和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

陽の沈むころ。

2011-01-06 | 詩歌
本を読んでいません(笑)。
ところで、小さい日めくりの1月4日には
「丸い玉子も切りようで四角」という言葉がありました。
そういえば。
と、河盛好蔵著「人とつき合う法」(新潮文庫)をひらく。
その「言葉づかい」という文に、こんなのがあります。

「 堀口大學さんに次のような詩がある。

   円い玉子も切りようで
   同じ言葉も使いよう

   それは羽毛(はね)より軽くなり
   それは石より重くなる

   そこのけじめに詩はほろび
   そこのけじめに詩は生きる

 人間同士のつき合いも、言葉づかいの如何(いかん)で生きたり死んだりする。・・・・」(p59~60)


うんうん。
ちょうど、手近にある小沢書店の「堀口大學全集 1」。
さがせば、それは詩集「夕の虹」にありました。
けれども、「詩人に」と題されたその詩の、最後の二行は
どうやら、河盛好蔵氏はカットしたようです。
あるいは、最初は、最後の二行は書きこまれておらなかったか?
さすれば、あらためて引用してみましょう。

    詩人に

  円い玉子も切りやうで
  同じ言葉も使ひやう

  それは羽毛より軽くなり
  それは石より重くなる

  そこのけぢめに詩はほろび
  そこのけぢめに詩は生きる

  口はあまりに出鱈目だ
  詩人よ 耳で語ろうよ!


この最後の二行があるのと、ないのと。
ちなみに、ついでに詩集「夕の虹」から、

     詩

  難儀なところに詩は尋ねたい
  ぬきさしならぬ詩が作りたい

  たとへば梁も柱もないが
  しかも揺るがぬ一軒の家

  行と行とが支へになつて
  言葉と言葉がこだまし合つて

  果てて果てない詩が作りたい
  難儀なところに詩は求めたい


もうひとつ、詩集「夕の虹」から、一行の詩


      定義

  詩はそんなものではない


それじゃ、詩はなんなのだ。
そこで、また「夕の虹」から詩「夕空の虹」

    夕空の虹

  歌も
  詩も
  俳句だとても
  夕空の
  虹でありたい

  西山(せいざん)に
  陽の
  沈む頃
  東天に
  咲きも出でたい

  七いろの色彩(あいろ)をこめて
  高々と
  中空(なかぞら)に立ち
  脚は地に
  しかと届いて


そうそう、虹ではないのですが、
1月の夕日。引き込まれそうな、きれいさです。
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3 コメント

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まるいタマゴ (加藤秀俊)
2011-01-07 09:55:32
いつもたのしく拝読しています。

「まるい豆腐」の地口ですが、わたしなどが記憶しているのは

「まるい豆腐も切りようじゃ四角
ものも言いよじゃ角が立つ」

でした。このほうが語呂が合っていいようにおもいます。いろんな「言いよう」があるものですね。
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追記 (加藤秀俊)
2011-01-07 10:34:49
失礼しました。豆腐じゃありません。タマゴでした。なにか頭のなかで別な地口をかんがえていたのですね。ごめんなさい
返信する
豆腐とたまご (和田浦海岸)
2011-01-07 13:45:58
追記までいただきありがとうございます。
こりゃ、新年早々のうれしさで、
コメントという福の神が舞い込んだよう。

う~ん。豆腐のほうが、豆腐の角とかニガリとか、切り口が豊富な感じをうけます。まして(不案内ですが)、落語では、豆腐のほうが玉子より活躍の場がありそう?
まるい卵は、殻をむいて、
豆腐も玉子も、どちらもやわらか。
どちらも、煮ても焼いてもおいしそうです。
そういえば、暮れに、皆で、めずらしくすき焼きを食べました。こちらは、豆腐と玉子の相性バツグンでした(笑)。

以上、思い浮かぶまま。

コメント、どうも。
本年のブログの励みとなります。
ありがとうございました。
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