高崎連隊(歩兵第十五連隊)の
このころ、郷土の先輩、安川繁成を、東京青山の邸宅に訪問している。
遠縁にあたる安川は当時、会計検査院第一部長たった。
それまで一度も会ったことはなかった。玄関で名刺を渡すと、
門番は名刺を持って家に入り、再び出て来て、福島を一室に案内した。
案内された部屋で、しばらく待ったが、家の主人はいっこうに現われようとしない。部屋は、
庭に面していた。庭では一人の老人が、草むしりをしている。
一時間近く経った。老人はまだ草むしりをつづけていた。
福島はだんだん腹立たしくなってきた。
「予ヲ一ノ武学生ナリト軽蔑スルカ。将タ、他ニ用事アリテ出デ来ラザルカ。実ニ、失敬ノ事ナリ。」
ぶつぶついっていた。
ところが、庭で草むしりをしていた老人がとつぜん、つかつか福島の
いる部屋にあがってきたのである。なんと、安川繁成その人だった。
福島があわてたのはいうまでもない。
言葉は上州弁の、いわゆるべーべー言葉で、路上で会えば唯の田舎者の
老人としか見えないだろう、と記している。
老人といっても、福島の眼にそう映っただけのこと、
せいぜい五十歳かそこらであった。福島はこの安川繁成の知遇を受け、
生涯の師にする多くの人たちを紹介されていう。
『「安川繁成 やすかわ-しげなり』
1839-1906 明治時代の政治家,実業家。
天保(てんぽう)10年3月生まれ。もと陸奥(むつ)白河藩(福島県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争で岩倉具視(ともみ)にみとめられる。工部大書記官や会計検査院部長をへて日本鉄道監査役や愛国生命保険社長をつとめた。明治31年衆議院議員(憲政本党)。明治39年8月29日死去。68歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。本姓は岩崎。
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