがんで下から上に向けてカメラを構えているが、このように撮影したほうが画的にはより映えるだろう。僕も同じ構図で撮りたかったが、今回は一応はただの見物者ではなく手伝いに来ているので、撮影はできるだけ自重して、不測の事態に備えてやや遠めから見守りながら、手伝い人としての役割を重視した。



10時31分。重りがすべて浮き上がったところ。6個の重りのうち3、4個は早くから浮くのだが、最後の1個が浮き上がるのに時間がかかった。このとき操縦していた神田さんも前回失敗しているだけにそりゃあかなり嬉しいだろう。
ちなみに、今回の重りの重量が6tというのは、本番でふたりの操縦者が超高所で熱気球を操作し滞在するためのゴンドラの重量が5.8tあるそうで、それよりもやや重いものを持ち上げていれば大丈夫だろう、とのこと。



10時46分。浮上テストが終わり、片付けの段になると当然ながら球皮内の暖まった空気を抜いてたたんでいくことになる。ホントは写真右側の河川敷のほうに球皮を倒したかったのだが、ちょっとでも風に煽られるとこのようにヘンな方向に倒れてしまい、片付けに難儀する。実はこの土手の左側に有刺鉄線があり、それに引っ掛けて穴を開けないようにするために、僕もこれを撮ってからすぐに駆け付けて土手で球皮を抑える側に入った。
道行く公園利用者に迷惑にならないように努めたが、やはりふつうの熱気球よりも巨大なのでなかなか思ったとおりに片付けることができず、苦労した。30分ほどはこの状態のまま、扇風機で冷たい空気を送りながら徐々に内部の空気を抜いていった。



12時11分。球皮を大勢でたたんでいくと、最終的にはこのようにトラックの荷台にクレーンで吊り上げてなんとか積めるくらいの大きさには収まる。このカタチを見てのとおり、関係者はこのたたんだ状態を「イモ虫」と呼んでいる。
ちなみに、この公園のすぐ南側に栃木工業高校があるのだが、これを校舎内の空き倉庫に一時的に置かせてもらっている。公園の使用も栃木市の許可を得ているし、公的にも私的にも多くの人たちにお世話になっている壮大な計画なのよね。


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