習志野湾岸9条の会

STOP戦争への道 9条を変えるな

10.31狭山市民集会(無実の石川さんの再審へ)

2014年10月30日 | 集会・会合等
■日時 2014年10月31日(金)午後1時~2時半(集会後デモを予定)
■会場 東京・日比谷野外音楽堂(http://hibiya-kokaido.com/)
■主催 狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会
12:30 ミニコンサート(李政美さん)
13:00 狭山事件再審弁護団報告(中山武敏主任弁護人ほか)
      石川一雄さん・早智子さん挨拶
      特別報告「袴田事件即時抗告審の現状」(袴田ひで子さん、山崎俊樹さん)
      冤罪当事者からの連帯アピール(菅家利和さん、杉山卓男さん)
14:30 デモ(西幸町=有楽町=常盤橋公園)
(下記は今年5月23日の日比谷野音の全国集会)

(狭山事件)
1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、脅迫状がとどけられるという事件がおきた。
警察は身代金を取りにあらわれた犯人を40人もの警官が張り込みながら取り逃がしてしまいまった。女子高校生は
遺体となって発見され、警察の大失敗に世論の非難が集中した。捜査にいきづまった警察は、付近の被差別
に見込み捜査を集中し、なんら証拠もないまま石川一雄氏(当時24歳)を別件逮捕し、1カ月にわたり警察の留置場
(代用監獄)で取り調べ、ウソの自白をさせて、犯人に仕立て上げた。地域の住民の「あんなことをするのは
民にちがいない」という差別意識やマスコミの差別報道のなかで冤罪が生み出されてしまった。
事件発生当初発見されなかった被害者の万年筆が突然発見されたり、脅迫状の筆跡と石川氏の筆跡が全く違う、
自供に基づいて発見されたとされる被害者の腕時計の種類が被害者の物と違うなどの点があるにもかかわらず
まともな証拠調べも行わなかった。
1964年一審の浦和地裁では内田裁判長が死刑判決を下した。
石川氏が否認に転じてから(当初は罪を認めれば10年で出してやると言われていた)前後して大衆行動が始まる。
1974年二審では寺尾裁判長が無期懲役判決の判決を下したが、高裁前の日比谷公園には解放同盟、社会党(当時)、
総評(当時)傘下を中心としたの労働組合、学生や各大学解放研、狭山闘争実行委員会など10万人が集まり公園を埋め尽くした。
又全国でも同盟休校や大衆行動が取り組まれ、ストライキを行った職場、大学もあった。
最高裁で確定後も石川氏はただちに再審請求を申し立てたが第一次再審請求はまったく事実調べもなく棄却。
再び1986年8月に第二次再審請求を東京高裁に申し立てた。石川氏は31年7か月ぶりに千葉刑務所を1994年12月に仮出獄した。
世論も高まり、国際人権規約委員会が「弁護側がすべての証拠にアクセスできるよう法律、および実務を改めること」
を日本政府に勧告したが、1999年7月またも事実調べを行うことなく、再審請求を棄却した。
そして2006年5月、第3次再審請求。なかなか再審の扉は開こうとしなかったが2009年9月から三者協議が開かれ、
狭山の闘いに前進゛か見られたが検察の証拠の出し渋りなどによりのらりくらりとしか進んでいない。
検察は速やかに全証拠開示をさせ再審を行うべきです。

11.1秋の憲法集会

2014年10月30日 | 集会・会合等
恒例の秋の憲法集会が開催されます。
2014/11/01 戦争ではなく、平和をつくる秋の憲法集会(東京・日比谷)
戦争ではなく、平和をつくる2014年11月1日 秋の憲法集会
講演:高良鉄美琉球大学教授。音楽:李政美さん。
トーク:司会・山口菊子、パネリスト・内田聖子、菱山南帆子、毛利孝雄さん。
会場:日比谷図書館コンベンションホール、開会14:00、
参加費:800円。実行委員会。