これは 僕らの叫びです
これは 私たちの祈りです
世界に平和を
きずくための
原爆の子の像に刻まれている言葉。
小学校の時、読書感想文を書いた「折鶴の少女」の冒頭にも書かれていたと思います。
私が原爆のことを知ったのは小学4年でした。
原爆の子の像のモデルになった佐々木禎子さんのお話。
禎子さんが発症した年と同じくらいの年齢だったから
とても中のいい友達が書いた日記を読むように、
ページをめくって
そして何度も読み返したのを覚えています。

そのときからずっといつか行こうと思っていた場所。
そこにたったときとても複雑な思いで
そして一つ何か成し遂げたような気持ち。
いろんな感情が胸に一杯で
涙があふれてきました。
たぶん、一人できていたら時間も気にしないでずっとその場にいたかもわかりません。
二日目の午前中は
ボランティアガイドのおじさんが

原爆ドームから始まってとても詳しい話を聞かせてくれました。

原爆ドームから少し歩いた病院のうえで爆弾が炸裂したこと。
なぜ原爆ドームがあのような形で残ったのか。
原爆の熱線と爆風と、黒い雨。
それらに傷つけられたお地蔵さまや後の残ったお墓。
墓石に刻まれた一家全滅の文字。

石の中に含まれた石英の部分が高温で溶けて蒸発してごつごつした石肌。
かけた角。
光や熱があたらなかったところとの色の違い。
資料館まで見て
ショックという言葉ではとても表しきれない複雑な思い。
旅行に来て普通に観光する、というのともちょっと違う
浮ついた気持ちではいられなかった広島二日目の午前。
時間の流れが止まったように感じていたのは心だけで
朝ごはんを少ししか食べてなかったむらっちん!の体は
しっかりとお昼が近づいたのを教えてくれました。

午後は、宮島の厳島神社へ。
路面電車に乗って。
これは 私たちの祈りです
世界に平和を
きずくための
原爆の子の像に刻まれている言葉。
小学校の時、読書感想文を書いた「折鶴の少女」の冒頭にも書かれていたと思います。
私が原爆のことを知ったのは小学4年でした。
原爆の子の像のモデルになった佐々木禎子さんのお話。
禎子さんが発症した年と同じくらいの年齢だったから
とても中のいい友達が書いた日記を読むように、
ページをめくって
そして何度も読み返したのを覚えています。

そのときからずっといつか行こうと思っていた場所。
そこにたったときとても複雑な思いで
そして一つ何か成し遂げたような気持ち。
いろんな感情が胸に一杯で
涙があふれてきました。
たぶん、一人できていたら時間も気にしないでずっとその場にいたかもわかりません。
二日目の午前中は
ボランティアガイドのおじさんが

原爆ドームから始まってとても詳しい話を聞かせてくれました。

原爆ドームから少し歩いた病院のうえで爆弾が炸裂したこと。
なぜ原爆ドームがあのような形で残ったのか。
原爆の熱線と爆風と、黒い雨。
それらに傷つけられたお地蔵さまや後の残ったお墓。
墓石に刻まれた一家全滅の文字。

石の中に含まれた石英の部分が高温で溶けて蒸発してごつごつした石肌。
かけた角。
光や熱があたらなかったところとの色の違い。
資料館まで見て
ショックという言葉ではとても表しきれない複雑な思い。
旅行に来て普通に観光する、というのともちょっと違う
浮ついた気持ちではいられなかった広島二日目の午前。
時間の流れが止まったように感じていたのは心だけで
朝ごはんを少ししか食べてなかったむらっちん!の体は
しっかりとお昼が近づいたのを教えてくれました。

午後は、宮島の厳島神社へ。
路面電車に乗って。