アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

再考、八甲田山雪中行軍 6

2013年05月25日 | 近世歴史と映画

 

空小屋発見


 五名は行けども進めども新湯らしき所に着かず、暫く途方にくれたが、

この儘では凍死あるのみと凡そ2時間程探し求めた結果偶然!全く偶然!

待望の新湯でなく一戸の空小屋を発見した。(三戸郡出身の開拓者仮住宅)

蘇生の心地で転り込み、闇を手探りして燃料を探すと幸いにも梁の上に板が多数あるのを発見し、

早速焚火して初めて暖をとることが出来たが、既に五名は力尽きて気力が衰え無言の儘に車座となった。

そのうち誰れ云うとなく、「吾等は生きて帰る見込みがあるだろうか?」

答えていうには、「食糧は大尉等一行に預けて置いて来たので一食もない。

吹雪は益々烈しくなるし、さりとて新湯に着くのはむづかしく此の地の鬼と化すに近いであろう」と、

一同遭難の刻一刻と迫りつつあるのを感じ、悲嘆にくれながら語るうち誰れかが云った。

「吾等はこの儘では唯死を待つだけであるから彼等を残して増沢へ引き返してはどうだろう。」

との名案が出たので慎重に協議した。

しかし意見は容易に決らず、空しく時を過すだけである。

各自思案の末「若し我等五名が不幸にして途中遭難!と仮定すれば大尉等一行も

同様無惨な途を辿るであろう。そうなれば彼等の消息を何人が世に伝えようか。

伝える者がない。また吾等の事をも何人が家族に伝え得るだろうか途中命尽きて

倒れるものがあるかもしれないが、

すぐ引き返し一行を連れて来て此の小屋で一 夜を明かそう。」との結論的意見に一同は共鳴した。

 留守一人(沢内吉助 増沢本家)を残し、上らない足を引きずるようにして再び戸外に出た。

あゝ その決意は真に悲壮の極といっていゝであろう。

然るに外界は魔の暗夜、依然として吹雪は烈しく前の方から吹きつけ身を支えがたく、

先程通った路は早くも跡形もない。

又もや肩で雪を押し、泳ぐようにして進んだが幸い路を間違わずに赤川で待ちわびている一行に再会し、

隊長に小屋の発見を伝えたところ即時に同意して下さったので直ちに一行と共に引き返したが、

不幸な事に又もや路後がなくいくら行けども小屋が見当たらず、さては方向を間違ったのでは、

なかろうかと不安に思 い、一同声を限りに叫んだが猛吹雪に遮られ応答がなく

最后の力もまさに燃え尽きるかと思われたそのとき、後方でかすかに燈火を振っているのを目撃したので

その方向へ引き返し、漸くにして辿り着いた頃は東の空がほのぼのと白みはじめ午前5時頃と思われた。


 しかし小屋は全員を収容するにはせまいので、隊長は仕方なく半数を屋外に、

残し二列縦隊に整列させ一二・一二の掛声をかけて歩調をとらせ、各自を励まし小屋の回周を行う様に、

命じて屋内の者と交互に暖と食事を摂らせた。


 しかしながら増沢出発以来初めての食事なので早速食にありつこうとしたらワッパの飯は氷結しており、

小刀を借りて切り取り火にあぶって食べるに喉を通らず、その三分の一も食べれる者はない。

頼みの餅も同じように氷結し石のように堅くて歯が立たず、

止むなくホド蒸しのソバ餅を食べて腹を満たし2時間程休憩した。
大尉徐に吾等にいうに「最早新湯に行く必要はない。

君等は此処から引返すよりは一緒に青森へ出る方が便利ではないか」との言葉に一同は喜び、

それに同意して午前7時頃、同小屋を後に出発した。
相変わらず先頭を命ぜられて進むほどに雪は小降りになったが、

酷寒は益々加わり積雪既に身の丈を越すあり様で、

胸で雪を押しながら立ち泳ぎの状態で前へ進んだ。

隊列を前方から眺めればさながら首の行列のような壮観ではなかったろうか。






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