「須田剋太『街道をゆく』とその周辺」(1990年)に載っている
司馬遼太郎の「20年を共にして――須田剋太画伯のことども」に、
どういうわけか道元が登場しているのが気になりました。
その箇所を引用。
「ともかくも、ほとんど事件ともいっていい
長谷川三郎との邂逅のあと、長谷川の滋賀県の家に行ったりして、
ほとんど一つの瓶子(へいし)から他の瓶子に水がそそがれるようにして、
長谷川の理想と論理が、須田さんに移されたのです。
長谷川は、『 道元だって、きみ、抽象だよ 』といったことから
須田さんは、『 正法眼蔵 』を読むことになります。
須田さんの後半生をささえた道元への傾倒は、このときからはじまるのです。
道元は、たしかに抽象です。
欲望を捨て、心を透明にし、
いわば精神を抽象化することによって、
さとりの境地がひらけるというものでありましょう。
・・・ここであらためて言っておかねばなりませんが、
須田さんは、悟りをひらくために道元に傾倒したのではなく、
そこから造形理論をひきだすためにそのようにしたのです。
まことに道元研究においても
須田さんは類のない道を歩んだというべきでした。 」
うん。須田剋太と道元なのですか。どうやら、
須田剋太の装画を見て、道元を思い浮べてもよさそうです。
いつかは読めるかと思って、
正法眼蔵の文庫を揃えて、本棚で埃をかぶっているのですが、
この機会に、ちょっとでも、読み進められるかもしれません。
うん。須田剋太装画でたどる正法眼蔵。
なによりも、装画入りの正法眼蔵というイメージ。
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