はい。わたしは
藤原てい著「流れる星は生きている」と
新田次郎著「八甲田山死の彷徨」の
2冊ほどしか読んでおりませんでした。
気になって今回、日本の古本屋でネット検索してみる。
「新田次郎全集」というのは、揃いでは探せなかった。
うん。そんなには部数を刷らなかったのか。
それとも、持っている方が手放さないのか。
古本の値段だけでも知りたかったのに残念。
まあ、それはそうとして、本棚をさがすと、
安物古本を気ままに買っていた甲斐があり、
藤原家の娘の藤原咲子さんの本が出てくる。
「父への恋文 新田次郎の娘に生まれて」(山と渓谷社・2001年)
さっそくパラリとひらけば、こんな箇所。
「なぜ父は、母に遠慮しているのだろうか。
母へはいっさい口答えしない、おどおどしている父を、
幼い頃、不思議に思っていた。私の目にも、母は、
怖いほど冷たく映り、近づけないときがあった。
三人の幼子を連れ、三十八度線を越え、満州から引き揚げてきた
母には、何をも追随させぬ絶対的な強さがあった。
生後間もなくの私の生存は勿論のこと、ふたりの兄、
母の命さえ絶望的だと諦めていた父が、
抑留されていたソ連から帰国した昭和21年、
家族のすべてと再会できたのは、母の力だった。
母には感動的な美しささえ、父は感じていたのだろう。」
(p39~40)
藤原咲子さんが中学生になった頃。
「学校で使う教科書に、父の『北極光』(改題「アラスカ物語」)が
掲載されたのはその頃だった。父の作品を直接読むのは初めてだった。
・・・・・・・
『藤原さんのお父様は、作家新田次郎さんで、この作品の作者です。
また、お母様も藤原ていさんで作家です。では藤原さん、大きい声で
読んで下さい』
女教師の突然の指名に、小さな歓声があがったように記憶している。
何回も練習したにもかかわらず、私はすっかり緊張し、
ところどころでつかえ、とうとう作品の中ほどにあった
『良妻』という一文字を、『悪妻』と読み違えて
爆笑されてしまったのである。その日、父に報告すると、
『チャキは、いつもお母さんを見ているから無理もないね』
と、クックッと鳩のように笑った。・・・」
(p51~52)
はい。せっかくなので、はじまりの
「幼年期の想い出」からも引用しておくことに
「満州から引き揚げ時の栄養失調で、私の髪は赤かった。
赤い髪は、長い間、私の心と言葉も閉ざし続けていた。
切れやすく、からみやすい赤い髪を、父は風呂で丁寧に洗ってくれた。
当時住んでいた、気象台の官舎の、十坪ほどの平屋には風呂はなく、
向かいの家の、台長のはからいで、もらい湯をしていたが、
父との風呂通いは幼い頃の唯一の楽しみだった。
乾いた翌朝の赤い髪は、噴火のように膨らんで顔の半分を覆っていた。
10歳ごろまで私は、
口を開けて話すことと、口を開けて物を食べることが苦痛で、
・・泣きながらノロノロと食事をしていた。そんな私を、父は、
どこからか突然に現われて頭を撫でる。父のちょっとしたいたずらにも、
反応しないでいると、更に父は、力いっぱい私の頭を押すようにして、
膨らんだ赤い髪を撫でる。
『ああ、お、父、ちゃ、ん』
兄達の『お父ちゃん』と、はっきり大声で叫ぶのを真似て、
私も『お父ちゃん』と叫びたかった。しかし、単語はつながらない。
多分、私の裡(うち)には瞬間、幸福な想いが満ちあふれて、
目の前の父を見上げたと思うが、言葉は結ばれないまま、
父をじっと見つめている。
・・・引揚げ時の衰弱のため病床にいた母・・・
家の前に無花果(いちじく)の木があり、私の日課は、
この木に登り、ひたすら父の帰りを待つことだった。
てっぺんまで登ると、スカンポの花咲く神田川が見える。
神田川を渡る湿った黄色い風にのって、
川淵を、思いきり父と走ることがあった。・・・
ひとり遊びの多かった私が、父と走ることによって、
声を出して笑うという子どもらしさを、少しずつ取り戻していった。」
(p9~10)
はい。これで満足してしまって、
新田次郎の他の小説を読もうとは、
ちっとも考えない、私がおります。
コメントありがとうございます。
わたしの場合は割り切って、
趣味は、読書じゃなくって、
趣味は、安古本を買うこと。
どのくらいの安さなのかは、
未読でも気にならない安さ。
はい。お小遣いで駄菓子屋へ
ゆくような、気楽さがベスト。
ネットで気軽に気楽に買える。
いまは、古本読みの天国かも。
なんせ、読書家は高齢化して、
若い方は本を読まないなんて、
絶好の読書の季節じゃないか。
古本は今買わずにいつ買うの。
ってなことを思っております。
延長で時々新刊にも手がでる。
あ、そうそう。藤原咲子さんの
この本に『文章指導』という文があって、
その最初のページには、
『読むことは築くこと、
書くことは創ること
新田次郎 』
と咲子さんに書いてあげていたのでした。
書くことは創ること
新田次郎 』
いい言葉を教えていただきました。
いつもありがとうございます。