和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

須田剋太画伯と司馬さん。

2023-05-23 | 本棚並べ
「司馬遼太郎が考えたこと 13」(新潮文庫)に

司馬さんが須田剋太を紹介した2頁の文がありました。
うん。私に印象深いので引用します。

「 人間には、精神の喝(かつ)えがある。
  それがために、もう一つの地球 
   ―― 芸術のことだが ―― をほしがる。

  私にとってのもう一つの地球として、須田芸術がある。
  これは、至福なことだと思っている。

  一緒に旅をし、砂漠を横切り、また湖水のほとりを歩き、
  さらには村々を経めぐって帰宅したあと、

  こんどは須田芸術という、もう一つの地球に入ることができるのである。

  その地球は、私が自分の肉眼で見、手足でさわったはずの
  この地球よりもいっそう鋭く、たくましく、ときに弾けるような
  美しさが噴きこぼれつづけていて、私の日常を鼓舞してくれる。

 『 須田先生の絵を眺めていると、生きる元気がわいてくるのです 』
 
  といったのは、松山善三氏だった。
  いわれたとき、目の前に、光が満ちてくる思いがした。

  中国の長江を、朝の陽を浴びながら、
  ジャンクが躍るようにすすんでいる。
  
  画伯のそういう絵が、松山氏と私の前に展示されていたのである。

  ・・・・・・・

  この私(ひそ)かなる体験は、画伯が、
  もう一つの地球を、生物ぐるみ、創(つく)りつづけていることの、
  たしかなあかしだと思っている。

  それを感じるだけの力を、平素養いつづけねば
  ならないことは、いうまでもない。       」(p232~233・文庫)


うん。3行ほどカットして、残り全文を引用しちゃいました。

古本で値が張るのを覚悟して須田剋太の装画全『街道をゆく』
を手元に置いて見ていたくなってくるのでした。
まあ『 それを感じるだけの力 』があればなのでしょうが・・・。


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