小長谷有紀編「梅棹忠夫の『人類の未来』」(勉誠出版)をひらく。
まあ、私は、そこに散見する写真類に目がいくくらいなのです。
そしたら、ありました。
p59に世界地図をバックに、丸いテーブルを囲んで4人の写真。
梅棹忠夫・桑原武夫・西堀栄三郎・今西錦司(1959年)。
座談会のようで、皆さん背広にネクタイ。
この写真は、たとえば国立民族学博物館「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」(¥1890)にも掲載されておりませんでした。そう、「特別展 ウメサオタダオ展」用の冊子に載っていなかったのです。2011年夏の季刊雑誌「考える人」の追悼特集梅棹忠夫にも、この写真はありませんでした。
梅棹忠夫には、今西錦司追悼「ひとつの時代のおわり」という文がある。つい、西堀栄三郎著「南極越冬記」と桑原武夫との関係なども連想してしまいます。
たとえば、加藤秀俊・梅棹忠夫・林雄二郎・川添登の「貝食う会」の4人の写真は、他の雑誌にも掲載されているので、見ることができるのですが、やはり4人とも亡くなった方が一緒にいるところの写真は、つい、後回しになり、省かれてしまいやすいのだろうかなあ。などと思いながら、貴重なのになあ、と思って見いっておりました。
テレビかラジオの座談で一堂に会したのでしょうが、
何を語ったかというよりは、
この4人が一緒の写真。という魅力。
あと、竹内整一氏の「『はかなさ』の感受性へ」という文(p202~)は
こうはじまっているのでした。
「東日本大震災から半年以上経ったが、東北各地の震災・津波からの復興・復旧も、福島第一原発の事故収束も思うように進んでいない状況が続いている。その意味でわれわれは、いまだ大きなクライシス・危機に直面している。クライシス(crisis)という英語は、危機と同時に、転機・転換という含意がある。危機はそれを乗り越えたとき、ある転機・転換を果たしているということであるが、われわれは今、この危機をどう乗り越えるかということと同時に、それをどう『よき』転機へと転ずることができるかということも問われているように思う。」
こうはじまる竹内氏の文は副題に「梅棹忠夫の『人類の未来』論に即して」とあるのでした。読んでスラスラと頭に入ります。うん。この一冊、丁寧に読んでみます。
まあ、私は、そこに散見する写真類に目がいくくらいなのです。
そしたら、ありました。
p59に世界地図をバックに、丸いテーブルを囲んで4人の写真。
梅棹忠夫・桑原武夫・西堀栄三郎・今西錦司(1959年)。
座談会のようで、皆さん背広にネクタイ。
この写真は、たとえば国立民族学博物館「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」(¥1890)にも掲載されておりませんでした。そう、「特別展 ウメサオタダオ展」用の冊子に載っていなかったのです。2011年夏の季刊雑誌「考える人」の追悼特集梅棹忠夫にも、この写真はありませんでした。
梅棹忠夫には、今西錦司追悼「ひとつの時代のおわり」という文がある。つい、西堀栄三郎著「南極越冬記」と桑原武夫との関係なども連想してしまいます。
たとえば、加藤秀俊・梅棹忠夫・林雄二郎・川添登の「貝食う会」の4人の写真は、他の雑誌にも掲載されているので、見ることができるのですが、やはり4人とも亡くなった方が一緒にいるところの写真は、つい、後回しになり、省かれてしまいやすいのだろうかなあ。などと思いながら、貴重なのになあ、と思って見いっておりました。
テレビかラジオの座談で一堂に会したのでしょうが、
何を語ったかというよりは、
この4人が一緒の写真。という魅力。
あと、竹内整一氏の「『はかなさ』の感受性へ」という文(p202~)は
こうはじまっているのでした。
「東日本大震災から半年以上経ったが、東北各地の震災・津波からの復興・復旧も、福島第一原発の事故収束も思うように進んでいない状況が続いている。その意味でわれわれは、いまだ大きなクライシス・危機に直面している。クライシス(crisis)という英語は、危機と同時に、転機・転換という含意がある。危機はそれを乗り越えたとき、ある転機・転換を果たしているということであるが、われわれは今、この危機をどう乗り越えるかということと同時に、それをどう『よき』転機へと転ずることができるかということも問われているように思う。」
こうはじまる竹内氏の文は副題に「梅棹忠夫の『人類の未来』論に即して」とあるのでした。読んでスラスラと頭に入ります。うん。この一冊、丁寧に読んでみます。
西堀先生はあのころからプルトニウムでなく液体トリウムによる原子力発電の必要を力説なさっていました。いま、こんな時代になっているのに、西堀先生の先見性が忘れられているのをわたしは歯がゆく思っています。