習志野湾岸9条の会

STOP戦争への道 9条を変えるな

堤清二(辻井喬・・マスコミ9条の会、さよなら原発1000万人署名呼びかけ人)の死を悼む

2013年11月28日 | 日記
西武百貨店を中心に幅広い流通サービス企業集団「セゾングループ」を築き上げ、「辻井喬」のペンネームで詩人、
小説家としても活躍したセゾン文化財団理事長の堤清二(つつみ・せいじ)氏が25日午前2時5分、肝不全のため
東京都内の病院で死去した。86歳。東京都出身。
堤氏は経営者である一方「辻井喬」のペンネームで小説を執筆し、9条の会や、反原発に深くかかわってきた。
2010年11月13日に船橋キララホールで行われた習志野9条の会連絡会例会で講演をされた。

堤氏は1927年生まれで、西武グループの創業者堤康次郎と、康次郎の内縁(後に本妻)・青山操の間に生まれた。
東京大学経済学部入学直後、戦後混乱期内乱の時代の日本共産党に入党し東大細胞の中心人物だった。
当時の武装闘争をめぐり日本共産党は国際派(宮本顕治が中心)と所感派(徳田球一、野坂参三が中心)に分裂し
1950年頃堤氏は国際派に属したがやがて除名。その後党は六全協で全面路線転向。堤氏もその後結核を患ったり、
いろいろあって父の元に戻る。
父から西武百貨店を任され経済人として西武セゾングループを率い、渋谷パルコを開店。1985年にセゾングループに
名称変更し業界一位に。一方小説家としても活躍。
清二氏は当時、財界でただ一人だけベトナム戦争に反対した。
バブル崩壊により、金融機関からの借り入れに依存して事業の急拡大を進めていたセゾングループの経営は破綻を迎え、
1991年に堤氏は同グループ代表を辞任し、執筆活動に専念するとともに、改憲反対、原発反対の中心となる。
かつて東大時代に共に行動していた共産党の不破哲三氏の子息を口利きでセゾンに就職させるなどの関係か、かつて除名
された同党系の会合にも呼ばれていたらしいがストレートに同党を批評したためか再び呼ばれなくなったらしい。
(原因は元共産党員で除名された作家宮崎学氏との対談の本がきっかけとの話もあるが不破氏との個別的事情や感情もからん
でいたのではないかという話もあり、いずれにしても情けない話ではある)
死去されるまで、特定秘密法案反対、改憲反対、原発問題で呼びかけ人になるなど積極的に活動していた。
自身の生い立ちのためか、一貫して反差別の思想が根底にあった。