和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

泰然として。

2012-02-03 | 本棚並べ
時候の挨拶で、つい「寒さに実力が」と、書いてしまいました。
あらためて、井伏鱒二著「厄除け詩集」(講談社文芸文庫)を、ひらいて、さがしてみると、詩集の最後に、それはありました。

    冬

 三日不言詩口含荊棘

 昔の人が云ふことに
 詩を書けば風邪を引かぬ
 南無帰命頂礼
 詩を書けば風邪を引かぬ
 僕はそれを妄信したい

 洒落た詩でなくても結構だらう
 書いては消し書いては消し
 消したきりでもいいだろう
 屑籠に棄ててもいいだろう
 どうせ棄てるもおまじなひだ

 僕は老来いくつ詩を書いたことか
 風邪で寝た数の方が多い筈だ

 今年の寒さは格別だ
 寒さが実力を持つてゐる
 僕は風邪を引きたくない
 おまじなひには詩を書くことだ



昨日のコラム産経抄に、「北越雪譜」からの引用あり。
そういえば、と岩波文庫をもってきて読み始める。

たとえば、こんな箇所

 此雪いくばくの力をつひやし
 いくばくの銭を費(つひや)し
 終日ほりたる跡へその夜大雪降り
 夜明て見れば元のごとし。
 かかる時は主人はさら也、
 下人も頭(かしら)を低(たれ)て
 歎息(ためいき)をつくのみ也。
 たいてい雪ふるごとに掘るゆゑに、
 里言(りげん)に一番掘二番堀といふ。(p27)


昨日手元にある
西堀栄三郎著「南極越冬記」(岩波書店)のはじまりは

「1957年2月15日。13・30、『宗谷』とわかれる。これで、はじめてわれわれ11名だけになった。いつか日本から迎えが来るまでは、日本、否、文明国に帰ることはできない。どんなにつらいことがあっても、何が不足していようとも、与えられただけのもので生きていかねばならない。しかし越冬隊員は、みんなうれしそうに笑っている。だれ一人うちしおれているものはない。気がセイセイしたようだ。あのきゅうくつな『宗谷』から解放されて。・・・」

同じく手元にある梅棹忠夫の「ひとつの時代のおわり 今西錦司追悼」にはこんな箇所がありました。

「今西自身はたいへんな読書家であった。山と探検が表面にたつので、今西は『行動のひと』とみられがちで、書斎の読書人というイメージからはとおいが、じっさいは幅ひろい読書の経験をもつすぐれた知識人であった。・・・探検隊の行動中においても、かれは読書を欠かさなかった。大興安嶺やモンゴルの探検行でも、キャンプ地に到着して、わかい隊員たちがテントの設営や食事の準備にいそがしくたちはたらいているあいだ、今西はおりたたみ椅子の腰かけて、くらくなるまで読書をした。今西は予備役の工兵少尉であったから軍用の将校行李をたずさえていたが、そのなかにはいっているのは大部分が書物だった。朝になって若者たちがテントの撤収をおこなっているあいだもかれは読書をつづけた。冬のモンゴル行においてもそうであった。零下20度の草原で西北季節風がびょうびょうとふきながれるなかで、かれは泰然として読書をつづけていた。」



うん。その爪の垢でも。

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